I want youの使い方

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蒸気機関車が吹き上げる黒い煤が、空に向かって高く立ち上る。

停車した黒い車体から、來はバンジークスと共にプラットホームへ降り立った。



***



バンジークスのエスコートで駅構内から外へ出た來は、ロンドンとは違う景色を物珍しそうに見渡した。ロンドン中心部よりも小さな規模の街だが、鉄道が通っているからか寂れた様子はなく、それなりに賑わいを見せている。そんな雰囲気を暢気に味わう來とは対照的に、バンジークスは真顔でラディをちらりと見た。

『………して。ここに例の能力者が住んでいるのか?』

『………恐らく』

主人の問いかけに対し曖昧な答えを口にしたラディに、バンジークスは微かに怪訝な表情になる。主の変化に、ラディは己の胸に手を当てると『申し訳ございません』と恭しく頭を下げた。

『なにぶん、"かの方"は謎が多すぎまして…この街で会ったという証言が、唯一マシな情報でした』

『……その者の名は?』

『不明です。"かの方"としか…』

『まぁ!そう言われれば、アタクシもお噂はかねがね聞きますが、お名前は"かの方"としか知りませんわ』

2人の使用人が口を揃える。バンジークスはますます表情をしかめた。

『ならば、年齢は?』

『不明です』

『性別は?』

『不明です』

『……住んでる場所も不明か』

『この街で遭遇したという情報以外は何も』

ラディの答えにバンジークスは重く溜め息を吐き捨てる。彼らの会話についていけない來は、周囲をぼんやりと眺めた。

「………?」

來は、1人の子供がじっとこちらを見つめている事にふと気付く。わりと近い距離にいる子供の存在に若干面食らいつつ、來もまたじーっと子供を見つめた。

……10歳くらいだろうか。鳶色の大きな瞳は目尻がきゅっとつり上がっていて、さらりとした金髪は耳の下あたりでキレイに切り揃えられている。いわゆる"おかっぱ頭"という髪型で、女の子かと思いきや着ている服は仕立てのいいブラックスーツだ。何というか、見ていると男の子なのか女の子なのか分からなくなってくる。

それに、よくよく見れば整った顔立ちをしていて大人びた印象を受けるが、半ズボンからすらりと伸びる華奢な足が幼げで可愛らしい。先程から無言でまばたきもせずにまじまじと見つめてくる子供に、來は小さく笑いかけてみせた。子供心に、日本人が珍しいのだろうか。そんな推測が脳裏に浮かんだ時だった。

『………』

子供がもぞりと身動ぎ、どこからともなく1冊の大きな本を取り出すと來に見せつけるようにその表紙を向けてくる。唐突すぎて思わずきょとんとしてしまったが、何だか見覚えのあるそれを暫く見てから――…來ははっと目を剥いた。

ワインレッドに金の縁取り。

中央に大振りのシーリングスタンプ。

そのすぐ上に記されたタイトル。

日本語の書体で――…



"大英帝国の歴史"



「ああああああああああああああああぁーーっっ!!」

『っ!?』

いきなり、そして思い切り叫ぶ來に、傍にいるバンジークスは慌てて振り向く。どうしたと尋ねる前に子供の姿が見え、さらにその子が手にする本に気付いてはっと目を瞠った。

「ちょ、ちょっと!それ……あーー…

ソレ!ほん!ワタシの!』

思わず出た日本語に我に返った來は、改めて拙い英語を口にする。すると子供は本を胸に抱え込むと、そろそろと後ずさり始めた。逃げる素振りに、來は顔色を変える。

『ワタシが、本、返ス!』

『………ミス・イチガヤ。文法を、間違えている』

バンジークスがやんわりと指摘する。彼の発言に一瞬考えを巡らせた來だったが、すぐさま口を開いた。

『………ワタシを、本、返すマス』

『違う』

『―――…本、ちょーだい!!』

『………まぁいい』

最終的に辿り着いた彼女の答えに、バンジークスは投げやりげに頷く。しかし子供は來達をじっと見据えたまま後ろへ下がっていき…次の瞬間、ぱっと体を翻して駆け出した。

『ま、待って!ソレ、ちょーだい!……ひゃあ!?」

追いかけようと1歩踏み出した來だったが、すぐさま躓いて体が傾く。淑女スタイルなのか、今回だけは靴ではなくヒールを履いているせいでますます歩きにくい。バンジークスが素早く彼女を支えてくれたお陰で転ばずに済んだが、來は礼を言うのも忘れ立ち去ろうとする子供を必死な形相で見る。子供は少しだけ離れてからまたこちらを振り返り、抱える本を見せつけるように掲げた……"これがどうなってもいいの?"と言わんばかりの行動に、來はむっと頬を膨らませる。

「…………んもぅ!」

來は日本語で悪態を吐くと羽飾り帽を毟るようにして取り、次にヒールを手早く脱いでそれらを傍にいるバンジークスに押し付けてから、長いスカートの裾を持って一目散に子供めがけて走り出した。石畳の道を裸足でぺたぺたと駆け出す彼女の姿に、バンジークスは押し付けられた帽子とヒールを手にしたまま呆然と見送る。彼女の戸惑いのなさに、異議を唱える考えすら浮かばなかった。

そして子供はというと、追いかけてきた來に驚いた素振りすら見せず、無表情のままくるりと背を向けて今度は全速力で走り出した。

「待ちなさいよドロボー!それ絶対私のでしょー!?」

意外と早い子供の足に、來はますます苛立ちを深めて日本語で叫ぶ。これ以上自分の"財産"を盗られるなんて、絶対嫌だ!強い決意を全身にみなぎらせて、來は逃げる子供を追い駆けた。





『……なっ、な、なっ―――…っ!何たる事を!!あれでは淑女ではなく野ザルですぞ!』

『…まぁ、正確には彼女は淑女ではないが』

『だからといって裸足で走るなど…!あぁもうありえません!ありえませんぞーっ!!』

両手で頭を抱えて狼狽えるラディをふっと鼻で笑ったバンジークスは、足早に來の後を追い始める。そうしてようやく使用人2人もわらわらと彼らに従ったのだった。



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