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□影踏み
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(sirena2ーSopaのちょっと前くらいのお話です)
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とある朝、キッスは奇妙なものを目撃する。
断崖絶壁の上に建つ一軒家、庭の小さなハーブガーデンで、この家の主は朝の水やりに精を出している。
それは別に問題ない。
奇妙なのはその背後からそっと彼に近付こうとしている彼女の方だ。
同居人から家族へ、そして今は修行中の身へと目まぐるしく立場を変えている彼女が、抜き足差し足忍び足といった様子で少しずつ歩を進める様子は、なんとも滑稽に見える。
一体アイツは朝から何をやってるんだ?
キッスが首を傾げて口を開く前に、背後の気配に気付いたココが「おはよう」と振り向いた。
「お、おはようございます〜!」
その瞬間、慌ててて後ずさってキッスがいる場所までやって来た彼女に、取り敢えずキッスは何を企んでいるのか聞いてみる事にした。
「影を踏もうとしたんですよ」
「影?」
未だ巣の中にいるキッスに向かって少し内緒話のようなポーズをとった彼女はそう教えてくれる。
「踏むとどうなるんだ」
「忘れました」
ガクリ
朝からキッスの羽が2、3枚抜け落ちた。
…コイツと会話をする時に真剣になったら負けだな。
そう気を取り直し、キッスは根気よく会話の続行を試みる。
「ならなぜ踏みたがるんだ」
「いや、詳しくは忘れちゃったんですけどね。確か良いことがあった気がするんですよ。『好きな人の影を気付かれずに踏むと』…ライバルが減る…とか、なんとか」
「?」
キッスにはなんの事やらさっぱり分からない。
ココの影を踏むという行為が第三者に何か影響を及ぼせるものなのだろうか?
「あ、やだな〜、キッスさん。ただの『おまじない』ですよ」
パタパタと手を振る彼女を眺めながら、キッスはカラスのくせにおうむ返しをするしかない。
「…おまじない」
「はい。何て言うか、まぁ、占いと似たようなもんですよね。本当かどうかは別にして、ちょっと望みを持ちたいなって時には良いじゃないですか。」
「そうか」
やはり分からん。
キッスはそう結論付けるしかなかった。
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その後も、キッスが観察するに、彼女の取り組みは続いているようだった。
さすがにその態度を怪しんできたココに「これは消命の練習なんです!意識を水に溶かすように気配を絶つ練習はきっと水をコントロールする為の良いイメージトレーニングになりますよ!」と熱弁を奮った結果、「そうかい?じゃぁ、頑張って練習台になるよ」と逆にハードルを上げてしまい、出来上がった墓穴の大きさと深さにうちひしがれる彼女を慰めたのは他でもないキッスだ。
今日も、努力の甲斐無く朝のチャレンジに失敗した彼女をひとしきり労る振りしてスルーしたキッスは、ココを迎えに空を舞う。
帰宅すると、彼女は丁度洗濯物を取り込んでいた。
「あ、おかえりなさい」
籠も持たずに洗濯物をまとめて持った彼女が何気なくココの元へ駆け寄る。
ふと、ココが一歩後ずさった。
「え?どうしました?」
「あ、いや、影を踏まれそうだったから」
西に傾きつつある太陽が、長身の彼の影を更に長くする。
その影が、彼女へ向かってまっすぐに伸びていた。
「何言ってるんですか?後ろから気付かれずに踏まなくちゃ意味がないんですって」
「そうか。確かにそうだ。頑張って意識しすぎたみたいだ」
「そ、そうですよー。なんたってこれは『消命』の修行なんですから!」
うっかりおまじないのルールをカミングアウトしてしまい、途端に慌ててまた新たな墓穴を掘ろうとしている彼女に、ココはふわりと微笑んだ。
その顔が幸せそうで、キッスは嬉しくて堪らなくなる。
「この修行、思った以上に大変だ」
「そうですか?」
「うん。だってキミが近付いてきてくれるのにそれを避けるなんて、辛いじゃないか」
「え?って、うわわっ!」
洗濯物ごとまとめて抱き上げられて、驚きに目を丸くする彼女と、それを蕩けるような顔で見上げるココ。
彼女の思考回路は理解不能だが、それが彼をこの顔にさせるのだから、人間とは面白い。
「やっぱり、どうせなら正面から来て欲しいな」
「だから、それじゃ意味がないんですって」
「なら、体捌きの練習という事にしよう」
「だから、それじゃ意味がないんですって」
「どうして?」
「え!?いや、だからその、ほら、消命の練習ですから」
「じゃぁ、それは別の生き物で練習しよう」
「いや、だから、それじゃ意味が…」
2つの影が1つに重なって、暮れなずむ景色に別れを告げ屋内へと姿を消していく。
影が消えるその直前、2人がお互いしか見ていないことを確認したキッスは、爪先でそれをちょんと踏んでみた。