I want youの使い方

□10
4ページ/4ページ


裁判が終わり、法廷を後にしたバンジークスと來は、共にオールドベイリーの廊下を歩いていた。彼の隣に並んで歩く來は、興奮冷めやらぬ瞳をきらきら輝かせてバンジークスを見上げている。



――…凄かった。



感想はその一言尽き、その一言以外にあり得なかった。熱のこもった議論の応酬。弁護士の反論を、検事・バンジークスは泰然として受け止めて返す刀でしなやかに反論する……もちろん、來にそのやりとりは全くもって理解出来なかったが、彼らの気迫や真剣な眼差しが、今何が起こっているのかを雄弁に語ってくれた。

そんな彼らの言葉に、陪審員らが手元の炎を背後の大天秤に投げ入れる。机を一叩きして飛んでいく炎の仕組みは謎だが、それが有罪無罪の判決を決めるシステムらしく大天秤は審理中何度も右へ左へ傾いた。一度、天秤はこちら…検事側へ完全に傾いたのだが、弁護士が法廷の真ん中まで出で陪審員らに堂々と訴え、検事側だった天秤が弁護士の方へ僅かに傾いて判決が変わったりもした。

目が離せない、目まぐるしい展開を見せる裁判。最後、大天秤は弁護士の方へ完全に傾き、法廷内に高々と花火が打ち上がった。"室内"で上がる花火には驚いたが、だからあんなに天井が高かったのかと妙な納得をした來であった。

しかし。

來が一番感動したのは、裁判ではない。

『ワタシ、見タ、初メテ!えっと……サッ、さ……サァバン…?』

『さいばん、か?』

來を見ずに前を向くバンジークスだが話はきちんと聞いているようで、彼女の拙い発言にも適切に答える。

『ハイ!さいばん!さいばん、初メテ!とてもとても、ワタシ、えきさいてんぐデシタ!』

『…そうか』

そう。一番感動したのは裁判そのものではなく、裁判に臨むバンジークスの姿にだ。普段は物静かな彼が。机を叩いて相手を鋭く見据え、時には声を荒げて反論し…時には手にしたワイングラスを傍の松明に投げつけたり、ワインボトルを片手で軽々と傍聴席に放り投げたり、高々と振り上げた足を目の前の机に叩き落としたり。

隣で繰り広げられる荒々しい振る舞いが怖いと思う反面、あの寡黙な彼がここでは雄弁に語り、そして感情を露にして生き生きと動いている。今まで見たことがない彼を目の当たりにして、これを感動と言わず何と言おうか。

『とても、とてもスゴカッタ!楽シカッタ、デス!!』

『…………そうか』

感動しきりの自分に対し、些か反応が薄いバンジークスにふと違和感を覚えた來だったが、次の瞬間。思い当たった事実に思わず「あ」と言葉を漏らした。大天秤が弁護士側に傾いて結審したということは、検事側の敗訴を意味する。つまり…今回の裁判で、バンジークスは負けたということなのだ。ようやく理解した現状に気まずく俯いて口ごもる彼女を、バンジークスはようやくちらりと横目で見下ろした。

『………どうした?』

『……………ワタシ、楽しい、思ウ。デモ、それは、とても、イケナイ でした――…ゴメンナサイ』

『何故?』

『ナゼなら………ばんじーくすサン、負ケ、今日。デモ、ワタシ、楽しい、思ウ。それは、トテモ………ダメ』

『………裁判は勝ち負けではない』

バンジークスが独り言のように呟く。内容が聞き取れなかった來は「え?」と彼を見上げた。前を向いているのだとばかり思っていた彼は、いつの間にかこちらをしっかりと見据え、澄みきったアイスブルーの瞳に來は息を飲んで立ち止まる。バンジークスもまた立ち止まって、真正面から彼女を見つめた。

『裁判は、勝ち負けだけが全てではない。今日、被告は無罪だった…それが真実というだけだ』

『…………』

『真実が何か。それが、一番重要なのだ』

『……ハイ』

告げられた言葉に、來もまた神妙に頷く。最後の部分しか聞き取れなかった事を悔しく思う反面、彼の裁判に対する思いの深さに感心した時だった。ふとバンジークスの背後に視線を向た來が、はっと目を瞠る。

「あ!……エット。ゴメンナサイ。チョット、待テテ、クダサイ!』

『?』

突然、バンジークスの脇を抜けて駆け出す來。訝しげな表情のまま見送ったバンジークスだったが、やがて彼女がとある人影に向かっているのだと理解して……ふとその表情を険しくさせる。來は息を切らして人影――…弁護士・成歩堂とその助手・寿沙都、元被告人のナツメ ソウセキに駆け寄った。いきなりやってきた來に3人が目を丸くさせる中、本人は興奮を押さえきれない瞳をソウセキに向ける。

「あっ、あ――…あの!あの…!!あなたはホントに…ホントにあのナツメ・ソウセキさん、なんですか!?」

「む。い……いかにも。我輩はソウセキであるが」

「――…わっ。わあ、わあぁあ〜ホントに我輩って言うんですね〜〜わぁああぁ〜〜〜〜…」

「………」

感動してうっとり呟く來に、3人は揃って戸惑いの眼差しを向ける。

「あのっ。無罪、おめでとうございました!あ、握手してください!!」

「う。むむっ…し、しかし――…握手とはいえ、妙齢の女子の手に触れるというのは、日本男児として些か戸惑うモノであるからして……」

ソウセキが顔を赤らめてごにょごにょ言い出した瞬間――…

『イチガヤ!!』

「はいぃ!!」

背後から鋭く呼びつけられ、來は反射的に日本語で返事をして背筋をぴんと伸ばした。恐る恐る振り返ると、バンジークスが腕組みして苛立たしげにこちらを見ている。

『………戻るぞ』

『…………』

剣呑な雰囲気のバンジークスに、來は『ワ、分カリマシタ…』と弱々しく返事した。自分は裁判関係者ではないか、検事のメイドが元被告人に馴れ馴れしく話し掛けるのはいけないのかと推測しつつ、もう一度ソウセキと向き合う。

「あの、こんな超有名なスゴイ小説家の方とお話しできて、嬉しかったです!これからも頑張ってください!」

「シ。ショウセツ…?」

困惑するソウセキだったが、再びバンジークスから『イチガヤ!』と呼びつけられた來は、慌ただしく一礼だけすると3人にくるりと背を向け、彼の元へと戻っていった。本人の帰りを待たず足早に歩き出したバンジークスを追い駆ける來だったが、ようやく追い付くなり彼にその手をぐいっと掴まれ、半ば引きずられるようにその場からぐんぐん連れ出されたのだった。




「――…ソウセキさん。物書きもされてるのですか?」

「いや…今も昔も、我輩は一介の教師である……い、いや。もしかすれば!」

成歩堂の問いかけに、それまで呆然としていたソウセキがカタカタと小刻みに震えだした。

「あの娘はこの大英帝国の深き闇に、のっ、呪われてしまったのだ!だからあのような妄言を…おぉ、何と恐ろしいっ!」

やはりこの国は呪われているのだと怯えるソウセキを尻目に、成歩堂と寿沙都はあっという間に帰っていった2人を不思議そうに見ていたのだった。



***



『………彼を、知っているのか?』

『――…ハイ!そうせきサン、ショウセツ、書ク、とても有名デス!日本人、みんな知ッテル!彼ノ顔、ちょっと前ノお金ノ絵デス!』

彼女の口から自信満々に語られる言葉に内心首を傾げるバンジークスだったが、彼女の"特殊な出自"を冷静に鑑みて無理矢理納得した。"今"はそうでなくとも、"将来"彼は日本でも有数な小説家になるのだろう。日本貨幣の肖像画に成るほどに。

『……今回の無罪はその定め、という事か』

『?』

ふと洩らした自嘲を不思議そうに見つめる來を横目で捉えながら、バンジークスは再度口を開いた。

『そなたは、彼の小説を、読んだか?』

『……………イイエ。読ム、してないデス!』

これまた自信満々に答えられ、バンジークスは驚いて彼女を見下ろした。

『……読んで、ない?』

『ハイ!でも、彼ハとても有名な小説家、知ッテル デス!』

『………読んでないが小説家なのか。そう、か――…っふ』

笑いを堪えながら呟いたバンジークスを見上げ、來もまた微笑んだ。今日は彼のいろんな姿を見る事が出来て、とても得した気分だ。

『そなたは、あの弁護士よりジョークのセンスがあるな』

『…………ハイ!』

適当な返事をする來に、バンジークスはますます込み上げてくる笑いを口の端に滲ませながら、彼女と共に外へと出たのだった。



***続
次の章へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ