神様の言う通り

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翌日。

私は執務室のデスクに着席し、とある書類に目を通していた。



***



検事から局長へ立場が変わるのと同時に執務室も局長室へと変わった訳だが、こうやって書類を読む時だけは以前の…局長室より狭い1202号室にいるような錯覚に陥る。立場が変わっても仕事内容が変わっても、自分はやはりいち検事なのだと思い知らされる。

今読んでいる書類は、現在捜査中の事件に関する供述調書だ。記述されている内容から自分が疑問に思った点や、再捜査した方がいい箇所、特に慎重に調査した方がいい箇所等を現場の捜査員に指示する。もちろん、全事件に対してそういう事をする訳ではない(いくら私でも、物理的に不可能だ)ここに届けられる調書は、事件の中でも特に捜査が難航している案件だ。

検事局長ともあろう者がいつまで現場に出しゃばるのだとか、局長本来の業務をないがしろにしているだとか、色々と良く思っていない連中がいるようだが、そんな批判を気にしていては事件解決が遅れるだけだ。不満を直接私に言わず、遠巻きにこそこそと吠える彼らの戯言に貸す耳など、私は持ち合わせていない。

「………」

ぱらりと書類をめくる。捜査が難航する案件というのは、意外と少ない。イトノコギリ刑事を含め、捜査員の質も上がってきているし(それでも信じられない見逃しやポカはままある)それに検事にも優秀な連中が揃っている。にも関わらず、捜査が思うように進まないのは…その事件自体が複雑で、一筋縄では行かないようなモノばかりだからだ。捜査が難航すれば時間が掛かり、時間が掛かれば証拠が風化し、証拠が風化すれば解決がより困難になる。私が介入する事によってそれが進展するなら、多少の批判は痛くも痒くもない。

ぱらり。2枚目の書類をめくる。今、目を通している調書の案件には覚えがあった。2、3ヶ月ほど前だったか…イトノコギリ刑事が現場検証している時、たまたま出勤途中の私が通りかかったからだ。その際、簡単にだが事件の概要について報告を受けている。それにしても…あの件の捜査が難航しているとは。

――…事件は殺人で、絞殺された女性の死体が朝日通りの住宅街で発見された。現場検証の結果、殺害場所は別にあると判断され、その場所も特定されている。更に言うと、犯人も特定されている。通常なら既に逮捕起訴されて解決しているはずの案件なのだ。

…なのに、未だに解決出来ずに捜査が難航しているのは――…犯人と目星を付けた男にあった。被害者の夫なのだが、ギャンブルによる多額の借金があり、動機は妻…つまりは被害者の保険金目当ての線が濃厚と見られている。そして殺害現場と特定された場所からは、この夫の所持品が発見されていて、更に彼には被害者死亡推定時刻の時のアリバイがない。もうこれはこの男で決定だろうと、誰の目にも明らかだった。私から見てもそう思う。



しかし…

殺害現場と死体発見現場の間には大きな川があり、掛かっている橋には防犯カメラが設置されているにも関わらず、男がそこを通った映像が残されていないのだ。



映像データが破棄されたとかいう話ではなく、事件当日の映像に男が映っていない。殺害現場へ行く姿も、そして死体を運んで帰ったであろう姿も。川の深さは3mほどで1人ならいざ知らず、死体と共に渡るのは不可能だ。故に現場を行き来するには、この橋を絶対に渡らなければならない。ならないのに…渡った形跡が見当たらないのだ。

男はそこを指摘し、現場には行っていないと主張。殺害現場で発見された所持品については"妻がうっかり持ってたんでしょう"などとのらりくらり躱しているらしい。動機、アリバイ…それらがこの男が犯人だと指し示しているのに、たった1つの映像が事件を難解なものにしているのだ。

「…全く」

溜息混じりに愚痴が零れる。私が手にする調書からは、事件が進展しない苛立ちと、犯人と目されている男への罵詈雑言が、これでもかと文章から溢れ出ていた……イトノコギリ刑事の口調で。

「あの男は、調書1つも満足に書けないのか」

何年刑事をやってるんだと舌打ちした時、デスクの上の電話が鳴り、私はすぐさま手に取った。

「何だ?」

『所轄署のイトノコギリであります。局長、今、お時間よろしいッスか?』

「ム。私も君に一言言わねばと今――…」

眉間にシワが寄るのを自覚しながら口を開いた私だったが、イトノコギリ刑事がそのまま先に話を続けた。

『昨日、局長に指示されて預かってる自転車ッスけど』

「………鷹宮さんのか?恐らく今日、彼女が退勤次第、そっちに取りに行くはず――…」

『その…自転車がちょっと』

「どうかしたのか?まさか…壊したなどと言うつもりではあるまいな?」

『ち、違うッス!確かにあちこちぶつけて凹んでるみたいッスけど、自分が取りに行った時には既にそんなカンジだったッス〜!』

必死に自分の無罪を訴えるイトノコギリ刑事の言葉を耳にしながら、ふと昨夜の出来事が脳裏に蘇る。穏やかで温かく、そして――…少しだけ苦しかった彼女との時間。胸の奥で控えめに輝くアンティークの宝石のような記憶に目を細め、私はその時交わした鷹宮さんとの会話を思い出していた。



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