I want youの使い方

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それからほどなくして。

仕事を終えたらしいバンジークスは、最初に宣言した通り來と共に屋敷へ戻った。突然の冷え込みと大雪に慌てふためく人々は、何故かしっかり冬対策をしている彼らの姿を、呆気にとられた表情で見送ったのだった。









『おかえりなさいませ、御主人さ――…!』

帰宅した主をにこやかに出迎えるラディだったが、バンジークスの背後に隠れるように付いてきた來の姿を一目見るなり目を見開いて絶句する。一瞬で表情を変えたラディを見て、來は次に来るであろう一幕に備えて首を竦めた。

『なっ!な――…なんたる事……っ!!それは御主人様のマントではありませんか!!あろうことか貴方が羽織るなど……何を考えているんですか!!』

『ごっ、ごめんなさっ……』

予想通りの展開に、勢いよく頭を下げて謝る來。しかし、バンジークスが『よい。今回は咎めるな』と割り込んできた。

『私の用意しか持ってきていなかったからな。貸し与えた』

『し、しかし…使用人ごときが御主人様の――…』

『よいと言っている。今回の予言に免じて許してやれ』

お陰で凍えずにすんだ、と付け加える主にラディは押し黙るしかない。渋い表情のまま『寛大なお心遣い、ありがとうございます』と頭を下げたのを見て、來も慌てて頭をぺこりと下げた。

『……後は僕がやりますので、貴方は部屋に戻りなさい。マントはお返しする前にきちんと洗うんですよ』

ラディの言葉に、來は『はい!』と返事をしてからそそくさと立ち去る。そうしてエントランスホールに2人だけになったタイミングで、バンジークスはラディを呼んだ。

『何か?』

『………………今から話すことは単なる憶測であるが』

歯切れの悪い物言いをする主に、ラディは顔を僅かに曇らせる。

『……何者かがこちらを監視している気配を感じる』

『…………なんと。それは本当でございますか?』

声を潜めつつも驚くラディは、素早く周囲を見渡す。しかし彼が言う"気配"を見つけることは出来なかった。

『確証はない。ただ……そのような気配がする。ただの気のせいならばそれでいいのだが』

『……お心当たりは、大層おありかと思いますが?』

『数えきれぬほどにな』

軽口を交わす2人だが、どちらの表情も台詞ほどの軽さはない。終始シリアスな様相で、バンジークスは歩き出した。

『……一応、2人にも注意を促しておけ。用心に越したことはない』

『勿論。かしこまりました』

足早に進む主の後を、ラディは粛々と付いていった。




***

翌日。




『冷たぁ〜!』

水樽にぷかぷか浮かぶジャガイモを手にして、來は呻きながら目をぎゅっと固く閉じる。その姿に、同じジャガイモの皮をナイフでするする剥くノーラが朗らかに笑った。

『まだこんなのは序の口!身も凍る冬本番は今からですわよ!この程度でそんなんだと、乗り越えられませんよ!』

『あーー…頑張ります』

ノーラの発破に弱々しく笑いながら応える來。2人は水樽を挟んで真向かうように座り、ジャガイモの皮剥きに勤しんでいた。刻一刻と深まっていく冬を、水の冷たさが教えてくれる。それはもう痛いほど。

『でも、本当にライちゃんの時代は夢のようね〜。蛇口を捻るだけでお湯が出てくるんでしょう?一体どんな仕組みなのかしら。ここの蛇口もお湯が出てくればいいのに…』

生まれてくる時代を間違えたわ、と。ノーラのぼやきに、來は小さく笑う。水道は19世紀半ば頃から整備されたものの、水源であるテムズ川のあまりの不衛生さに井戸水の利用が多い。イギリスで紅茶文化が浸透しているのは、そんな水の殺菌が理由だったりする。これまで4回に渡るコレラの流行を経てようやく整備されてきたものの、2人に1人は死んだのよとどこか懐かしそうに教えてくれたノーラの言葉に、末恐ろしいものを感じた來であった。

『洗濯も掃除もマシンが自動でしてくれて食事だってすぐに出来上がって、お湯もお水も使い放題使えて……ホント、夢のような世界だわ。なのに、こんな所にいきなりやって来て生きていくなんて。ライちゃん、嫌にならない??』

『いえ、毎日が勉強で楽しいです!』

來はきっぱり断言する。確かにノーラの言う通り、もと居た時代と比べて不便なのは確かだ。が、そんな中でも技術と工夫を凝らして暮らす日々は、発見と驚きに満ちて新鮮だ。遥か未来にある技術の、その原型に触れている感じがして楽しい。

そんな充実感からにこにこ屈託なく笑う來を、ノーラはジャガイモを剥く手を止めて暫く見つめる。ほんのりとした微笑みに少し寂しさが混じったような複雑な表情に、來も手を止めて不思議そうに彼女を見た。

『ライちゃん、ここに来てもうどれくらいかしら?』

『えっと……9カ月?くらいです』

『そう。英語もすっかり上手になったから、もう何年もここで暮らしてるように思うわ』

英語の上達ぶりを褒められて、來ははにかむ。そんな彼女を見ながら、ノーラは小さく呟いた。

『――…ずっと一緒に暮らせたらいいのに』

『……………………え?』

ふとした呟きに、來ははっと目を瞠る。驚く彼女に、ノーラもまた我に返った。

『まっ…………まぁまぁ!まぁ!!アタクシったらホント、何を言ってるのかしら!ずっと暮らせたらって、ライちゃんの時代に帰るなっていう意味じゃないのよ!だって、ご両親もお友達もライちゃんの帰りを心待ちにしてるんですから。いつかその日が来るのは、ノーラもよくよく分かってますわよ!えぇ、もちろん!』

慌てて釈明するノーラを、まじまじと見つめる來。ノーラは更に言い募る。

『アタクシが言いたいのはね?1年なんて区切りを止めて、ライちゃんが帰る日までこの屋敷で暮らせたらいいのにって事なのよ?御主人様は1年したら他所に行けって仰ったけど、働き手のライちゃんがいなくなったら屋敷は大変な事になっちゃうわ!ラディさんだって、ライちゃんがいなくなったら絶対困るはずよ。だって、帳簿を任されてるんでしょ?』

來は小さく頷く。帳簿というか食料とワインの在庫管理帳なのだが、『…貴方。大学目指してたのなら計算ぐらいは出来るんですよね?』と上から目線で頼まれた仕事だ。

『ラディさんね、ライちゃんが来る前から細かい字が見えづらくなっててね〜…だから!ライちゃんがいなくなったら!ラディさん絶対困るわよ!ライちゃんはもう屋敷になくてはならないヒトなのよ!だから、1年なんて言わないでずっとここに居ればいいと思って……!』

『………………』

『あらやだもう、何か変な話になっちゃったわね!ほら!ラディさんが戻ってくるまでに皮剥き終わらせないと怒られちゃうわ〜』

あたふた取り繕いながら再びジャガイモを剥き始めたノーラに、來も呆然としたままのろのろと作業を再開した。



***
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