恋愛無関心症患者のカルテ
□Last
5ページ/5ページ
――…次の瞬間。
ばちんっ。
「っう!」
己の左頬に焼け付くような衝撃を覚えて、御剣はがばっと慌てて顔を上げた。反射的に頬を触ると、じんとした痛みと熱を抱えている。
「な、何なのだいきなり…」
「そ――…それはこっちのセリフですよ!」
抗議の声へ視線を走らせると、そこには顔を真っ赤にした唯が、瞳を零さんばかりに大きく見開いて御剣を見ていた。右手が浮いているのを見ると、どうやら彼の頬を叩いたのはその手のようだ。
いや。
しかし。
それにしたって。
「何故、叩く?」
「いや、普通叩きますよ。だっていきなり人に――…」
そう言ったっきり、唯は黙り込むとますます頬を赤らめた。御剣はますます訳が分からないといったように表情を険しくさせる。
「検事…ここへ来る前に、何か悪いモノでも食べました?」
「……何だと?」
「それとも、病気ですか?具合でも悪いとか」
悪いのは具合ではなく機嫌なのだが…という突っ込みを胸の奥に仕舞い込んで、御剣は重く口を開いた。
「普通の食事は取ったが、妙な物は食べてない。具合も悪くないし病気でもない」
「で、でも…今のは、上司が取る態度じゃないと思うんですけど」
上司。
その単語に、御剣は愕然となった。
「唯」
「はい」
「覚えてないのか?」
「……何をですか?」
「手術が終わった直後を、だ。正確には約4日前の明け方近い時間の話だが」
御剣の言葉に、唯の表情にみるみると驚きの色が広がっていく。
「――…何だその反応は」
「え?で、でも。あれ?あれって、ホントの事だったんですか?え、嘘?ホントに??」
沢山の疑問符をぶつけられ、御剣はどんよりと溜息を付く。
「…その言葉の意味を聞こうか。ホントの事というのはどういう事だ?」
「え?あ、そ…その――…撃たれた後、記憶が曖昧な部分があってですね」
「………」
しどろもどろに説明を始める唯の言葉を、御剣はじっと待つ。
「なんか、検事とお話したような記憶があるんですけど…あれ、てっきり夢かとばかり」
「………」
麻酔か。御剣は思い至ると、がっくりと肩を落とした。確かにあの時の唯は朦朧とした様子だったが…
「話だけか?」
「えっ!?」
「君の記憶には、話をしたという事だけしか残っていないのか?内容や、他の事は?」
「……」
再び唯の頬が赤らむ。一応大体のあらすじは覚えているようだが、全部夢の事として片付けていたようだ。
御剣の眉間が、ひくりと神経質そうに寄る。
「覚えているなら話が早い。そういえば…今思えば君からの返事を聞いていなかったな。改めて聞くとするとしよう」
「ちょっと…え?待ってくださいよ。その、本当に本当なんですか?その…あの、あの時の事」
「麻酔が切れる直前の、前後不覚になっている時に話したのはタイミングが悪かったと謝ろう。しかし、本当で本当の事だ」
「………信じられません」
「君はっ…!」
頑なに受け入れない唯に、御剣は辛そうに表情を歪める。そんな彼の様子を見ながら、唯はさも当然だというような態度で話を続けた。
「だって…信じられる訳ないじゃないですか。今までが今までだったのに…病気かと思いますよ」
今までが今まで。唯の台詞に、御剣は「ぐっ」と言葉を詰まらせる。メールも電話もデートも、言葉やそういった態度すら見せなかった今までの自分を振り返ると、唯の態度も分からなくはない。
しかし、ここで引き下がるわけにもいかない。
「……病気病気と君は言うが、正式な病名はなんなのだ」
「そうですね……恋愛無関心症、とか」
「そんなカルテ、存在するものか」
「そうですか。私の中にはあるんですがね」
「……ならば、完治したと君の中にあるカルテに書いてもらおうか」
「完治したと私が判断すれば、そうしましょうか」
小さく、どこか勝気な笑みを浮かべた唯を見つめながら、御剣は椅子から立ち上がってベッドの端に腰掛ける。ゆっくりと掛かる重さに耐え兼ねたように、ベッドがぎしっと軋んだ音を上げた。
「唯…」
そっと名前を呼んで、御剣は唯の左頬をそっと手のひらで撫でるように包み込む。そして再びゆっくりと上体を倒して唯に顔を寄せた。
唇が触れ合う瞬間、彼女が緊張したようにぎゅっと目を閉じたのを見て、御剣は嬉しそうに微笑んだ。
「好きだ。傍に、いて欲しい」
――…あの時、明け方に告げた言葉を再び口にしながら
御剣はゆっくりと繰り返し唯に口付けた。
***END.
あとがきというか、言い訳というか…>>