sirena3
□ocho,nueve,tres
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マッチさんに保護されてから1週間
今日の私はOL風のスーツに身を包み、ドアをノックしてから組長部屋へ入室する。
もちろん、正面からではない
奥の仮眠部屋からだ
あれから、マッチさんの暇を見付けては教えてもらったグルメヤクザのしきたりは、果たしてこの世界独特のものなのか、それとも私の知っている世界に類似した部分があるのか、ソッチ方面の知識があまり無い私としては判断しかねている。
が、中々に奥が深い。
まず、グルメヤクザに入った人は「飯炊き」という仕事から覚えさせられる。
いわゆる厨房係だが、これは食事を作ればいいという単純な仕事ではないそうだ。
そもそも、マッチさん曰く、グルメヤクザになろうなんて人はまずまっとうな教育を受けていないし一般的な教養も持ち合わせていない。
(ちなみにこの世界で「教養」とは即ち「食に関する知識」だ。食材の名前とか、その捕獲レベルとか、あと食材の味そのものも含まれるらしい)
という訳で、由緒正しいグルメヤクザ育成の第一段階は、まず徹底的に厨房で食に関する知識を叩き込まれるところから始まる。
そうして、様々な食材に関して教養を深めると同時に、給仕を通して組の人間関係、特に上下関係を重んじる姿勢について学んでいく、と
つまり意外にも、グルメヤクザの世界に足を踏み入れた者をまず待ちかまえているのは完全な集団生活と徹底した教育になる訳だ。
テキヤ(?)やらイロマチ(…風俗かなぁ?)やらの仕事に関わらせて貰えるようになるのは早くて数年後になるらしいから、なかなかどうしてその道のりはどこかの料亭で修行している板前さん並みに厳しそうに見える。
…なんて知識は増えたけど、実際にその現場を見た事なんてありません。
全部マッチさんから聞いただけです。
いかつい男たちがズラリ並ぶ食卓(飯炊きの人達は黒スーツに白エプロンらしい。うは)の様子も、食の知識に関しても(恐竜みたいな生き物の中にだって、美味しい奴がいるらしい…いやはや)全てはこの小さな仮眠部屋で一日を過ごし、たまに組長室にマッチさんしかいないタイミングを見計らっては聞いて仕入れた情報でしかなくて、信じようと誓ったものの、まだ時々苦労してしまっている自分がいる。
未だに未練がましく、もしもこれが壮大なドッキリで、私はまんまと騙されている間抜けな女としてカメラに映されていたとしても、むしろ許せるんだけどなぁ、とか思ったりしちゃってる自分もいる。が、どうにもこうにもやっぱりこれは全て現実だ。
「名前、まだ決まらねぇのか」
マッチさん以外誰もいない組長室で、小さなガラスケースに納められた『レオドラゴンの牙』の欠片とやらを眺めているとふいにそう尋ねられた。
「今、絶賛リサーチ中なんです。できれば無難な名前が良いんですけど、なにせまだ何が無難かも分かってないんで」
レオドラゴン、という、なんだかRPGの敵モンスターみたいな生き物は本当に実在するらしい。
そんでもって、彼の愛刀「竜王」はその牙から作られているそうで。
…レオドラゴンの牙で作ったんなら「獅子竜」の方がマッチしてるんじゃないかな?
…ダメだ。
うっかり面白い文章を作ってしまった。
思わず吹き出すと、マッチさんに怪訝な顔で見られてしまう。
「いや、名前が。面白いなぁと思ったらつい」
「名前?」
「はい」
私はしれっと本当の理由の隠蔽を試みる
「洋風かと思えば和風なのもあって、かと思えば聞いたことない響きの名前もあって…。面白くてリサーチするのはなかなかに楽しい作業です」
まぁ、これは本心だ。
更に言うなら、親父ギャグ好きの私としては、食材の名前だって面白くて仕方がない
マッチさんと、先に食材の説明を聞いてからその名前を当てるようなゲームなんかして見事答えられた日にはもう、腹を抱えて笑いながら生きてるって素晴らしい、なんてしみじみ思ったりもする。
「という訳で申し訳ありませんが、もう暫くは『お前』で」
そう告げると「ま、ずっとそれでも俺ぁ良いんだけどな」と鼻で笑って、彼は手元の書類に目を落とした
。
ウソだ
どんなに下っ端だってちゃんと名前で呼んであげてるこの人の事だ、きっと焦れったい気持ちがあるんだろう。
知れば知る程、見た目を裏切る良い人だ。
「いっそマッチさんに付けて頂いても構わないんですけどね、名前」
「あぁ!?てめぇ、よく考えてものを言え」
特に深い意味もなくそう言ってみると、なぜか思いっきり睨まれてしまった。
「す、すみませんでした」
そうだったそうだった。
うっかり話し込んでしまったが、彼はなにやら仕事中だ。
私は今更ながらそんな事に気付いていそいそと仮眠室へと移動を始める。
扉を開けて、ちらりと見たマッチさんの手元の書類には数字がびっしり書き込まれていた。
ヤクザの組長の仕事なんて全然想像も付かないが、とりあえず彼の1日は大量の書類を捌くことから始まる。
シマと呼ばれる自分のテリトリー(マッチさんは「シマを預かる」と良く表現している)のお店から支払われるショバ代や、直営している水商売系の店からの収入…。
そういう収益を一括で管理・把握する彼の手元にある紙なんだから数字がびっしりと書き込まれているのは当然の事なのに、思わずうへぇ、と思ってしまった自分に「…と言うことは私は文系なんだな」と納得する。
うん、これはきっと間違いない。
「それで、今日の服は何だ」
扉を閉めようとしたら、書類から目を上げる事なく、こちらに背を向けたままでマッチさんがまた尋ねてきた。
「OL風、らしいです」
「昨日のナース服よりはずいぶんましになったな」
「その前のチャイナ服よりも相当ましです」
「…ルイの野郎、」
こちらに向けていた背中が少し丸まって、ガシガシと頭をかいてから低い呻き声が聞こえてくる。
と
そんな様子にこっそり笑っていたら、誰かが正面の扉をノックする音が響いた。
「入れ」
私はその声を合図に仮眠室の扉を閉めようとする。
一旦扉を閉めてしまえば組長室の中の音はそんなに漏れ聞こえてきたりはしないのだが.今回はちょっと退散が間に合わなかったのか、はたまた入室してきた彼が慌てていたのか、私はハッキリとその一言目を耳にした。
「大変です!マッチさん!ゼブラが、ゼブラが出所しました!」
「なんだって!?」
ゼブラ?
途端にバタバタし始めた組長室の様子を伺いながら、私は薄情にも「そうか、動物の名前もアリなのか…。いや、アリは昆虫か…。じゃなくて!えーと、ホース、ドッグ、キャット、エレファント、タイガー、ペンギン…。あー、どれも違うな〜」と呑気に独り言を呟き続けた。