I want youの使い方

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扉の向こうへ放り込まれた來は、目の前に広がる光景に、そして雰囲気に息を飲んで圧倒された。とてつもなく広大で、とてつもなく天井が高くて、とてつもない数の人々と熱気に包まれている。

「………わぁ」

無意識に感嘆の呟きが漏れる。來は茶封筒を胸に抱いたまま、高い位置にある巨大な釣り天秤を無心で見上げていた。人一人は乗れそうなほどの大きな皿を抱えた天秤には、赤々と燃え盛る炎が乗って…よく見るとやや左に傾いているようだ。

『これは珍しいですね…東洋人のメイドですか。名前は何と仰いますか?』

「…!」

高い所からの問い掛けに、來ははっと我に返る。大天秤の下にクラシカルなデザインのカツラを被った初老の男性が1人、更にその下に6人の老若男女がずらっと横一列に座っているのを見て、來は唐突に理解した。



…裁判所!




日本では最近始まった裁判員制度だが、海外では昔から一般市民6名を審理に参加させる陪審員制度が主流なのを社会科か何かで習った覚えがある。それにイギリスでは裁判長はああいうデザインのカツラを被って参加すると聞いた事が――…

『どこのお屋敷に仕えているのですか?』

「ぁ……」

再び初老の男性…裁判長に問われて、來は口ごもる。荘厳な雰囲気に圧倒されっぱなしで、あの人が何を話しているのか耳に入ってこない。黙り込む來に、裁判長は困ったように眉根を下げた。

『む。困りましたな…言葉が通じないのでしょうか……』

『失礼、裁判長。彼女は…バンジークス家の人間だ』

左側からの聞き慣れた声に慌てて振り向くと、そこにはバンジークスが立っていた。思わぬ場所での出会いにびっくりする來だが、またしても理解した事実に目を丸くさせる。自分が立つここが証言台なら、その左側は検事席。

と、いう事は彼は…



(検事さんだったんだ!)



ずっと分からなかった彼の正体がやっと分かって、バンジークスを見る來の顔にぱあっと満面の笑みが咲く。貴族かと思っていた分、実は検事だった彼がものすごく身近に感じる…検事だって身近ではないが、貴族より断然近い。

一方、バンジークスの説明を受けて法廷全体が驚きにざわめいた。

『貴方の……ですか?』

『いかにも…厳密に言えばメイドではないのだが』

『…と、申しますと?』

『彼女は英語を学びに単身ニホンからやって来た。私の屋敷でメイドとして住み込みで働きつつ、英語や大英帝国の文化・風習を勉学している』

『ほう。大英帝国で暮らしながら勉強ですか。なかなか熱心な娘さんですな』

『恥ずかしながら、今の彼女の英語力は未熟の一言に尽きる。幼子に語りかけるように接すれば問題ないが…』

『――…あの。よろしいでしょうか?』

右側から上がった声に思わず振り向くと、詰襟学ラン姿の男性が挙手する姿が目に入った。バンジークスと真向かうあの席は弁護席だから、彼は弁護士だろうか。そう推察しながら、來はこの時代に来て初めて会った東洋人をまじまじと見つめる。

『日本人であるなら、彼女は我が国の同胞です。英語でしたら僕が彼女の通訳を――…』

『悪いが、それは遠慮させていただく』

成歩堂が最後まで言い終わらないうちにバンジークスから拒否され、彼は『え?』とたじろぐ。そんな彼を、バンジークスは顎先を軽く上げて見下ろした。

『言ったであろう?彼女は英語を学びにはるばるニホンからやってきたのだ。このような機会も、彼女にとって勉学の場だ。余計な手出しは無用』

『………で、でも』

『ニホン人が話す英語など、彼女にとって何の足しにもならん。そう言っているのだが?』

『………ぐ』

言い切られて、成歩堂はがっくり項垂れた。バンジークスは來に視線を向けると、口を開く。

『……イチガヤ』

『…は、ハイ!』

『名前、職業、話せ』

ゆっくりと、まるで幼児に言い含めるような口ぶりのバンジークスに、法廷内が静まり返る。暫くバンジークスを見ていた來だったが、小さく頷いて話し始めた。

『ワタシは、名前は、ライ・イチガヤ、言いマス。おシゴトは、めいど、ヤテます。ばんじーくすサンの オウチ、住んでマス』

『――…おぉ。なるほど。これはこれは…まるで孫と話しているかのような…』

『今はこれでご容赦願いたい…イチガヤ』

『ハイ!』

『何故、ここへ、来たのか?』

『…………………届ケル、来まシタ!コレ、ばんじーくすサンへ!』

拙い英語を口にしながら、來は持っていた茶封筒を掲げた。バンジークスの目が、不意に細まる。

『私に…?』

『のーらサンから、ワタシへ、お願イ シマシタ!』

『のーらサン、というのは…』

裁判長の質問に、『我が屋敷の女中だ』とバンジークスは端的に答える。そして再び両腕を胸前でゆったりと組んだ。

『中は、見たか?』

『………………ううん。コレ、ナカ、ワタシ、分カラナイ』

『どうやら彼女は、単に女中さんからおつかいを頼まれただけのようですな』

『僕の国に、"百聞は一見にしかず"というコトワザがあります。まずはその中身を確認してしまった方が、話は速いのではないでしょうか』

成歩堂の進言に、裁判長は『そのようですね』と1つ頷く。

『では。その封書はバンジークス卿宛てのようですので、本人に中身を確認していただきましょう』

『心得た』

そうやって茶封筒は來の手からヤードを介して検事席のバンジークスへと届けられた。受け取るなり中身を確認した彼は、ほんの少し表情を険しくさせて『これは…』と呻く。

『バンジークス卿。して、中身は一体………?』

『………つい先ほど、提出するはずだった本来の証拠品だ』

『と、いう事は――…っ!すりかえられた証拠品が戻ってきたと!?』

裁判長の言葉に、法廷内がどよどよとざわめいた。何故、バンジークス家の使用人らがすりかわった証拠品をやりとりしているのか…深い謎に包まれた事態に戸惑う雰囲気を察した來は、少し強張った表情でおずおずと裁判長を見上げた。



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