I want youの使い方

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しんしんと雪が舞い散るロンドンの静かな夜道を、眉間の中心に大きな刀傷を刻んだ男が1人歩いていた。



***

白く積もった雪を、黒く艶やかなブーツがさくさくと踏みしめる。ブーツと同じ艶のある黒いトップハットと膝までゆったりと覆うマントにも雪は音もなく舞い降りる…が、男は気にせず夜道を無言のまま歩いていた。

やがて。立派な門構えの屋敷の前で立ち止まると、そこに用があるのか門扉でもある鉄柵に手を掛ける。しかし、男は開ける前にふとした様子で地面に視線を向けた。右側の門柱の下に、不自然なほどこんもりと雪が積もっている。男は反対側の門柱と見比べてみたが、その積雪の差は歴然としていた。

「………」

視線を再び右側の門柱下に向けた男は、すらりとした長い足を軽く上げ、ブーツの先で雪を少しだけ払う。すると雪の中から何やら指先が現れ、男は驚きもせずその切れ長の瞳をすっと細めて見つめた。そして、今度はしゃがんで手で直接雪を払う…と、黒髪の、背格好からして少女がうつ伏せで倒れている姿が出てきた。ぴくりとも動かない体を男は静かに見つめていたが、やがて己の胸の前で十字架を切り、少女の体を仰向けに返す。東洋系の顔立ちがひどく幼く見えて、男の表情が一段と険しくなった。

あらゆる分野で世界を牽引する超大国、大英帝国に憧れや羨望を抱く者は多い。が、富の恩恵を受けているのは全体の約5%。そんなきらびやかな世界を支えるのは恩恵に与れない労働階級者達で、更にそこから外れた者はこうやって惨めに死んでいく…それが大英帝国の現実だった。彼女も夢や憧れを抱いてやって来ただろうに、無慈悲な現実に負けてしまったのだろう。

男は物言わぬ彼女の両手を取ると、そのほっそりとした指を祈りの形に組ませ、薄い胸の上に置いた。慎み深い東洋人にしては…何と言うか、随分と奇抜な格好をしていると男は感じた。顔も体格も女性だ。が、着ている服はブレザー…男性が普段着る服で、しかもネクタイまで締めている。しかも下はスカートで、丈は膝が見えるほど短い。肘や足を人前で露にする事は卑猥とされているロンドンの感覚からすると、彼女の格好は非常に異質だった。

いわゆるWhore…売春婦だろうか。男がそんな可能性を考えた時――…



「うっ――…」



少女の唇から小さな呻き声が漏れ聞こえ、男ははっと瞳を見開く。眠るようだった彼女の表情が、少し苦しそうに歪んでいた。左の手袋を外して、男は手のひらを彼女の口元近くに翳す。微かだが、確かな呼気の気配を手のひらに感じた男の、次からの行動は早かった。ぐったりとした少女を軽々と抱き上げ、立ち上がり…彼女の持ち物らしいトートバッグに気付いてそれも拾うと、先程の門扉を押し開けて足早に屋敷の中へと消えたのだった。



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