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□惚れ薬入りケーキ
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【2部初期のお話です】



ここは崖の上の、人を寄せ付けない一軒家

キッチンには何故か本を立ち読みしているこの家の主


読書をするなら座ればいい

それは自宅だろうが屋外だろうが、複雑な化学式の本だろうが恋愛小説の文庫本だろうが同じ事だ

そもそも、リビングのテーブルやソファ、時には自室と、その日の気分で場所を変える事はあっても、腰を落ち着けもせずに読書に耽る等という行為自体、普段のココなら決してしないだろう。

では、なぜ彼は今、まるでいつでも全力疾走できるような構えで本を立ち読みしているのか。しかも、かなり切迫した顔をして



答えは恐らく、その長くしなやかな彼の指が食い込むようにして持っている本のタイトルなのだろう。



「おまじない全集」



どうやら彼女が時々披露してくれる知識に影響されたのか、ついうっかり本屋で買ってしまったらしい

彼の頭の中では今、その本から寄せられる情報と、購入時からずっと頭の中で繰り返してきた彼なりの言い訳とが、螺旋を描くようにもつれ合いながら格闘している。



元来、占いとまじないはセットで扱われる事が多い。

占い師である自分が呪術関係の書籍を所持していたとして、それをそこまで怪しむ者はいないだろう。

例え自分の占いの正体が、この瞳の力を用いた至極論理的なアドバイスに過ぎなかったとしても、なにも知らない顧客にとって、自分の占いも、この本に書いてあるおまじないも、同じ次元の話にしか見えないのかもしれない。

しかしこれは…

一度本に没頭すると周りが見えにくくなるココとしては、うっかり集中してしまいそうになる自分を叱咤激励しつつ、背筋に嫌な汗をかきながら本を片手にキッチンで1人悶々としている。


ところで、彼の目の前には、茶色いとろみがかった生地の入ったボウルもある。

少し艶のあるダークブラウンは、すべての材料が完璧なバランスで配合され、焼き型に入れられるのを今か今かと待ち構えている。


しかし。


最後の仕上げ、あと一つ残された工程を前に、ココは本を抱えたまま固まって動けないでいるのだ。

「…で」

できるわけないだろ…

ココは盛大に溜め息を吐いて天井を仰いだ。





最初の章にはラッキーが訪れるおまじないについて書かれていた。
それから次に友達関係のおまじない、素敵な出会いがやって来るおまじない、そして

今開いてる本のページは138ページ

恋人達のためのおまじないの章だ


いつの時代も、何処の世界も、この手の本はいつだって恋する乙女のために書かれている。

著者は「可愛いあなた」と読者に呼び掛け、意中の相手を「素敵な彼」と表現する。

そんな表現に赤面しながらも、次に内容を確認しては逆に顔面蒼白になる

赤くなったり、青くなったり、集中しそうになってはハッと首を振り、そわそわとキッチンの中を歩き、完全に挙動不審の極みにある彼の脳内では全身全霊の突っ込みが先程から炸裂しまくっていた。

(髪の毛を燃やしてその灰を生地に練り込むだって!?ボクの毒…は多分彼女なら大丈夫だろうけど、いや!そういう問題じゃなくて!『これ』はボクも一緒に食べる可能性があるんだ。ボクがそんなもの、食べられる訳がない)

パラリ、パラリとページを捲る音がキッチンにささやかに響く

(だ、唾液?どういう事だ?そんな不衛生な、いや、そもそもなぜ身体の一部を摂取させなければならないんだ?)


爪を粉末にしろ

生地を一旦体に塗って汗を染み込ませろ

真剣な顔でパラパラとページを捲っては書かれた内容を律儀に吟味し、そして即時にそれを却下する。

これもパス、これもパス、とページをめくるうちに食べ物のコーナーが終わってしまい、次に髪の毛を編み込んだマフラーの編み方が出てきた。

それはそれでドン引きしてからココは本をパタリと閉じる


そうして、生地を見下ろしココは何度目かの溜め息を吐く


本には一通り目を通した

その殆どは果てしなく非科学的で凡そ実現不可能なものばかりだったけれど、それでも幾つか比較的まともな方法も知り得る事が出来た。

となると、後はシンプルな話だ

やるか、やらないか

彼女の好きなブラウニーの生地が、焼き上がる前から仄かな香りをキッチンに漂わせる。

ショコラッコが持つ「ホロニ貝」は未だに生息地が判明していない。捕獲したければまずショコラッコを捕まえ、彼らの手から、苦くも甘い初恋の味がすると言うそれを奪うしか方法はない。

ココは占いで見事ショコラッコの活動地域を突き止め、そして今、そのホロニ貝は粉末のパウダーに姿を変え既にブラウニーの生地に練り込まれている。

茎の切り口がハートの形をしたサトウキビから生成した薄桃色の砂糖、「ラブ砂糖」もたっぷり入れたので、きっと彼女好みの味に仕上がってくれるだろう。

あとは、決断するだけだ

ていうか、いい加減決断しなければ、彼女が降りてきてしまう。

ココはキッと何やら決意すると、自分の頬が少し熱を持っているのを自覚しながらキッチンの台に両手を付き、そっとボウルを覗き込み、そして


ふうっと一息


生地に吐息を吹き掛けた



本当はおまじないの言葉も唱えなければならない


星と月の力を生地に混ぜ混んで、その力で相手の心を永遠に手に入れるのだ、とかなんとか


ココは握りこぶしで咳払いを誤魔化してから、生地をバットに丁寧に流し入れた。



…おまじないの言葉は言えないけれど


未来に希望を持つのは苦手な、これがボクの精一杯




充分予熱されたオーブンにバットを入れれば、ものの20分でブラウニーは焼き上がる。


生まれて初めて作った、おまじないケーキだ

…自分は何をしてるんだろうと自嘲しながらも、やっぱり長い時間過ごす内に相手の影響を受けてしまうのはある程度仕方がないよな、と自分を納得させていたら、トントンと階段を下りる音が聞こえてきた。

その瞬間、目にもとまらぬ早業で、ココはキッチンの棚の最上段、彼女にとって完全な死角であるそこへ本を隠す


「うわー!超イイ匂いですね!」

満面の笑顔でキッチンに現れた彼女は、焼き上がったばかりのブラウニーに小さくツンとした鼻を寄せ、その香りを胸一杯に吸い込もうとした


その瞬間


…やっぱりダメだ!

「ちょっと待って」

ココはあくまで爽やかにそれを制止した





「本当にすまない」

分量をね、間違えてしまったんだ


こんなにイイ匂いなのに、ですか?


面目ないよ。代わりに今日は貯蔵庫にとっておいたクッキーでお茶にしよう


もー、ココさんってば完璧主義者

一応これでも美食屋の端くれだからね

それを言われちゃ仕方ないですね。えっと、貯蔵庫でしたっけ?じゃぁちょっと行ってきまーす



嘘だ

本当はクッキーの箱はリビングの棚にある



今だ!

ココは急いで屋外へ出ると、小声でキッスを呼び寄せた

「キッス、すまないがちょっと力を貸して欲しいんだ」

今の内に、どこかの草原にこれを置いてこよう

「彼女にね、これを食べられる訳にはいかないんだ」

心優しい小さな生き物達は、きっとこの愚かなケーキを跡形も残さず食べてくれるだろう

「キッス、お願いできるかい?」

まじないなんかを頼ってしまった弱気な自分の象徴を、広大な自然の一部に還して、そしてもう一度やり直そう。

「ア゛ァ」

彼女、こっちに気付いてないよな?

そう思ってココが屋内を伺ったその瞬間



ぱくり


「…え?」


ゴクン


「あ…」



唖然とするココを、まだ切り分けてもいなかったブラウニーを一口で飲み込んだキッスは見下ろして、「違ったか?」と首を傾げる。


「いや、…うん、いいんだ」


「あれー? ココさーん、クッキー見つかりませんでしたよ〜?
って、あ! もしかして失敗作、キッスさんにあげたんですか?
ひどーい。
え? そうですか?
『うまかった』って言ってますよ。優しいですね、キッスさん」


「うん、そう、そうだね」


まぁ、これはこれで良しとしよう。


「ホロニ貝がまだ少し残ってるんだ。あれでホットチョコレートを作ろうか」

「お〜、最高ですね!」

「そう言えば今思い出したよ。クッキーの箱はリビングの棚に置いたのかもしれないな」

「そうですか?じゃぁ見てきますね」

先にパタパタと屋内へ戻って行った彼女の背中を見送ってから、ココは少し背けていた顔を元に戻した。

その頬がほんのり染まっている事に気付いたキッスは「相変わらずあいつの横顔は美しいな」と思いながら閉まる扉を見送ってから

「……美しい?」と首を再び傾げた。

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