I want youの使い方
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「ごちそうさまでしたっ!」
スプーンを置き、來は両手を合わせて頭を下げた。日本独自の作法なのは知っているが、食後はコレで締めないとどうにも落ち着かない。
『まぁまぁ…すっかり元気になって。ホント良かった』
食器をベッドテーブルごと片付けながら、ノーラはにこにこと微笑む。スープ鍋をほぼ空にするまで食べきった事が、作り手として嬉しかったようだ。來が食事にがっついている間、バンジークスは終始無言でアーリーティーを飲んでいたのだが、一段落ついた彼女の様子に持っていたカップを隣で控えるラディへと手渡す。そうして胸の前で両腕を組むと、泰然とした態度で來を見下ろした。
『落ち着いたところで、私から貴嬢に少々尋ねたい事がある』
『…………?』
『名前と、職業を』
己の仕事…検事として審理に参加する時のように、バンジークスは來をまっすぐに見つめながら問い掛ける。そうすれば大体は相手――…被告だが…――が、怯えた表情で素直に質問に答えるのだが、來は不思議そうな表情でバンジークスを見上げ、ぱちくりと1つまばたきをした。
『……―――アー、ナマエ?ワタシノ?』
『…そうだ。それと、職業も』
自分を指差しながら小首を傾げて聞いてくる來に、バンジークスはしっかり頷いて応える。
『ワタシノ ナマエ、來・一ヶ谷 イイマス』
『ライ・イチガヤ…?』
『ハイ!』
名前を呼んでもらえて嬉しいのか、來は胸の前で両手を握りしめて満面の笑みで何度も頷く。今まで経験した事のない相手の反応に、バンジークスは表情に一瞬だけ戸惑いの色を浮かべたが、すぐさま真顔に戻って來を見据えた。
『では、そなたの職ぎょ……』
『アナタノ オナマエ、ナンですカ?』
『――…』
きらきらと無邪気な瞳をまっすぐ向けながら問い掛ける來に、バンジークスは思わず声を失う。彼に纏わる物騒な噂から、別名"オールドベイリーの死神"と恐れられている相手に、一切物怖じしない彼女を見るラディとノーラは、驚いたように目を丸くした。
『…………バロック・バンジークスだ』
黙り込み、溜め息をつきつつ己のフルネームを口にした彼を、來はまじまじと見つめる。
『…べろっく・ヴぁんじぃーす?』
『……バロック・バンジークス』
來の舌足らずな発音に緩く首を横に振り、バンジークスは再度フルネームを名乗る。
『ヴぁろっつ・ヴぁんじー…?』
『…バロック』
『…べろっく』
『バ』
『べ?』
『バ』
『ば』
『バロック』
『ばろっきゅ』
『……』
また黙り込むバンジークス。ノーラが思わずクスッと小さく笑うが、ラディが咳払いして嗜めると彼女は謝るように肩を竦めた。
『バロック・バンジークス』
『ばろっく・ばんじーくす』
『……いいだろう』
ようやく正しく言えたものの、正式な発音とは決して言えない。が、バンジークスはひとまず頷く。
『ミス・イチガヤ。そなたの職業は?』
『ショクギョー…』
今度は來が言葉を飲んだ。何を尋ねられているのか、聞き取れた単語から何となく推察は出来るのだが…自分の職業は――…
『………ショクギョー、ガクセー……でス』
『ガクセー…学生か。そなたは留学生なのか?』
『…リュー、ガク、セー……?』
『――…』
一方。バンジークスは來の様子に内心大いに戸惑っていた。見た目は年頃の少女だというのに、そのあまりにも拙い英語力…これでは5歳児、いや、2歳児を相手にしているようだ。
バンジークスは険しい面持ちで目を閉じると額に手を当て、黙り込む。そして傍で控えているラディを呼ぶと彼に何事か指示した。執事は従順に一礼すると素早く部屋を後にする。そんな一連の流れを來は少し不安げに見つめてからバンジークスをそっと見上げるが、彼は目を閉じたまま再び腕を組んだ格好で静かに座っているだけだった。
『お待たせいたしました、御主人様』
……緩やかに沈黙が流れる中、ほどなくしてラディが戻ってきた。見覚えのあるトートバッグを手にやってきた執事を、來は思わず目を丸くして見つめる。驚く彼女にラディは一瞥すらせず、真っ直ぐに主へ歩み寄ると恭しくトートバッグを差し出した。
『………』
バッグを受け取ったバンジークスは持ち主である來をちらっと見やり、断りを入れずに中へ手を入れ…1冊の分厚い本を取り出す。そして用は済んだとばかりにバッグを來の目の前に置くと、取り出した本を開いてぱらぱらとページを捲り出した。やがて、來の眼前に開いたページを差し出し、長い指先がすらりとある単語を指し示す。
Foreign student
意味:留学生
『……』
示された単語をまじまじと覗きこむ來。彼が取り出したのは自分の英和辞典である事と、聞き取れなかった単語の意味を理解したが、來はその返答を躊躇う。自分は留学生ではない、が。ある意味"未来からやってきた"というのは留学生に通ずるモノがある様な気がする…別に留学に来た訳でも、それが彼が求めている答えでもないのは分かるが。
『…ワタシ……ワタシハ――…』
『……』
言葉に詰まる來を、バンジークスはまっすぐに見据える。その鮮烈な眼差しは彼女の言葉を一音でも逃さない…そんな静かな迫力に満ちていて、來はますます口ごもる。ヘタな嘘をついてしまえば、一瞬で見破られるだろう。そう悟るものの、だからといって本当の事情など到底話せない。"115年後の未来からやってきました"なんて、誰が信じるというのか。自分だって、そんな話を聞いても信じるわけがないのだから。
『……ワタシ 話ス。デモ、シンジル ナイ。アナタ』
『…"話しても、私はそれを信じない"……そう言いたいのか?』
『……ナゼナラバ。ワタシ シンジル ナイ。コノ、今』
『………そなた自身が、今の状況を信じてないのだな?』
『アナタ、脳ミソ オカシイ 思ウ。ワタシの』
『――…』
単語を繋げながら訴える來のちぐはぐな英語を聞いて、バンジークスは目を伏せて一つ溜め息をつくと椅子に深く座り直す。そうやって暫く來の言葉を噛み締めるように黙っていたバンジークスは、再び彼女に視線を向けた。
『信じられないほどおかしな話だとしても、それが真実だというならば……私は話を聞こう』
『……?』
『そなたの、話を、聞かせてくれ』
不思議そうにこちらを見つめる來に、バンジークスはゆっくりと、そしてはっきりと発音してみせた。まるで幼子に語りかけるような口ぶりに、ラディとノーラは驚いたように主人を見たが、來は唇を引き結ぶと意を決したようにこくりと1つ頷いたのだった。
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