神様の言う通り

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そして。

私は、駆けた。



***



車のタイヤがブレーキに噛まれて、甲高い悲鳴を上げる。ギキィッと一際大きく鳴いて、つんのめるように荒々しく止まった赤い車から、私は転がり出るようにして降りた。ドアすら開けっ放しにして、成歩堂の事務所がある雑居ビルの階段を駆け登る。



【舞ちゃんに、車がぶつかって――!】



「……っ!」

みぬき嬢の切羽詰った言葉が鼓膜に蘇り、内臓がぐんと冷える。私は、鷹宮さんから教えてもらった退勤時間……18時に迎えに行ったのに何故、彼女は自動車事故に遭ったのか。コンビニ店内に車が突っ込んだ様子はなかった。ならば昼休憩で外に出た際に――…いや。イトノコギリ刑事に彼女の周辺を警戒してもらっているのだ。それで万が一事故に遭ったとして、連絡が今になるのはおかしい。しかも、連絡は刑事からではなくみぬき嬢からだ。これは一体どういう事なのか…

脳裏を駆け巡るあらゆる推論に翻弄されながら、私はただ一心に事務所を目指した。急かされた心臓が激しく脈打ち、はっはっと短く乾いた自分の呼吸音がうるさい。事務所がある階まで登りきって、廊下をまっすぐに駆ける。病院ではなくここに来いと指示されたから、命に別状はない…のだと思いたい。しかし、守ると誓っておきながらこのような目に遭わせてしまうなんて――…!誰よりも、何よりも守りたいと、あれだけ……っ!

成歩堂の事務所のドアが見える。私は無我夢中でドアノブを掴むと、ノックもせずばたんと力任せに押し開けた。

「っ!」

息を切らせたまま中へ入ると、成歩堂本人を始めとした事務所の面々が、一斉に私に注目する。そしてその中央に、鷹宮さんが椅子に座っていた。彼女のまた驚いた表情でこちらを見ている。



無事、だったのか――…?



「…………、……〜〜」

安堵感と、そして走ってきた事による疲労感がどっと一気に押し寄せ、私は何1つ言葉を発せないまま、切れ切れの息を整えようと何度も深呼吸を繰り返していた。

「早かったな、御剣」

未だに荒い呼吸を続ける私に、成歩堂が声を掛けてくる。それに「あぁ」と頷くと、鷹宮さんの状態を確認するべく、もう一度彼女に視線を向けた。額左側に大きな絆創膏が貼ってある以外、目立った外傷はなさそうだ。しかし、頭を打ったという事ならば…

「病院には――…」

「…大丈夫です。その、擦りむいただけですから」

私の問いかけに、鷹宮さんが答える。しかし、表情を強ばらせて私に顔を向けようとしない。いつもと違う様子に、不審感からふっと眉根を寄せた時だった。

「……御剣検事局長!そのっ…す!すみませんでしたぁっ!!!」

「ム」

突然、王泥喜弁護士が私に向かって勢いよく深々と頭を下げてきた。大声で謝罪されて、眉間にシワを寄せたまま今度は彼を見る。

「咄嗟だったとはいえ、考えもなしに俺が鷹宮さんを突き飛ばしてしまったから――…!」

「……………何?」

「あ。違う違う。御剣。オドロキくんが彼女を突き飛ばしてくれたから、擦り傷で済んだんだよ」

王泥喜弁護士の言葉に、思わず怒りが滲んだ私の声を察して、成歩堂が割って入ってくる。

「どういう事だ、成歩堂?」

「みんなで事務所の買い出しに夕焼け駅辺りへ出てたんだ。そしたら、鷹宮さんが歩いているのを見かけて――…」

「それで…みぬき、声を掛けようとしたら、オドロキさんが突然、舞ちゃんを突き飛ばして……でっ、でも!そのすぐ後に車が突っ込んできたんです!」

「私達の中で最初に車に気付いたのが、先輩だったんです!あの時、先輩が動いてくれなかったら、鷹宮さんは絶対轢かれてました!」

「……と、そういう訳なんだ。御剣」

「………」

みぬき嬢と希月弁護士の必死な説明を受けて、私はもう一度鷹宮さんを見た。彼女はまだ緊張した面持ちのまま、こちらを見ない。

「成歩堂。その事故があった時間帯は、何時頃だったのだ?」

「えっーと……何時だったっけ?」

「うーん、確か17時40分は回っていたと思うけど…」

成歩堂の代わりに答えたみぬき嬢の言葉を、私は彼女を見つめたまま聞く。

「――…鷹宮さん。私は君から18時頃に退勤・帰宅する旨を聞き、コンビニへ行った。しかし、その時間よりも前に、君は駅近くにいた」

「………」

鷹宮さんは何も答えない。無言のままの彼女から、その足元へ視線を下げる。そこには彼女の私物が入ったカバンが置かれてあった。

「――…カバンを持って駅近くを歩いていた。君は、帰宅途中だったのではないか?」

「………」

「私に、嘘の退勤時間を伝えて…1人で帰ろうとしたのではないか?」

「…………ごめんなさい」

私の問いかけに肯定も否定もせず、鷹宮さんは一言そう告げる。こちらを見ず、伏せ目がちに呟いた彼女の姿が、酷く素っ気ないものに感じ――…途端、後頭部に怒りの感情がカッと熱く焼け付いた。



「―――…何故1人で帰ったりしたのだっ!!!」



私の怒声に、事務所のガラス窓がビリっと揺れたような気配を感じる。成歩堂らが目を丸くする中、鷹宮さんだけは体を一度きりびくりと震わせたものの、やはりこちらを見てはくれなかった。その態度が、ますます怒りを逆撫でする。

「君が置かれている状況については、昨夜説明したはずだ!なのに何故、このような行動を取ったのだ!?危険だと言っていただろう!」

「………」

「それとも、まだ偶然だと思っているのか!?自分は死なないとでも思っているのかね!?」

「――…」

「君はこれまで危険とは無縁の生活を送ってきただろうが、世の中には信じられないような事件が毎度毎度、数多く起こっている。私は幾度となくそれを見てきた。そういう経験を踏まえて、危険だと君に警告したのだぞ!?分かっているのかっ!!」

怒鳴る私に、鷹宮さんは何も反応を示さない。事務所に来た時からずっと。姿勢すら崩さない彼女に、更に苛立ちがこみ上げてきた時だった。

「………!」

息を、飲む。

一枚絵のように動かない鷹宮さんの瞳から、一筋の涙が音もなく頬を伝っていくのを見て



――…私は、愕然とした気持ちと共に、我に返った。



***
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