I want youの使い方

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取り出した紙切れは手紙ほどのサイズで、それに視線を落とした來は一度深呼吸をしてから話し始める。

『ばろっく・ばんじーくすサン。

初メテ、会ッテ カラ、今 マデ、ホントーに、オ 世話 ニ、ナッテ マス。アナタに、助ケ ラレテ イナケレ バ、私ハ、今ゴロ 死ンデ タ、で ショウ』

手紙に書かれているであろう文章を見ながら、來は語る。いつもより文脈が正しいのは、辞書を引きながら書いたのだろう。発音も、訛りは強いが普段の拙い喋り口よりまだマシだ。

『サモナクバ、ろくデモナイ、生活 ヲ、シテ、タ 事デ ショウ――…ホントに、アリガトウ ゴザイ マス』

『………』

『私ハ、未来カラ、来ましタ。ソンナ くれいじーナ 話ヲ、アナタは、聞イテ くれま シタ。ソシテ、超能力者二 会ワセテ くれテ、アリガトウ ございマシタ。ソノ オカゲデ、何故ココに 来タノカ、コレカラ どーすれバ イイノカ…知ル 事ガ、出来まし タ 』

來の声は震えることなく、芯に強さを秘めたようなしっかりとした響きがあった。いつもと違う彼女を、その場の3人はただ黙って見守る。

『私ハ、元の ジダイに、帰リタイ デス。私ハ、カゾクに、会イタイ デス。だかラ――…ばんじーくすサンに、オ願イ ガ、ありマス』

そこで言葉を止めた來は、手紙から顔を上げると正面からバンジークスを見た。

『………私ヲ、ココに 居サセテ くだサイ』

『――…』

來の申し出。バンジークスの表情は、静かな面持ちのまま彼女を真っ直ぐに見つめる。その視線から目をそらさず、來は切々と必死に訴え…いや、懇願した。

『倉庫デモ、物置ノ小屋デモ…居させテ クレル ナラバ、どこデモ 構いませン。ゴ飯モ、余リ物デモ なんデモ 野菜ノくずデモ 構イマセン。私二、出来ル事ナラバ、ナンデモ働きまス。給料モ、いりまセン。英語モ 勉強シテ、ちゃんと 話セルようニ しまス。だから――…』

『………』

『だから、オ願いデス。私ヲ、ココに 居サセテ くだサイ。私ハ………』



………私には貴方が必要です。



そんな想いを、強く祈るように。

來は「I want you」と呟いて締めくくると、深々と頭を下げた。最後まで見届けたバンジークスは、重い溜め息を吐き捨てる。

『何故、最後の台詞だけきちんと発音出来るのか…不思議でならんな』

『…………あのぅ、御主人様。厚かましいのは承知の上で…どうかノーラからもお願いいたします。ここで見放してしまったら、この子は今度こそ死んでしまいます』

胸の前で両手を握り締め、大きな体躯を縮こまらせながらノーラも懇願する。

『部屋なら前の子が使ってた所がありますし、服だってその子のが使えます。前に一度だけ料理の手伝いをしてもらったんですが、手際もとっても良くて…仕事を覚えたら、きっと役立ちます』

ノーラが訴える間も、來は頭を下げたままだ。そんな様子を、バンジークスは無言で見つめる。

『ここに仕えてる私達だけじゃ屋敷の隅々まで手が回りませんし、私も年ですからなかなか…この子がいてくれたら助かります。それに、ラディさんもきっと助かるはずです』

『ぼっ、僕が――…っ!?何を言って……』

『まぁ!去年、窓の煤払いをなさった時、腰をぎっくりしたのを忘れてしまったんですか!?動けないラディさんに変わって、アタクシが暫くワインの管理だの何だのでもぅ戦争みたいな忙しさでしたのよ!その時にラディさん、"年には勝てない"って仰ってたじゃないですか。だからこの子がいたら、きっとラディさんだって助かるに決まってます!』

ノーラの話はどうやら図星だったらしく、ラディは『ぐっ』と唸って顔を赤らめる。そんな2人のやりとりを耳にしながら、バンジークスは未だに頭を下げ続ける來を見つめていた。

『………』

碧い瞳が静かに細められる。何かを思い出し、その記憶に己の心情を重ね、浮かび上がる想いを見つめるかのように。來を透かすように見ていたバンジークスは、次の瞬間、ふーっと長く息を吐いてから指先で眉間の傷痕を押さえた。

『………分かった。ミス・イチガヤの滞在を許可しよう』

主人が口にした言葉に、ノーラは破顔しラディはぎょっと目を剥く。まだ頭を下げ続ける來のつむじを見下ろして、バンジークスは言葉を続けた。

『ただし…期間は1年間。それまでに帰られれば良し、万が一帰る気配がない時は――…屋敷から出てこの時代に"住む"という覚悟をしてもらう。そなたは学生だが、学ぶことから逃げた。今度は向き合い……言葉やこの時代の常識、風習を学べ。生きる術を学ぶのだ』

『あぁ!ありがとうございます御主人様!ライちゃん、居てもいいって仰ってくださいましたよ!OKですって!!O.Kよ!!』

感極まったノーラが、お辞儀したままの來を揺さぶる。そして、やっと顔を上げた來に繰り返し『OKよ!』と伝え…ようやく理解した彼女の表情に、歓喜の色がみるみるうちに溢れた。

『――…アリガトウ ゴザイマス……っ!』

胸が感激でいっぱいになり、涙が零れそうになる。両手で口元を覆い、落涙を懸命に堪えながら『アリガトウゴザイマス』と繰り返す來を、バンジークスは表情を動かさず見つめていた。





***





そして、そのあとすぐ。

來は自分の荷物とベッドシーツと毛布を持ち、先導するラディの後ろを歩いていた。明かりが落とされた廊下を、彼が持つロウソクの明かりがほのかに行き先を照らしている。

"ここ"に来てからずっと過ごしてきたゲストルームを後にし、來が案内されたのは同じ2階に位置する部屋だった。ただし、1度1階へ降りてから厨房がある方の階段を上って辿り着く部屋で、この一帯はどうやら使用人エリアらしい。ゲストルームの豪華なドアとは違う質素な木製ドアのカギを、どこか不機嫌な様相のラディが開ける。

「………」

大きく開けたドアを支えるラディを窺う來。しかし彼は一瞥も言葉すらもくれない。雰囲気からして入室を促されているようで、來はおずおずとその中へ足を踏み入れた。

「――…」

部屋は縦に細長く、正面に窓が1つとベッドが1つ置かれていた。天蓋付きの大きなベッド…ではなく、薄汚れたマットレスに鉄パイプの足がついた簡素な物だ。そしてそんなベッドに寄り添うように小さいテーブルが1つ……そんな室内の様子を眺めていた來の背後で、ぱたんと音が鳴った。思わず振り返ると、ドアが閉められている。無言でそれを確認した來は、再び正面を向くとベッドへゆっくりと近づいた。

窓の外は深夜の闇一色に塗りつぶされている。しかし、星の白い瞬きと街灯らしいオレンジの瞬きが散らばって見えた。來はベッドの上に乗り、窓を開ける。

「ふっ……」

がちゃんと開いた瞬間、真冬の冷たい外気が頬に触れて思わず息を吐く。ふわっと白い呼気が浮かんで溶けていく中、來は夜のロンドンを見つめた。



――…やっと、やっと。スタート地点に立てた実感がする。やっと始まるんだ。自分の生活が、ようやく始まるんだ。



ずっと曇り空だった自分の"これから"が、この夜空のように澄み渡っている。自分の行き先を見据えるように、來は遥か彼方の闇夜を見つめた。



***
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