神様の言う通り

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月の煌々とした光が、廃墟となった工場跡を照らし出す。

舞はその青白い明かりだけを頼りに、目に涙を浮かべながら際どく迫りつつある危機から必死に逃げていた。



***



自分が住むアパート前まで送ってくれた御剣と別れた直後、突然男に力づくで車に押し込まれ、そのままこの工場跡へと拉致された。これまで散々に命の危険を指摘されていた舞は、拉致されただけでは済まないと勘づき、車が工場跡に到着すると同時に後部座席から外へ逃げ出した。イチかバチか…足に自信のない彼女は、袋の鼠になると分かって敢えて工場跡へと逃げ込む。隠れる場所のない道をまっすぐ走るより、障害物の多い建物内がまだマシに思えたのだ。

月明かりに照らされた工場跡は、時の流れに取り残されたように静かに、そして不気味にそびえ立っている。舞は月明かりだけを頼りに逃げ回っていた。あらゆる形が黒い影となって佇む景色に怯える余裕すら、彼女にはない。恐怖で押し上げられる涙で視界がぼやけないよう、舞は唇を引き結んで必死に逃げ続けた。

「…うぅ」

金属製の床を踏み鳴らすカンカンという無機質な足音が自分に迫るのを感じ、思わず嗚咽が漏れ出る。

……何故、自分はこんな目に遭うのだろうか。彼…御剣が言うように、あの殺人事件の手がかりを自分が握っているからなのか――…?皆目見当がつかない追われる理由を考えながら全力で逃げ続ける舞。酸欠を訴える脳の中心から、ガンガンとした痛みが響いてくる。それでも彼女は逃げる足を止める事はしなかった。

怖い。怖い。1人なのが怖い。誰も助けてくれないのが怖い。攫われた時、車の後部座席から最後に見た外の様子は、こちらへ走ってくる御剣の姿だった。いくらなんでも人の足で車を追えるとは思えない。コインパーキングに停めてきた赤い車まで戻って追ってくれているのだとしても、そのタイムロスはどうしようもない。今、自分は1人。助けてくれる人は、誰もいないのだ。

「あうっ!!」

僅かな段差が舞のつま先を捉え、転ぶ。金属の床にしたたかに頬をぶつけ、砂っぽい感触が鼻先を掠めた。恐怖か、体力の限界を訴えているのか、起き上がろうと床に付いた腕ががくがくと震えている。その瞬間、ずっとつきまとっていた足音が消え、代わりに影が背後から自分に覆いかぶさってきた。

「………」

恐る恐る、舞はゆっくりと背後を振り返ると、蹲る(うずくまる)自分を見下ろす男の姿があった。青白い月光を受け、男の瞳がぎらぎらと光っている。はぁはぁと肩で息をしながら、舞は起き上がる事も出来ず、ただただ男を見上げていた。

「――…お前が悪いんだ」

男が小さく呟く。静まり返った工場跡の空気は、その小さすぎる呟きを逃す事はしなかった。

「お前が悪いんだぞ…あの夜、僕を見たお前が悪いんだ。僕は悪くない。お前が悪いんだ。お前が、お前が悪いんだぞ」

「………」

まるで己に言い聞かせているような独り言を、舞はまばたきもせず無言で見つめる。やがて…目をぎらつかせる男は、ゆっくりともう1つのぎらつくモノを振りかぶる。白く輝くそれは、ナイフだった。ナイフだと認識しても尚、舞は動けなかった。倒れたと同時に、逃げる気力も倒れてしまったのだ。

「お前が悪い。お前が殺されるのも、お前のせいなんだ――…!」

「っ…!!」

男の頭上まで上がったナイフは、次の瞬間、舞に吸い込まれるように一気に振り下ろされる。視界に勢いよく切り込んでくる白い刃に、彼女は両腕で自分の頭を抱えると固く瞼を閉じた。



自分を貫くであろう、痛みと衝撃を想像し

その先にある、血まみれの自分の姿を想像し

…それを見た時の、彼の表情を想像して

彼の…

彼――…



「っ……いやだぁあああ!!御剣さぁあんっ!!!!」



攫われる間際に後部座席から見た、追いすがろうと掛けてくる御剣の表情を瞼の裏に見て、舞は声の限り絶叫する。

そして、全身が衝撃にどすっと揺れた。



***
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