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□山のあなた
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少し涼しくなってきた今日この頃、庭で過ごすティータイムは私達2人のお気に入りの一時だ。
この家が建っている場所が場所だけに、あまり風が強い日は難しいが、屋外に敷いたシートの上で午後の穏やかな時間を過ごすのは、出不精な私にはピッタリの非日常的空間だ。
人混みが(色んな意味で)苦手な彼も、どうやら楽しんでくれているらしい。
ふと、彼が顔を上げた。
何か見つけたのだろうか?
直接質問してみる前に、私はその遠くを見る彼の瞳をこっそり堪能する。
それはそれは優秀な瞳を持つ私の恋人は、食技をマスターするのだって朝飯前だった。
全世界に幾つか点在するという食林寺の1つへ「一緒に」修行に行ったのに、気が付けば四天王一の優男様は自分だけさっさと食技をマスターし、更に歴代最短記録で師範代の資格だって得てしまった。
それで、どうするかと思ったら、私の修行は自分が続きを指導すると皆を納得させて、あっという間に家に帰ってきてしまったのである。
あー、才能の差って、残酷。
それで、日々厳しい修行が…と思いきやそんな事もない。
ここに戻ってくれば、ごく自然に今までと変わらない日常が帰ってきた。
多分
穏やかな風に吹かれるその横顔を眺めながら私は紅茶を少し口に含む。
彼は私が…『食材』である私が、食材そのものに感謝できない事をよく理解してくれているんだろう。
人は、食べなければ生きていけない
つまり、自分以外の命を(…なんて言うと言い過ぎかもしれないけど、とにかく自分以外の生命活動を)犠牲にしなければ自分の活動が成り立たない。
それは決していけない事ではないけれど、ヒエラルキーの頂点にはどうやらいない自分としては、どうしても思ってしまうのだ。
どんなに感謝する気持ちがあったとしても、私を食べるのはやめて、と。
私には恋人がいて、彼も私の事が好きで、私がいないと夜も明けないの
だから―。
ふと、崖の向こうを眺めていた目が細められる。
その端正な横顔に見とれながら、その瞳を下から覗き込んで私は幸せに浸る。
あぁ、素敵な目
何が見えてるかなんてさっぱり分からないけど。
そうなのだ
何でもないようにふっと視線を向けながら、その実、彼が見ているのは何キロも先の光景だったりする。
特殊な目を持つ恋人と生きていくのは思った時に厄介で、「あ、あそこ」なんて言われても、その景色を共有する事ができない瞬間を、私達は普通の恋人よりもたくさん経験してきた。
電磁波を捉える彼には手品を見ても全てのタネが丸見えだし、風に舞う花びらの数だって彼の動体視力にかかれば正確にその枚数が数え上げられる。
見えない暗闇に怯えることもなく、「山のあなた」に幸いがあるなんて夢を抱くこともない。
今のこの光景だって私に言わせれば、のどかな初秋の穏やかな午後だ。
でも、もしかしたら彼にはもう既に見えてるのかもしれない。
「山のあなた」からやって来る、人間界を脅かす恐ろしい生き物の蠢きが―
はっきりとした姿、とまではいかなくても、その電磁波の兆しを、あの山の彼方に既に見つけているのかもしれない。
彼の瞳に映る世界を共有できないまま、その恩恵にだけ私はあやかる。
だからこそ
「ココさん」
「ん?」
何もかも視えているからこそ、何を見ているのか分からないその瞳が私の方を向いて、その焦点が私にだけ合わされる、この瞬間が私は好きだ。
全てを可視する瞳が、私だけを見てくれる。
あぁ、なんて幸せ。
「なんだい?」
「いやぁ、幸せだなぁと思いまして」
「随分呑気だね。明日にはグルメタウンに向けて出発するのに」
「そりゃ、信じてますからね〜『お師匠様』の事」
「何度も言うけどその呼び方はやめてくれないかな?」
「えー、事実じゃないですか」
「せっかく2人きりの時間なのに、まるでプライベートな気がしない」
「いや、ある意味それも良いと思いますけどね」
食没によって彼の生成できる毒の量は飛躍的に増大した。
いつか、水を操って彼をサポートしてあげようと思った自分が本当に恥ずかしい。
その身に大量の水と栄養を溜め込んで
その全てを毒に変えて
彼は1人、あの山の向こうの化け物と対峙する。
『山のあなた』に夢など持たない彼こそが、きっと明日世界を救ってくれる。
「そう言えば、遂にテレビデビューですね!」
「あまり気乗りしないけど、多分そうなるだろうね」
「折角ですから、できれば新技は全種類披露して下さいね」
「善処するよ」
そんな瞳が見るに値するものに、早く私もならなくちゃ
「楽しみにしてますね」
「うん。それにしても、随分と気に入ってくれたんだね、ボクのポイズンアーマー」
「当然ですよ!ものっそい格好良いじゃないですか!」
「そう?ありがとう」
あれを見て彼のファンが1人でも減れば良いと思っているのは私だけの秘密