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□抜け毛のジンクス
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「はい、ココさん」
なんて事はない、いつもの朝。
彼女がそう言ってボクに親指と人差し指をつまんで見せた。
そこには、短く黒い髪の毛…、どう見てもボクの髪の毛が挟まれている。
「背中に付いてましたよ」
そう報告して彼女はそれをゴミ箱に捨てた。
「ありがとう」
とりあえず礼を述べながらも、何となくボクは最近複雑な気持ちをもて余してしまう。
彼女がこれをするのは今に始まった事ではない。
ボクの体、肩や背中についている髪の毛を取る時、彼女は必ず一言断りを入れて、おまけにブツを目の前に掲げて見せてからそれを処分するのだ。
(ブツなんて言い方は品がないと重々承知しているのだが、彼女が何度も「証拠のブツです」なんて言っている内にすっかりボクにもうつってしまっていた)
一応、自分の体質の事もあるので、普段は髪の毛1本、汗の1滴でさえ己の管理下を離れる事のないように気を付けているつもりだ。
ありがたい事にそれらに触れても何の問題もない彼女が自分のフォローをしてくれているという事は、なんとなくくすぐったいような、嬉しい気持ちになる。
なるにはなる。
しかし、それとはまた別のものも求めてしまう自分は、やっぱり贅沢なのだろうか?
例えば、帰宅後の敷地内で自然と気が緩んでいる自分を、さり気なくそっとフォローしてもらう、とか。
行為に気付きながらも、お互い敢えてそれについて言葉を交わすこともないような、どこまでも当然の如く行われるささやかな触れ合い、とか。
そういうシチュエーションに、いい歳した大人が憧れてしまうなんて、やっぱりちょっと女々しいのかな。
あぁでも、もし彼女が気を使って毎回きちんと報告してくれているのであれば、「家にいる時はわざわざ報告しなくても良いよ」ぐらいはむしろこちらから申し出るべきなのかもしれない。
そんな事を考えながら少し顎に手を置いていると、固まった自分を訝しんだ彼女が、目の前までやって来て手を振ってきた。
「ココさーん、大丈夫ですかー?」
「あぁ、すまない、少し考え事をしていてね」
「?何かあったんですか?」
「いや、…うん、そうだな。実はさっきの髪の毛なんだけど」
そう言ってボクは彼女を見下ろし、なんてことはないような素振りでそっと自分の希望を伝える。
むしろこれは君の為だよ
そういうスタンスを敢えて探そうとしている自分に少し自嘲しながら「家にいる時は、わざわざ報告してくれなくても、そのまま捨ててかまわないんだよ」とボクは彼女にそう告げた。
「え〜!それじゃダメですよ!」
思いの外強く否定されてしまってボクはちょっと面食らう。
「ダメ、なの?」
「そりゃ、ダメでしょう」
そう、か。
まあ、彼女がそうしたいのであればそれで別に何も問題はないのだが…。
「ココさんともあろう方が、知らないんですか?」
「え?」
何を?
「背中とか肩に付いた抜け毛を他人に捨てられたら失恋しちゃうんですよ?」
彼女はそう言って、特になんの脈略もなく腕を組んだ。
「…うん?」
失恋…?
彼女は「占い師なんですから、こういうのはよくご存じかと思ってました」と言いながらそのジンクスを破る唯一の方法について教えてくれた。
内容は至ってシンプルだ。
勝手に捨てられたら失恋してしまうのであれば、勝手に捨てなければ良い。
つまり、髪の毛の持ち主に一度それを見せてから捨てれば何も問題はない、らしい。
「えーと。つまり、今までのは、ボクが失恋してしまわない為のおまじないみたいなものだったの?」
「ですです」
当然のように彼女はそう答える。
ボクは少し可笑しくなってしまって、1つ息を漏らす。
「その…。もしかしたら気付いてないのかもしれないんだけど」
「あ、私もありました?抜け毛」
「いや、そうじゃなくてね。ボクが失恋しない為の協力なら、他にも方法があるんじゃないかな、って」
「え?どんな方法ですか?」
さすが稀代の売れっ子占い師様、教えて下さい、お願いしますとこちらを見上げてくる彼女にもう少し近付いて、とりあえす囁いてみる。
「例えば、永遠の愛を誓う、とか?」
「え?………あっ!?」
ボクの失恋させることのできる唯一の人物が、それを気にするぐらいなら、いっそそうしてしまえば良い。
しかし、よく考えたら物凄い事を言ってしまった気がする。
少し気恥ずかしくなったボクは意味もなく1つ咳払いをした。
一瞬の間をおいてその意図を理解した彼女は、途端に今まで自分の行動が恥ずかしくなったのか、う〜、あ〜、と頭を掻きむしりながらどこかへ行こうとする。
ボクに向かって背を向けた、その背中に、キラリと光る一筋の銀。
ボクはそれをそっと摘まんで確信と共にゴミ箱に捨てた。