神様の言う通り

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考え、悩む事は色々とあるのに。

私の頭を占めるのは、ただ1つの事だった。



***



執務室のデスクで、私は頬杖を付きながら手にした書類を眺めていた。検事から検事局長へと立場が変わるに伴い、長年根城にしていた1202号室は検事局長室へ移動となった。当然、部屋が変われば内装も変わる訳だが、成歩堂曰く、「雰囲気は前と一緒」らしい。

「………」

書類を眺めながら、溜息が漏れる。書類に不備があった訳でも、書かれた内容が悪かった訳でもない。はっきり言うと、私は書類を眺めているだけで読んではなかった。景色を遠く眺めるように、ただ視線の先にあるだけの書類をぼんやりと見ているに過ぎない。



こうやって、私の仕事を中断させてしまう原因。それは……数日前に立ち寄ったコンビニで出会った彼女にある。



あの数分にも満たないやりとり以降、私の思考は完全に…いや、99%は彼女の事で占められ、残り1%で(かろうじて)仕事をしている。我ながらなんという体たらくだ。ふっと気を抜いた瞬間を見計らったように、彼女が脳裏に蘇り、その度に胸の奥がざわついて彼女の事ばかり考えてしまう。

何故、彼女の事ばかり考えてしまうのか。

彼女を思い返すたびに、何故そわそわしてしまうのか。

……それが分からないほど、私ももう子供ではない。



驚く事に…

あの一瞬とも言える出来事を通じて

私は、あの女性に恋をしてしまったのだ。



「………」

もう一度、溜息が口を付いて出る。何故このような事態になってしまったのか分からない。世の中に"一目惚れ"という言葉があるのは知っているが、よもや自分の身に降りかかって来るとは思いもよらなかった。まさしく、青天の霹靂だ。

あの時の自分はありえないくらい疲れていて、そんなタイミングで「大丈夫ですか?」と気遣いの言葉を掛けられたが故の、単なる錯覚に違いないと、私は一生懸命この感覚を否定した…当初は。

手負いの獣を手厚く保護し、結果その獣が懐くというのは往々にある話で、私はその手負いの獣だったのだ。誰にでもする接客のやりとりだけで、恋心を抱くなどありえない。どれだけ女に飢えているのだ自分は――…いや、確かにここ最近はそのようなアレに縁遠かったのは事実だが、こんな事で…たったこれだけの事で恋に落ちるなどあるはずがない。

更に言えば…彼女の年齢も、己の感情を拒もうとした原因の1つに含まれていた。正確な年齢はもちろん知る由もないが、見た目から恐らく…20歳前半。34の自分より一回り程年下なのではないか。いや、もしかしたら19歳の未成年という場合もあり得るかもしれない。それほどに彼女は若く見えた。これはかなりやばい。自分にそのような趣味があったのかと愕然すらする。

違うのだ。恋だの好きだのありえない。錯覚なのだ。

…そうやって繰り返し繰り返し、言い聞かせるように、そして念じるように、自分を戒めようとした。



が。



そうやって消し去ろうと躍起になればなるほど、彼女の存在が大きく、そして強烈に自分の中に根を張り、胸を苦しく軋ませる。そんな際限なく膨れ上がった、対処出来ない想いをどうにかしたい一心で…私はあのコンビニに出入りするようになった。彼女の姿を見ると、胸を締め付ける痛みが浄化され、ふわりとした温かさが全身に染み渡って――…何とも言えない心地よさに酔いしれる。会えなかった時は…それはもう何とも言えない落胆を味わう訳だが。

彼女へ急速に傾いていく自分を必死に否定し、そこから生まれる苦しみから逃れようと、彼女の姿を求める…そんな矛盾から解放されたくて、もう私はこの事を事実と受け止める事にしたのだった。

彼女の事が、好きなのだ――…と。

一旦認めてしまえば、案外楽になれた。ここ最近の楽しみは、あのコンビニで彼女の姿を見て、そして彼女が担当するレジで買い物をする事だ。

しかし……この私が、一目惚れとは。

最初の頃の…あの縋るような気持ちでコンビニに出入りしていたのは、苗字しか知らない彼女の事を知ろうと躍起になっていたからだろう。

苗字しか知らない…彼女の苗字は――…



「鷹宮、か」

声に出して呟けば、締め付けられるような痛みが走る。甘くて、心地よくて、そして……



本当に苗字しか知らないのだと、思い知らされて。



***
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