I want youの使い方

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ワイン貯蔵庫は、地下へ続く階段の先にあった。ひやりとした空気と独特の湿度、そして薄明かりの中に浮かぶレンガ壁と木製のワイン棚は、見慣れない光景だからかだろうか、どことなく不気味な印象を与える。

静かに並ぶワイン達を遠くに眺めて、バンジークス達は貯蔵庫の更に奥へと歩みを進めた。

『……ふん。さすがは田舎のお屋敷。随分と可愛らしい規模ですな』

バンジークスの後ろを歩くラディが、小声で嫌味を呟く。先頭のスキジャッドには聞こえなかったようだが、バンジークスはふっと吐息で一笑した。

來はさっきからずっと、ある事を考えていた。玄関先での会話から辛うじて聞き取れた"スキジャッド"という言葉と、今いるワイン貯蔵庫。もしかして……いや。もしかしなくても、バンジークスは確認しに来たに違いない。一昨日、自分が必死に語った"大英帝国の歴史書"の、"あの話"の真偽を。



…と、すると。

今、ここに死体が??



「……」

歩きながらそっと視線だけ辺りへ巡らせる來。あの本の通りなら、ここに死体が隠されている。先頭を歩く男――…スキジャッドに絞殺された彼の妻が。ここのどこかに。

「――…」

來は思わず頭を左右に振る。死体がワイン棚の影からこちらを窺っているのでは…そんな恐い想像が幾度となくちらついて、來の歩みが次第に鈍くなっていった。

まさか。

まさか、ね。

そんな都合よく死体が見つかるとか…ね。

そんな風にやんわりと否定するものの、見つからなければ自分の身上を信じてもらえない訳で………見つかってほしいような、でも見つけたくないような複雑な胸の内を抱える來は、ふとレンガ壁を見て思わず立ち止まった。かすかな明かりに照らされる赤茶色の壁。しかし、そこの一ヶ所だけ薄灰色になっている。範囲は丁度、畳1枚分くらいか。レンガではなく、セメントのようなモノを後からべったり塗り付けた感じだ。

レンガ壁の、そこだけが何故か薄灰色の壁。

スキジャッドは死体をワイン貯蔵庫の壁に………

「………」



……いや。

まさか。

―――――……ね?


『…どうした?』

「っ!!」

棒立ちのまま壁を熱心に見つめる來に気付いたバンジークスが背後からそっと声を掛け、來は文字通り飛び上がって驚いた。びっくりしすぎて声すら出ない彼女を無言のまま見下ろしてから、バンジークスはその視線をふっと同じ方向へ滑らせる。

『あぁ、なるほど。もっと巧妙に隠してるのかと思えば…呆れるほどに雑な』

失笑しつつ呟き、バンジークスは薄灰色の壁へ近寄る。こんな状況で置き去りにされたくない來は慌てて彼を追いかけ、マントを握りしめてびたっとくっつく。突然引っ付かれたバンジークスだったが、特に何も言わずそのまま壁の前で立ち止まり、指先でそっとセメント部分を引っ掻いた。頑丈そうに見えたそれは、たったそれだけでぽろぽろと崩れ出す。

『…脆いな。ノック1つで簡単に壊れそうだ』

つぶさに観察していたバンジークスは、右手を緩く握りしめるなり壁をコンと軽く叩く。引っ掻いた時よりも大きく崩れた破片が、ばらばらと足元に落ちた。

瞬間――…



『何をなさっておいでですかなバンジークス卿!!!』



突如響き渡った怒声に、來はマントを握りしめたまま全身をびくりと震わせた。怯える彼女を、バンジークスはまるで背中で庇うようにゆっくりと振り返る。

『………あぁ、これはこれはミスター。いつの間にそこに?』

『きっ、きききき…ききっ、貴公は!貴公は、我が家の貯蔵庫を見に来ただけなのではありませんか!!?』

わなわなと顎を震わせて怒鳴るスキジャッドの言葉に、バンジークスはふっと嘲笑の吐息を零した。

『私が何故、このような田舎くんだりまでやって来たのか…貴公は理解しているはずだ。スキジャッドよ』

『ななっ、なっ、…………何ぃ?』

『それとも。わざわざ田舎臭いワインを見に来たのだと……本気で思っていたのだろうか?』

『――…っ!』

血の気が失せ、青ざめたを通り越して真っ白になっているスキジャッドを見ながら、バンジークスはちらりと壁に視線を向けた。

『この壁の"中"には、どのような"ワイン"が寝かせてあるのだろうか?非常に興味深い』

『う、う、う、うっ、うう、ううう……っ!』

がたがたと、目に見えてはっきりと分かるほどに震えるスキジャッドの異様さに、來がぎゅうぎゅうに握りしめていたマントを更に握りしめた瞬間――……

『う、う、う、う、う、うう、ううううっ、ううう――…うぉあああああああああああああああああああああああ!!!!』

呻き声から変化した絶叫が、貯蔵庫に響き渡る。理性を失い、獣のような咆哮を上げながら突進してくるスキジャッド。こちらへ突っ込んでくる彼を見ながらバンジークスは気だるげに溜め息を1つ吐き捨て、背中に隠れている來ごとひらりと身をかわした――…右足だけを残して。

『ぶおっ!!?!』

そんな右足に引っ掛かり、スキジャッドの体が勢いよく前方に飛んでそのまま壁にぶち当たる。『ぐあっ!』というくぐもった悲鳴と一緒に壁ががらがらと盛大に崩れた。立ち昇る埃に、バンジークスは顔をしかめてマントで口元を庇う。

『御主人様!お怪我はなさってませんか!?』

ラディが慌てて駆け寄ってくる。バンジークスは崩れた壁を見たまま、ゆっくりと口を開いた。

『……ラディよ。ミス・イチガヤと共に上へ戻れ』

『………はい?』

『気付かないか?芳しい死の香りだ。これは………とても女性に見せられるモノではない』

『…かっ!かしこまりました!』

バンジークスが言わんとする事に気付いたラディに緊張が走る。そして命令通りに、主の背中で固まっている來をそっと促しながらその場を後にした。崩れた壁側を見せないよう、ラディはさりげなく來を誘導する。

『……御主人様お一人で大丈夫ですか?』

『問題ない。気絶していて静かなものだ。上へ戻ったら、急ぎヤードをここに呼べ』

『かしこまりました』

状況が把握出来ず呆然となっている來は、ラディの誘導に素直に従っている。そんな彼女を視線で見送ってから、バンジークスは再び崩れた壁…その下付近を見た。壁の瓦礫と埃。激突した衝撃で気を失ったスキジャッド。そしてその上に覆い被さっているのは……女性の死体。変わり果て、ヒトの形を辛うじて保つ彼女の首に、黒ずんだロープが巻き付いている。

『……悪趣味なネックレスだ。さすが彼が選んだだけの事はある』

呟くバンジークスの表情が、にわかに険しさを増す。やがて瞼を軽く伏せた彼は、己の胸の前で静かに十字を切ったのだった。



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