I want youの使い方

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本を持って逃げ出した子供は、やがてある建物の中へ入っていった。黄色一色に塗られた真四角の建物は、入り口にあたる部分にドアがなく、後を追って来た來も戸惑うことなく中へ飛び込む。入ってすぐ下へ降りる階段が真っ直ぐに伸びていて、子供が駆け降りていく後ろ姿がちらりと見えた。もちろん、すぐさま來も階段を駆け降りる。

「待っ………っ、わぁ!」

1階分ほど降りた時。突然頭上から影が落ちてきて、來は反射的にそれを受け止めた。腕の中へどさっと確かな質量で落ちてきたそれは……

「――……あ。あれ?」

ワインレッドの表紙に金の縁取り、大振りのシーリングスタンプが中央にあってその上に日本語のタイトル…"大英帝国の歴史"

「……………」

それは間違いなく、あの子供が持っていった自分の本だった。唐突に取り返した本を暫し無言で見つめていた來だったが、はっと我に返って辺りを見回す。階段を降りて辿り着いた場所は畳1畳分ほどの狭いスペースになっていて、目の前の壁に木製のドアが1つある以外はどこにも道はない。降りてきた階段も1本道だったし、あの子供はこのドアの先に逃げ込んだのだろうかと思い始めた時――…


コツ、コツ、コツ……



「………」

階段を1段1段踏み締める足音が背後に迫る。その音につられてゆっくりと振り返った來が見たのは……バンジークスだった。逆光を受ける長身が大きな影を生み出し、重苦しいほどの圧迫感が來を静かに飲み込む。そんな逆光が彼の表情を薄く照らし、無表情のままこちらを真っ直ぐに見据える瞳だけがきらりと光ってなんだか……怖い。すごく、怖い。

「…………」

階段を降りきったバンジークスが、來の目の前で立ち止まり、じっと見下ろす。ずっと続く無音に怯みそうになる心を宥めようと、持っている本を力一杯抱き締めつつ來は彼を見上げた。やがて、彼は疲れたように溜め息を1つついて、マントを軽く後ろへ払うなり徐にしゃがむ。

「………?」

目の前で跪くバンジークスを不思議そうに見ていた來だったが、彼が自らの膝上に一足の白いヒールを踵を揃えて置き、次に右手をこちらに向かって差し出す。何かを促すような仕草をまじまじと見つめ……次の瞬間、來ははっと顔を赤らめた。彼が膝の上に置いたのは、さっき自分が脱ぎ捨てたヒールで。それをこうやって差し出すその意味は――…!



靴を履かせてくれる。そういう意味だ。



『い、いいデス!!いーデス!ワタシ、出来ル!出来るマス!!』

バンジークスに向かって手のひらを左右にぱたぱた振って拒否する來。ただえさえお世話になっているというのに、自分が脱いだ靴を跪いてまで履かせてもらうなんてそんな事は出来ない。しかし…それまで無表情だったバンジークスがひくりと苛立たしげに眉根を寄せ、それを目の当たりにした來は「うっ」と言葉を飲み込んだ。彼女が黙り込んだのを見届けてから、バンジークスはゆっくり口を開く。

『そなたは、令嬢だ』

『…………』

『…分かったか?』

『―――………ハイ』

Ladyだからってなんでこーゆー扱いを受けるのが普通なのか、自分で出来る事は自分でするのが当たり前なんじゃないのかと色々思う事はある來だが、そういう考え方が"今の時代"の普通ならば従うしかない。がっくりと肩を落としつつ、來は恐る恐る片足を上げてバンジークスへ差し向けた。すると彼はそれをそっと優しく手に取り、汚れてしまった足裏をどこからともなく取り出した白いハンカチで丁寧に払う。想像以上に丁寧すぎる扱いに、來はひたすら小さくなるしかない。

『………ケガはないな』

汚れを払ってから、來の足先をつぶさに見つめて呟くバンジークスの言葉を理解出来ないまま、白いヒールは定位置へ戻った。もちろん、もう片方も同様に汚れを丁寧に払い、ケガの有無を確認してからヒールをそっと履かせる。無我夢中だったとはいえ、とてつもない事をさせてしまった罪悪感がちくちくと來の胸を苛んだ。

『…………ごっ』

『…?』

『ゴメンナサイ デス……』

立ち上がったバンジークスに、俯いて小さな声で謝罪する來。彼はちらりと一瞥して『いや』と短く応える。それと入れ替わるようにこちらへやってくる人の気配に気付いた2人は揃って入り口を見上げた。ラディとノーラだ。

『こちらでございましたか、御主人様』

『あぁ』

『……それにしても。まったくこの娘は何というっ――…!』

『よい、ラディ。本人も反省している』

目尻を吊り上げて來に詰め寄ろうとしたラディを、バンジークスは視線だけで制した。主人の嗜めにラディは渋々と従って口を噤むが、咎めるような視線だけはじろっとこちらを見据える。來はますます縮こまるのだった。

『御主人様、あの子供は…?』

『分からぬ。しかし…追従した彼女がここにいる以上、この場所に来たのは間違いないだろう』

『では…そのドアの中へ――…』

ラディがそう言いかけた時、來の背後にある木製のドアがキッと小さく軋み、ゆっくり…そしてうっすらと開いた。意味深なタイミングに、一同はひとりでに開いたドアに注目する。

『…招かれているようだ』

バンジークスが目を細めて呟く。ラディが『失礼』と断りを入れながら足早にドアへ近づいて、そっと押し開けた。來は中を見ようと背伸びをしてみたが、ラディの体に遮られてなかなか見えない。そうしてドアを開けたラディだったが、そのままの姿勢で固まってしまった。

『ラディ?』

『………………っ!も、申し訳ありません。只今…』

バンジークスの呼び掛けに、呆然と立ち尽くしていたラディはすぐさまドアを大きく開いて中へ入ると、入り口が閉じられないようにドアを支える。そうしてようやく見えた室内に、來は目を丸くした。



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