I want youの使い方

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到底信じる事など出来ない展開に呆然と立ち尽くす來だったが、さくさくと雪を踏みしめてこちらへ近づいてくる気配を察して、はっと身構えた。目を凝らしてよく見ればそれは明らかに人影で、オレンジ色の街灯にふわっと浮かぶ白のシルクハットと黒いコートから察するに男性だと來は思った。

……こうなったら、コミュニケーションを取るしかない。

未だ理解出来ないこの状況を打破したい一心で來は腹をくくり、思いきってシルクハットの男性の前へと飛び出した。

「す、すみませ………あっ!え、えーー…エクスキューズミー!!」

思わず日本語を口にした來だったが、男性の顔を見るなり慌てて英語で言い直した。シルクハットから覗く金髪にブルーの瞳という彼は、どう見ても日本語が通じそうにはない。突然真正面に躍り出てきた來を、男性は険しい表情でじろじろと頭から足元まで見てくる……怪しまれているのは百も承知。英語は死ぬほど苦手だが、もうここまで来たら若さと勢いで突っ走る!――…と、來はぐぐっと決心を強めて口を開いた。

「ぷ、プリーズ、ティーチミ〜〜…トゥデイ イズ…………………」



――…1900って、英語で何て言うの?


ふと脳裏に浮かんだ疑問に、來は口を開けたまま言葉を失う。100はワン・ハンドレットで、1000は……?

「………」

男性の視線が更に険しさを増す。深まるばかりの不信感に來は固まったまま心臓だけをばくばくさせていたが、手にしたままの新聞紙を思い出し、それをばっと男性の眼前へ突き付けた。相手はびくっと後ずさるものの、來は構わず続ける。

「トゥデイ イズ……ディス?」

問い掛けつつ、來は突き付けた新聞紙の隅…年月日の部分を指で示す。正しくない英会話だろうとは思いつつ、それでも通じている事を願って來は男性を必死の思いで見つめた。

そして男性はというと、険しい表情を崩さず來を睨み付けるように見ている。が、やがてフッとバカにしたような笑みを1つ投げて寄越したかと思えば、何やら早口で日本語ではない言葉を喋りだした。が、來には何と言っているのか分からず、きょとんとするしかない。すると男性は襟元あたりをさっと撫でて後ろを向き、すぐさま優雅な身のこなしで正面を振り返って両手を構えるように掲げた。

そして

「Yes」

…と、きっぱり一言。そしてそれだけを言い終えるなり、正面の來を避けて先へとスタスタ歩き始めた。少しだけぽかんと呆けていた來だったが、はっと我に返ると慌てて歩き出した男性の後を追いかける。

「うッ、ウェイウェイ、ウェイトッ!ウェイト!!」

「………」

來の叫びに男性はぴたりと立ち止まった。そして、ゆっくりとこちらを振り返り……ものすごく怪訝そうな表情で睨みつける。不機嫌さを顕にする男性の元へ猛然と駆け寄った來は、もう一度新聞紙を突きつけて先程と同じ場所を指差しす。

「……リアリ〜??あーー、リアリー…ワン、ナイン、ゼロ、ゼロ イヤー……ナウ?」

拙すぎる問いかけに暫く無言でいた男性は、体をすっすっと華麗に左右へ揺らしてから両手を高く掲げ、情感を込めるようにゆっくりと広げてみせた。

そして

「Yes」

と。はっきり断言するなり今度はすぐさま背を向けて、足早にその場を立ち去ってしまった。あっという間にいなくなってしまった男性を、今度は追いかけずに黙って見送る來。己の下手くそな英会話でもなんとかコミュニケーションが取れた達成感に、思わず頬を紅潮させ……そして問題の本質に気付く。來の質問――…今は1900年なのか…――に対し、彼はYesと断言した。この新聞紙はやはり、アンティークな新聞などではなく今現在のモノなのだ。

「………って。んな馬鹿な!!」

納得しかけた自分にツッコミをいれて、來はブンブンと頭を横に振る。テレポートならぬまさかのタイムワープだなんて…大体の事が科学で証明されつつある2015年を生きる自分が、そんな超人的な展開を認める訳にはいかないのだ。

絶対に認めるわけにはいかないのだ。いかないのに……

その後、ここを通りかかる人全員に「エクスキューズミー!」と突撃した來だったが、10数回目のコミュニケーション終了時には、ぐったりとした表情で疲労の濃い溜息を深々と吐いた。時には無視されたり、嫌そうな顔で逃げられたりしたものの、それらを除いた全ての人が

「Yes」

と、來の質問に対し真剣に頷いたのだった。つまり…本当にここは西暦1900年。自分がさっきまで歩いていた2015年から115年も前の昔の……街の雰囲気的に恐らくイギリスか。老若男女いろんな人に訪ねたが、日本人なんて1人も会わなかった。それに、会う人会う人の格好が…どう見てもイマドキでないというか近世ヨーロッパ的な服装ばかりで、同じ"洋服"とはいえ現代の学生服を着ている自分はここでは非常に浮いている感じがした。

「………さ、寒いーっ!」

身を切るような寒さが、ふと思い出したかのように來の肌に食い込んできて自分の体を力一杯抱き締める。元いた世界ではもうすぐ冬だなぁと感じ始める秋の終わりで、本格的な寒さはまだまだ先だった。今の格好はブレザーの制服と黒のハイソックス。寒がりの自分はヒートテックに手袋も身につけているが、この寒さはかなりキツイ。大袈裟でもなんでもなく、凍死してしまいそうだ。

疑問は何1つ解決されてないが、ひとまずどこか暖かい所へ避難しないと……歯の根をがたがた震わせながら來はきょろきょろと辺りを見回した。

その次の瞬間――…

「きゃ!?」

赤ら顔の男が、何やらダミ声で捲し立てながら來の肩に腕を回してきた。にやにやと薄気味悪い笑みを浮かべながら來を上から下までジロジロと見つつ、べらべらと一方的に喋ってくる…が、やはり何を言っているのか分からない。辛うじて聞き取れたのは「オリエンタルなんたらかんたら」とか、後は「ホア」という言葉をやたらと繰り返してくる。後はギニーがどうとかペンスがどうとか……

「そ、ソーリー。あー、アイドンッ、ノー」

來は愛想笑いを口元にひくつかせながら、おずおずと男から離れようとする。しかし男は、肩に回したままの腕で來をぐいっと引き寄せた。密着したはずみで男の口臭が鼻先を掠め、その異臭に思わずぐっと顔をしかめる。

男はニヤニヤと笑いながら、來をそのまま腕で抱え込むようにして歩き始めた。為すすべもなく連行される状況に、來は「す、ストップ!ストップ プリーズ!」と必死に連呼する。よく分からないが、何だかとても嫌な予感しかしない。

そうやって小さく抵抗する來を男はニヤリと楽しげに――…むしろ加虐的な笑みで見下ろすなり、肩に回していた手でむんずと彼女の胸を鷲掴みにした。それはもう思いっきり、遠慮なく揉みしだいてくる。

瞬間――…

あれだけ冷えきっていた身体の芯が、突如カッと燃え盛るように熱くなった。

そして……

「やめろっつってんだろこのエロオヤジがぁあああ!!!」

怒鳴りながら手にしたままだった"大英帝国の歴史"の本で、男の横っ面を盛大に張り倒す。分厚い本から繰り出された渾身の一撃は、不意討ち効果もあって男を見事吹き飛ばした。ずさぁっと無様に雪の中へ転がっていった相手を、來は眉をつり上げたまま荒く呼吸を繰り返しつつ見つめる。

「……Fack…!」

「!」

男がゆらりと立ち上がる。ニヤニヤした表情から一転して憤怒の形相で來を睨み付けながら薄汚れたコートのポケットをゴソゴソと探りだし……

「…I'll kill you……You shall die!!」

唾を散らしながら絶叫した男は、ポケットから小さな木片を取り出したかと思えば、折り畳まれていた刃を片手でぱちんと開いた。そんな残忍な輝きを目にした瞬間、あれほどたぎるように熱かった血潮が急激に冷える。折り畳みナイフを手にゆっくりと近寄ってくる男に、來は背を向けると一目散に走り出した。

「Fack!You shall die!!」

「ノー!ノー!!ノォオオ!!へっ、ヘルプ!!ヘルプミィー!!!」

脱兎の勢いで逃げながら、來は声の限り叫んだ。



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