IGO大学体育会美食道部
□霜月の溜め息
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みかんを食べながら、亜弥はふとココのこぶしを見る。
その拳ダコに治りかけの傷を見つけ、何気なく亜弥はそこを指でなぞった。
先日の地区大会で付いた傷だろうか?
いや、大会では両手両足に防具を着用する。
恐らく大会前の追い込み練習中にできた傷だろう。
防具を付けた感覚も、付けていない時の感覚も、両方知っておいた方が良い。
痛みを知らない場所は少しでも少ない方が良いというのが部のモットーだ。
そういう亜弥のこぶしにも傷ができている。
傷自体は大した問題ではないが、できた場所が悪い。
本来なら突き技で当てるべき人差し指と中指の付け根ではなく、人差し指の第2関節だったり、握り込んでいるべき親指の関節なんかにかさぶたができているのだ。
それは亜弥のフォームがきちんと出来てない事を何よりも如実に表しており、対するココの傷はまるで教科書に出てくるようにきれいに人差し指の付け根の一番骨が出っ張った部分で、こんな傷1つとっても自分達の差がありありと見てとれて、自然と亜弥はため息をついてしまった。
「ボクが逃げてくよ?」
「は?」
突然のココの発言に亜弥は混乱する。
ココさんが?逃げる?
どこに?
ていうか何で?
亜弥はココの顔を覗き込んでみるが、いつもと同じ微笑みからは何も読み取る事ができない。
このプリンススマイルであんな組手をするんだもんなぁ。
亜弥は前を向き、また1つみかんを剥きながら、目の前のテレビをぼーっと眺めた。
トリコもゼブラも、3年目を半分以上過ぎ、その強さは着々と全国レベルに近付いている。
ゼブラが、黒帯確定選手として黒帯の部に出場した無差別級の試合初戦。対戦予定の選手が直前に棄権した時は、「俺に適応しろよコラァ!」と怒る彼の後ろで小松と、いやむしろ適応したから棄権したのでは?と苦笑しあったものだ。
サニーも、あの髪型のみならず独特のファイティングスタイルは大会で注目を集めていた。
(もちろん、ライト級色帯の部で彼は優勝した。
面白いくらいトリコ達と同じルートを歩んでいる)
だが、やっぱり何よりも圧巻だったのはココの試合だ。
亜弥の目の前に、あの日の光景が蘇る。
去年の亜弥は裏方作業にすっかりテンパっていて、メンバーの組手の様子なんてさっぱり見えていなかった。
だか、今年は去年よりかは落ち着いて彼らの試合を観戦する事ができた。
少し余裕のできた目で観察するココは、コートの中でも熱心な研究者であり、セコンドの指示を忠実に再現する格闘ゲームのキャラクターのようでもあった。
セコンドについたマンサム監督は、まるで世間話をするようにココに話しかける。
「とりあえず幾つかフェイント出して様子見から始めるか。ん?相手は右からの攻撃の方が得意みたいだな。ココ、スイッチだ」
彼がそう言えば、ココはすぐさま構えを変えて左側からフェイントを幾つか出す。
「どうだ、クセが見えて来たか?ちょっと試しに蹴りから懐に入ってみるか。右左右右、よし!右だ」
独り言のように出される指示の全てをココは瞬時にやってみせ、そうして監督と相談し合うように相手を攻略する事3分2本勝負、終わって見れば4-0でココのストレート勝ち、型と合わせて文句なしのダブル優勝だった。
あんな組手、恐らく50年計画で頑張っても多分亜弥には無理だろう。
なにせ亜弥は一旦試合が始まると、何を考えれば良いのかさっぱり分からなくなる。
要りもしないフェイントを出して自己嫌悪に陥ってみたり、全然組手に関係ない事を考えたりしてみたりしている内に、気が付いたら試合が終わっているのだ。
はぁ、と無意識の内にまた溜め息が出る。
「ボクが逃げてもいいの?」
またさっきと同じ発言をココがしてくる。
ココとしては早く亜弥に「それ、どういう意味ですか」と質問してもらって、「だって君の幸せはボクだろう?」と言いたいのだが、亜弥はくるりとココの方を振り向くと「そういえば、『良い試合』って、あれは皮肉だったんですか?」と聞いてきた。
「良い試合?」
「はい、去年の地区大会で、負けた私にココさんそう言ってくれましたよね?」
「ああ、あれか」
「あれは、どういう意味だったんですか?」
「どうって?」
「だって私、負けたじゃないですか」
「うん、そうだね。今年の決勝戦と同じだ。キミは延長に弱い」
「…が、頑張って克服します。…いや、だから、何でそれが『良い試合』になるんですか?」