I want youの使い方

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來が問答無用で法廷へ放り込まれる、その10分ほど前の話…

オールドベイリー法廷の検事席に両手をつき、酷く険しい表情でその手元を睨むバンジークスが立っていた。



***



『………バンジークス卿、どうされましたかな?』

『………………』

法廷内の最も高い位置に座する裁判長が、ただならぬ様子のバンジークスに声を掛ける。彼は『いや』と一言絞り出すように返事をしたが、視線は変わらず手元――…に置かれた1枚の写真を見つめていた。写っているのは若い男女で、仲睦まじく手を取り合ったポーズで微笑んでいる。写真から滲み出る幸せオーラに、バンジークスは眉間のシワをますます深めた。

今、とある事件の審理にバンジークスは検事として参加していた。対する弁護士は、司法を学ぶ為にはるばるニホンから来たという若き留学生。その圧倒的な経験の乏しさは、終始泳ぎまくる視線と彼よりも年若な女性(と、いうより少女)助手に逐一手助けされる様子からも見てとれる。しかし…ふとした一瞬に生まれた矛盾を鋭く突き、新たな道を見いだして進んでいく姿は素人のものではない。

天性の才能か、類い稀なるセンスか



――…ただのラッキーか。



そんなある種未知数な弁護士・成歩堂龍ノ介の必死な弁論を、バンジークスは手のひらで転がすかのごとく提示する証拠とともに軽々と論破し、たじろぐ彼を隙のないロジック…己の論理で傍聴席の壁へと追い詰め、この証拠をとどめの一太刀として無事結審………するはずだった。

(何だこの……この写真は!!?)

幸せ…というよりラブに満ちた写真を前に、バンジークスは硬直する。"この決定的な証拠を見れば被告の犯行だと思い知るだろう"と啖呵を切ったが、この写真は提出出来ない。出来る訳がない。昨日確認した時は確かに、確実に、そして間違いなく揃っていた。なのに何故こんなモノが……

『バンジークス卿?』

『…………』

裁判長が再び呼び掛ける中、バンジークスは無言のまま残りの証拠を目で確認する。しかし、提出したかった証拠品はない。紛れ込んだというより、すり変わったのか。何者かの陰謀か妨害か…疑念は深まるものの、それを突き詰めても"今の状況"を打開するものではない。そう理解したバンジークスはようやく顔を上げ、両腕を胸の前でゆったりと組んだ。

『失礼。これから提出しようとしていた証拠品だが……たった今、不備が見つかった。提出は取り下げたい』

バンジークスの言葉に、裁判長も成歩堂も助手も、そして傍聴人もぎょっと目を剥く。驚きと困惑で法廷がざわつく中、裁判長は戸惑いながらバンジークスに尋ねた。

『不備、ですか?どのような……』

『………………原因は不明だが。証拠品が別物とすり変わった。そういう事態だと思われる』

『し。し、し、し――…証拠品が、別物にすり変わったですとぉおおおおおっ!!?!』

裁判長が驚愕の声をあげる。頭頂部に乗せていたカツラがずり落ち、慌てて元の位置に戻した。目を閉じ腕を組んだままのバンジークスを、成歩堂とその助手はまじまじと見つめる。

『ぜ、ぜ……前代未聞です!!一体どういう事なのですか!?』

『先ほども言った通り、今、私の手元にある"コレ"は、どういう訳かこの審議に全くもって無関係なモノに変身してしまっている。まるで"すり替え"られたかのように』

『そんな…証拠の"すり替え"など、悪意に満ちた蛮行と言わざるを得ません』

ゆるゆると首を左右に振りながら呟く裁判長に、成歩堂はおずおずと背筋を伸ばし手を上げる。

『あのっ……!その証拠品を最後に確認したのは、いつのどこなのでしょう?』

『…オールドベイリー内の保管庫で、昨夜21時頃。その時点で不備もなく確かに揃っているのを私自身確認したからこそ、本日そのまま開廷に臨んだのだ』

『すると…一夜にして"すり替え"が行われた、ということになりますね』

『重要な証拠を"すり替え"など…バンジークス卿に恨みを持ち、失脚を企む者の仕業である可能性が高いのでは』

2人の会話を聞いていた裁判長が、いつになく真剣な様子で考えを述べる。それまで目を閉じていたバンジークスはすっと薄く開き、弁護席の成歩堂を見据えて呟いた。

『もしくは……被告人の有罪を望まぬ者の仕業か』

『バンジークス卿を恨んでて、被告人の有罪を望んでいない…そんな人物、存在し、て………?』

顎に手を当てて考え込んでいた成歩堂だったが、何やらただならぬ視線を感じて我に返る。しんと響く沈黙の中、裁判長が、バンジークスが、更に傍聴人らがこちらを見ている事に気付いて成歩堂は思わず身じろいだ。

『な――…なんで僕は皆さんから注目されているのでしょうか?』

『それは恐らく…先ほどの条件に成歩堂さまが一番当てはまるからかと』

傍らに立つ助手・寿沙都の言葉に、バンジークスは成歩堂を悠然と見下ろす。

『弁護士とは、依頼人でもある被告の有罪を望まぬものであろう?』

『それに、バンジークス卿の遠慮ない物言いに恨みを持っている可能性も…』

裁判長までも眉間にシワを寄せて呟き、堪らず成歩堂は振り上げた両手で弁護席を叩く――…ぺち、と迫力に欠けた音が上がったことに一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、構わずバンジークスに向かって叫んだ。

『ぼ…僕がそんな事をするはずがないでしょう!?第一…日本人である僕がオールドベイリーを出入りしていたら物凄く目立ちますし、それに僕は保管庫の場所すら知りません!!』

『そんな事――…そのように顔を赤くして叫ばずとも分かっている』

『………………………ハイ?』

『ごく軽いジョークすらも見抜けぬようでは、ここ大英帝国でやっていけぬぞ。矮小なる弁護士よ』

『………』

それってある種の八つ当たりではないのかと疑念を抱く成歩堂である。

『しかし。預かり知らぬ事とはいえ、"すり替え"に気付けなかったのは開廷前に確認を怠った私に責任がある……厳格たる法廷の流れを乱してしまったこと、深くお詫びする』

腕組みを解き、右手を胸にあてて深く頭を下げるバンジークス。謝罪する彼を責める人間は誰1人いなかった。

『顔を上げてください、バンジークス卿。貴方の事情は良く分かりました……証拠品提出の取り下げを承諾します。弁護士、よろしいですかな?』

『はい。構いません』

『結構。"すり替え"についてはまた後で調べるとして………これからどう審理を進めてまいりますかな?』

『………』

裁判長の問い掛けに、バンジークスが目を伏せ考え込んだ時だった。

『裁判長!証拠品が到着しました!』

唐突に扉が開かれ、駆け込んできたヤードが高らかに告げる。その言葉に法廷がざわつく中、証言台へ放り込まれたのは1人の若いメイドだった。呆然とした様子で立ち尽くすメイドに、バンジークスは珍しく驚いた表情で固まったのだった。



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