I want youの使い方
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病院を後にした一行は、屋敷へと戻ってきた。主のためにラディが先回りして玄関扉を開けると、留守番だったノーラが真正面に立っていた。唐突な登場に、バンジークスは思わずたたらを踏んでその場に立ち尽くす。
『…の、ノーラ!御主人様の前に立ち塞がるとは…!一体何事ですか!?』
『あっ、あの……あぁあ、あの――…っ!』
『………』
胸の前で手を組み、強張った表情のノーラはバンジークスを見上げて必死に何かを訴えようと口を開く。が、戦慄く口からきちんとした言葉は出てこない。ひたすらあわあわ言っている彼女を、バンジークスは訝しげに見下ろした。
『あの、あのっ!………ライちゃんが!ライちゃんが…!!』
『………!』
ノーラからようやくもたらされた"ライ"という名前に、最初こそ彼女をまじまじと見ていたバンジークスだったが、次の瞬間何か察したのか、はっと目を見開く。そして正面に立つノーラを押し退けると、駆け足で中央階段を登っていった。ばたはだと、彼らしからぬ慌ただしい足音を立てながらも、バンジークスは一直線にゲストルーム……來が眠る部屋へと走っていく。
『………ライ……っ!』
無意識の内に口にした、未だ目覚めない彼女の名前。脳裏で過去の…"10年前"の記憶が、ぐるぐると繰り返し巡る。あの時の、目も眩むほどの絶望感が、身も凍りつくような喪失感が、足元から這い上がって全身を侵食しようとする。その冷たさを振り切るように、バンジークスは険しい表情で廊下を駆け、ゲストルームへ辿り着くと同時にそのドアをノックもせずに開けた。音がばたんっと荒々しく上がる。
『うおぅっ!?な、何事ですかないきなり…』
室内に居たのは、救出した來を最初に診察した老医者だった。彼女が寝ているベッド傍の椅子に腰かけ、突然やってきたバンジークスに目を丸くしている。そんな老医者に目もくれず、バンジークスはベッドへ走り寄った。横たわる來を一目見るなり息を飲む。
『…………!』
バンジークスが目にしたのは…瞳をうっすらと開けている來だった。救出した彼女が眠り始めて2週間。それまでずっと閉じられていた來の瞳が、微かだが確かに開いている。おぼろげな眼差しを、バンジークスは全身を硬直させつつも見つめた。
『…………』
『娘さんの目が開いておると、そこの女中さんから連絡をいただきましての。今しがた診察が終わったところですじゃ』
『………、』
『これで完治、とは行きませんがの。まぁ、ひとまず第一ステップはクリアといったところですじゃ。体内に溜まっていた薬が順調に抜けて、ようやく自分の意思で体が動かせるようになった証拠ですな』
老医者が朗かに説明する間、來をひたすら凝視していたバンジークスは、深く目を閉じ詰めていた息をゆっくり吐き出した。ごく微かだが自分の手先が震えている事に気付いて、隠すようにぎゅっと拳に握り込む。
『…全く。紛らわしいんですよ、アナタは』
『だって…だって……!』
戸口で様子を伺っていたラディが、隣で必死に涙を拭うノーラを呆れ顔で見やる。老医者はほっほっと肩を揺らして穏やかに笑うと、來の手首を手に取った。
『…うむ、脈も正常正常。ほれ、確かめてみなされ』
『………』
椅子から立ち上がった老医者から唐突に促されて、バンジークスはぴくりと体を揺らす。が、暫くしておずおずと手袋を片方外すと、空いた椅子に座って來の手首をそっと持ち上げた。直接触れる來の肌はほんのりと温かくて、バンジークスはその細い手首にそっと指先を這わせる。
『………』
とくんとくんと、小さな脈拍がバンジークスの指先を微かに叩く。"生きている"という確かな証拠に感じ入るかのように、バンジークスは目を細めて彼女を見つめた。
「――…」
『……………』
やがて、無言のまま薄く目を開けていた來は、すっと前触れもなく瞼を閉じた。それでも、バンジークスは來の脈に触れる姿勢のまま、彼女をまっすぐ見つめていた。そんな2人を微笑ましく眺めていた老医者は、軽く会釈をしてその場から立ち去る。そうして訪れる穏やかな沈黙が、2人を柔らかく包み込んだ。
『………』
「………」
眠る來。見つめるバンジークス。無音の中、静かに流れていく時間。
指に触れる拍動のリズムを感じながら、來を見つめるバンジークスはラディを呼びつけた。
『はっ。何でございましょう、御主人様』
『………話がある。書斎に来てくれ』
『はぁ。差し支えなければ、今ここでお聞きしますが?』
『ノーラにも聞いてほしい話だ』
『…かしこまりました。彼女とともに書斎に参ります』
『………』
用件を受けたラディが部屋から出て暫くして、バンジークスは來の手をようやく離す。未だ変わらず眠り続けている來の頬を、いつもそうするように指の背で軽く撫でてから席を立ち、書斎へと足早に移動したのだった。
***続