花と修羅

□それは恋、もしくは愛
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「いらっしゃいませ、あっ、おはようございます」


午前十一時。
寒空の下、開店してすぐにやってきたのは近所に住む小金井という名の老人だった。


「おはよう、咲ちゃん。今日も元気だねぇ」


ご近所内でも、怒ったところを見たことがないといわれるほどいつもにこにこと笑っている好好爺の小金井は、これまたいつものようにふんわりとした笑みを浮かべて咲を見た。
開店前に磨きあげたショーケース越しに、咲はつられてふにゃりと笑って応える。


「ありがとうございます。元気だけが唯一の取り柄なので」


「いやいや、元気なのはいいことだよ。はい、これをあげよう。今朝いただいたものだけど、ひとりでは食べきれなくてね。もらいもので悪いけど、よかったらお茶うけにみんなでお食べ」


「わあ、ありがとうございます! あっ、月代屋さんの和菓子ですね、嬉しいです」


差し出された袋を受け取ってはしゃぐ咲の背後から、仕込みをしながら話を聞いていた店主とおかみさんが礼をいう。


「いつもすみません。ありがとうございます」


「ご隠居さん、ありがたくいただきます」


「いやいや。さて、今日はなにを食べようかね」


にこにことつぶやきながらショーケースを覗き込む小金井のあとから、小さな子供連れの顔馴染みの女性がやってくるのが見えた。咲はにっこりと笑顔でふたりを迎える。


「いらっしゃいませ」


ここは個人で経営している小さな弁当屋で、もともとはコロッケなどの揚げものを主に扱う惣菜屋だったそうだ。
このコロッケが絶品で、むかしからの贔屓のお客さんも多く、近年になって進出してきた大型スーパーやコンビニなどの影響を受けつつも、日々繁盛している。


近くに高校があり、駅から徒歩圏内という立地もあってか周囲に学習塾や専門学校が多く、小腹を空かせた学生たちやひとり暮らしの単身者からの要望に応じて弁当をはじめたところ好評だったため、惣菜とあわせて弁当を扱うようになったという。
数年前、咲がはじめてこの店の存在を知ったときには、弁当屋としてすっかり地域に定着していた。


咲は、基本的に毎週月曜日と定休日の木曜日が休みで、それ以外の日は朝十一時の開店から閉店の二十時まで、あいだに休憩を挟みながらみっちり働いている。
咲の仕事は主に接客で、惣菜が並べられたショーケース越しにお客さんからの注文を聞き、代金を受け取り、商品を手渡す。そのあいだに、店主やおかみさんを手伝って揚げものをしたり弁当を詰めたりもする。


だから、たいていの常連客とはもうすっかり顔馴染みだし、話好きな年寄りに至っては、その家族構成や内部事情まで把握していたりする。
どこの家庭でも、それぞれなにかしらの事情があるものなんだな、と思いつつ、咲はにこにこと、ときには神妙な顔をしながらうんうんと話を聞くのだった。
 
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