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□toitoitoi
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 その朝、一緒に街へと出掛けるべくテーブルを立ち上がった彼女は、何気なくそこを3回ノックした。

「どうかしたかい?」

 そう尋ねると、何でもない事のように「あぁ、おまじないですよ」と返事が返ってくる。

「おまじない?」
「はい、幸運をもたらすおまじないです」

 少し肌寒くなってきた外に備えて薄手のカーディガンを羽織った彼女は、ちょっと考える仕草をしてから、面白い事を思い付いたような顔をした。

「『toi,toi,toi』っていうんですけどね」
「トイトイトイ?」
はい、と彼女は頷く。
「私が元いた世界には悪魔の歌手がいまして、その人が歌う幸運の歌のタイトルです」

「…すまないが、どこから突っ込んだら良いのか分からないよ」
 結構真剣に答えたつもりがそれは彼女を更に笑わせただけだった。

「もちろん、悪魔だなんて本当はウソですよ?本人曰わくお年は10万歳とちょっとでしたけど、そんなの子供だって信じてませんでしたし」

 でも、その歌を歌う彼の声ってば、優しくて穏やかで、歌詞もとっても素敵なんですよ〜。

 そう言って彼女はすっかりハミングモードに入ってしまう。

 仕方がないのでボクは彼女をエスコートするように急かしながら(急かすようにエスコートした訳ではないのがポイントだ)キッスの元へと移動した。

 「ドイ…私の国から見たら北西の国に伝わるおまじないの言葉らしいんですけど、実は歌詞はちゃんと覚えてないんです」

 歌詞が素敵なんですと言う割にそう前置きする彼女へ、ボクは構わないよと答える。

 彼女は全ての歌をきちんと歌える訳ではないので、知らない部分は急に「ふんふん」と言い出したりする事がある。

 時には聞いてしまった事を思わず後悔するくらい肝心な部分が抜けてもどかしい思いをする事もある。
 なぜ一番肝心な部分が忘れられるのか分からないが、印象に残る部分が彼女とボクでは違うんだろう。

 とにかく、こういう時の彼女の歌は、あまり真剣に歌詞を追わない方が良い。
 そう自分に戒めながらボクは彼女の歌声に耳を澄ませた。

朝が来てtoi,toi,toi
木のテーブルtoi,toi,toi
今日の日もtoi,toi,toi
良いことがあるように


 そして、あっけなく歌詞は姿を消す。

ふふふんふんふんtoi,toi,toi
ふふふんふんふんtoi,toi,toi
しかしそれでは面白くなかったのだろう、彼女は再び歌い始めた。

「ネオトマトtoi,toi,toi
幸せがあるように〜♪」
「え?」

 思わずそう口に出すと、彼女はチラッとこちらを見て「まぁ良いじゃないですか」と楽しそうだ。

朝が来てtoi,toi,toi
木のテーブルtoi,toi,toi
ココさんにもtoi,toi,toi
良いことありますように
今日の日を強くする
おまじないの言葉
toi,toi,toi頑張れ
きっときっと大丈夫

 何か言いたげなボクに先制するように彼女は断言する。
「別に上手に歌う必要も正しく歌う必要もないんですよ。大事なのは楽しく歌う事です!」
 さぁ、と今度はキッスを巻き込んで歌おうとする。

「キッスさん〜も」
「ア゛〜」
「朝が来〜て」
「ア゛〜」
「どこまでーも」
「ア゛〜」
「飛〜んでゆけ〜ますように」

 信じられない事にキッスは彼女に付き合って歌っている。
「良いですよ〜キッスさん。今すぐデビューできますよ」

 彼女はご機嫌に今度はこちらを向く

お客さんtoi,toi,toi
花屋さんtoi,toi,toi
パン屋さんもtoi,toi,toi
幸せになるように

少し肌寒い朝の空気を、彼女の歌が言祝(ことほ)いでいく。

喧嘩してtoi,toi,toi
焦げた料理toi,toi,toi
泣きべそにtoi,toi,toi
良いことあるように

今日の日を強くする
おまじないの言葉
toi,toi,toi頑張れ
きっときっと大丈夫

 ひとしきり歌って満足したのか、キッスを降りてからはまたふんふんと口ずさみながら彼女は歩く。
「…歌の力って想像以上だよね」
「ですか?」
「適当にその場の雰囲気とノリで誤魔化したものでさえこれなら、本物の歌の威力は凄まじいんだろうな」
「うっ…。相変わらず何気にチクリときますね」
 若干凹みながら歩いていく彼女の背を見る。

 おまじないの歌1つでその日が変えられるなら、自分の少年期はもう少しまともなものになっていただろう。
 それでも、まじないの類いを一切信じない占い師よりも彼女の方がずっと強く見える瞬間が確かにあるのは何故だろう。
 少し小さくなったハミングに合わせて歩く彼女の歩調に合わせれば、体格の違いからあっという間に彼女に追い付く。
 そこで歩幅を狭めながら、彼女の肩をポンと叩く。

「さ、元気だして。toi,toi,toi、だろ?」

 ちょっと拗ねた彼女の顔がまぁいっかと笑顔に変わる瞬間、位置を高くした太陽がもう一段階空気を暖かくした。

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