IGO大学体育会美食道部
□師走の独り言
2ページ/5ページ
目の前から消えた亜弥に、ココは一瞬驚いてから感心する。
気配を断って行動するのは自分の隠れたスキルの1つで、今まで散々彼女を驚かせて楽しんで来たが、いつの間にかそのテクニックを盗まれてしまっていたらしい。
ふと、浴室から水の流れる音がした。
どうやら風呂の準備をしてくれているようだ。
なる程
2人で暖まって、さっぱりしてからこの刺身を食べて、先月から復活したコタツで一緒に夜を過ごす。
完璧なプランだ。
彼女を抱えてコタツに入ったら、もう一度彼女を勧誘してみよう。
お茶の会社はもちろん、警察だって彼女の経歴を見れば諸手を上げて歓迎するだろう。
同じ仕事に就いている自分達をちょっと想像しながら、ココは彼女の最後の試合の様子を思い起こして少し頬を緩ませた。
―――――――――――
来年は教育実習の関係で地区大会に出られない彼女にとって、先日の大会は事実上の引退試合だった。
(もちろんトリコみたいに実習を抜け出して試合に出る人騒がせな馬鹿もいるが、彼女はそこまでしないだろうとココは考えている)
決勝戦、彼女のセコンドには四天王が集結した。
全員各階級で優勝を決め、プログラムの関係上最後になっていた女子部の試合に駆け付けたのだ。
サニーも黒帯をとり、4人の黒帯が並べば、それだけで相手にはプレッシャーがかかる。
ゼブラが「亜弥てめぇ、普段からオレの蹴り食らってんだ!んな奴の攻撃にビビるんじゃねえぞ!」と叫んで会場中を引かせる。
彼女が律儀に「はい」なんて答えるから、余計に不気味さに拍車がかかる。
試合前にこういう事を考えるのははなはだ不謹慎だったのかもしれないが、4人全員が彼女の優勝を信じて疑っていなかった。
技のキレも、スピードも、他の選手とはレベルが違っていたからだ。
決して自分の惚れた欲目ではなかったとココも断言できる。
試合前の研ぎ澄まされた雰囲気は、彼でさえ近寄り難いものがあったくらいだ。
それでも、期待を裏切らない彼女はその意外性をこんなところでも見せつける。
決勝戦、2分2本勝負
相手は黒帯だったとは言え、彼女の敵ではなかったはずだ。
それなのに、驚くべき事に、彼女とその対戦相手との相性は最悪だった。
例えるなら彼女とゼブラの関係だ。
なぜかこちらの攻撃があたらない。
なぜかあちらの攻撃が面白い程入る
まるで狙ってやっているかのように見事に全ての攻撃が当たってしまい、
終わってみれば4−0で亜弥のストレート負けだった。
セコンドの4人全員がポカンと口を開ける。
相手側のセコンドに挨拶を済ませた彼女も、呆気に取られた顔をして戻ってくる。
ベッドギアを取っての開口一番は「…あれ?」だった。
―番最初に笑い始めたのは、ゼブラだ。
それがトリコからサニーへと伝染し、最終的にはココまでが腹を抱えて笑い始めてしまう。
会場中が不思議そうに4人を見つめるが、こればかりは止められない。
そしてその理由を明確に説明する事は誰にもできなかった。
ただ、実に彼女らしい引退試合だった。
その場にいない小松君にも見せてあげたかったなと思いながら、あぁ、大学に入ってからこんなに笑ったのは初めてだ、とココは思った。
――――――――――
「ん?」
ふと我に帰ると、亜弥の姿がまだ見えない。
そう広くはないこの空間の中、彼女の姿が見えないだけで自分はこんなにも違和感を感じてしまう。
切り終えた刺身を一旦冷蔵庫にしまい、ココは浴室へと向かう。
「亜弥ちゃん?」
「、はい」
彼女は洗面台で手を洗っていた。
しかし、一向に顔を上げようとしない。
「亜弥ちゃん?」
「大丈夫です」
そう言って亜弥はタオルを手繰り寄せて顔も拭く。
「ちょっと洗剤が目に入っちゃって…」
おかしな事を言いながらこちらを見ようとしない亜弥の肩を無理やり掴んでこちらを向かせると、慌てて俯く彼女の両目が真っ赤になっているのをココの瞳が素早く捉えた。