I want youの使い方

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『っ、くッ!!』

「ひゃ…!?」

その時。バンジークスの手が來の手首を掴み、火柱へ落ちかけていた彼女の体を力強く引き上げた。こちらへ勢いよく舞い戻ってきた華奢な体を、深く深く胸の中に閉じ込めるように両腕で固く抱きしめる。そして、そのすぐ傍を走り抜けた人影に、バンジークスは弾かれたように顔をはっと上げた。

『………』

バンジークスが目にしたのは――…荒ぶる火柱へ真っ直ぐ飛び込んでいく白衣の背中だった。何の躊躇いもなく先へ踏み込む彼を、最初は呆然と見ていたバンジークスだったが…その無謀とも言える行動の意味にはたと思い当たる。來の手から落ちてしまった"予言書"。彼は、來ではなく予言書を選び、その後を追ったのだ。

『…ふっ!ふはっ!ふははははははっ!予言書!予言書だぁ!!ボクのモノ!!誰にも!!誰にも渡さないッ!!!』

やがて猛る炎の中から、医師の高らかな笑い声と絶叫が上がる。おぞましい響きから來を守るように、バンジークスは抱き締める腕に力を込め、その叫びを見つめた。

『これがっ!!これさえあれば!世界も!ゼンブ!ボクの、モノ…ッ!!ボクが神だ………神なんだ…ふ、ふふっっ!ふははっ!ははははははははははははは…!』

『………』

医師の叫びは次第に掻き消え、やがて炎の気配のみが辺りに満ちていった。医師自ら落ちていった火柱も、徐々にだが落ち着いていく。

『…………ぁ…あの人、は…?』

腕の中の來がふと弱々しく呟き、バンジークスは無言のままゆっくりと見下ろした。小刻みに震え、自分にしがみついている彼女の髪を、バンジークスは優しくそっと撫でる。

『……去った。もう会う事もあるまい』

『――…私のせい……ですか?』

『いや』

ふーっと息を深く吐き、バンジークスはもう一度來を胸に抱き締めた。

『あれは…"アレ"自身が価値を見誤っただけの話。そなたや、他の誰かのせいでもない』

静かに、しかしはっきりと断言した時。遠くから瓦礫が崩れるガラガラという音が小さく聞こえて、バンジークスは振り返った。炎の勢いは最初の頃よりもだいぶ収まってはいるが、いつ建物が崩れるか分からない。そう判断して、バンジークスは來を横抱きに抱えると落としたサーベルを拾い、足早にその場から立ち去る。

炎は、ぱちぱちと火の粉を弾かせながら彼らを静かに見守っていた。








***



2人が外へ出たと同時に建物は完全に崩れ、地響きと共に落ちた。炎はそんな残骸すらも漁るように、ひらひらと立ち昇っている。そんな光景をバンジークスは目を細めて見ていたが、やがて馬を待たせている茂みへ歩き出した。途中、脱ぎ捨てたマントを拾い、來も包み込むように体に纏う。燃え盛る炎の中で汗ばむほどに火照った体は、外に出た事で一気に冷え、息も吐く度にふわりと白く流れていった。

馬は、繋ぎ止めていた場所で待っていた。ぴくりとも身動ぎしない馬だったが、ようやく戻ってきた2人の姿に安堵したようにぶるるっと鼻を鳴らし、軽く首を振る。喜んでいるような様子に、バンジークスは馬の首筋を優しく撫でた。そして先に來をその背に乗せ、自分もすぐに彼女の背後に座ると手にした手綱を軽く馬に当てる。2人分の加重をもろともせず、馬はしっかりとした足取りで進み出した。その足取りは、ここへ駆け付けた時の猛然としたものではなく、夜の穏やかな時間の流れに寄り添うような、ゆったりとしたものだった。

『…………』

「…………」

バンジークスも、そして彼の腕にしっかりと抱えられている來も。共に何も言わない。先をゆっくりと進む馬の蹄が、一定のリズムを繰り返して緩やか響くのみだ。やがて、自分の頬にふっと触れるものを感じたバンジークスは、馬を進ませながら静かに見下ろす。腕の中に収まっている來が、手を伸ばして触っているのが見えてふと呟いた。

『…どうした?』

『……血が――…』

來の言葉に、バンジークスは思わず苦笑した。

『気にするほどの事ではない』

『…ケガ……したんですか?』

『この程度は怪我とは言わん』

『………痛い?』

『触らなくていい。手が汚れる』

バンジークスは手綱を引いて馬を止めると、尚も触ろうとする來の指先をぎゅっと握り込んでその動きを封じた。彼女の指先から手首の先へ視線を向けたバンジークスの表情が、少しだけ険しくなる。袖口は火事のせいで少し焼けてしまったようだが、その分彼女の腕が露出し……そこには注射痕があった。何度となく打たれたようで、柔らかく白い肌は注射痕を中心に青黒く変色している。

『………』

無言のまま來を見た。ぼうっとした弱い眼差しで、彼女はこちらを懸命に見つめている。

『眠いか?』

『……ごめんなさい………なんだか…急に、とても…………疲れて…しまって――…とても…なんだか……疲れて…』

『…これまで色々とあったからな。そのままゆっくりと眠るがいい』

促すと、來は軽く頷いて目を閉じた。バンジークスの胸に頬を寄せ、大きく息を吐く。

『ありがとう………』

『………』

そうして健やかな寝息を立て始める來を、バンジークスはじっと見つめる。風が軽やかに吹き抜けて、彼女の黒い髪を優しく撫でていった。

バンジークスは握ったままの來の手を軽く持ち上げ、その指先を染める血の痕を己の舌でそっと舐め取る。そして。固く目を閉じ、そのまま彼女の手の甲に唇を押し当てた。



胸の内から溢れんばかりに熱く込み上げる万感を、來に伝えるように。



***続
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