IGO大学体育会美食道部

□いつかの神無月
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あれから、何度か桜の季節を繰り返して、私は今、地元で中学校の非常勤講師をしている。

非常勤と言っても結構色々任されて、毎日寝る間も惜しんで授業の準備をしては、反省する日々の繰り返しだ。

体育会系の部活をしてたんだから根性はあるんだろう、と学年主任に時々無茶振りをされる事もあるが、今のところは確かに根性で何とかなっている。


 
サニー君は卒業後、希望通りメルク精機に入社を果たした。

緻密で美しい(らしい)設計図に囲まれた日々は充実しているらしいが、もの造りの世界は職人気質な人が多いのか寡黙な上司が多く、コミュニケーションに相当苦労していると言っていた。

10年なんて待たずに今すぐにでも独立したいと事ある毎に愚痴る彼は、美食道部を4年間辞めなかったくせに「ソレはソレ、コレはコレだって」と唇を尖らせている。

 

トリコさんは、本当に小松さんを連れて世界中の未知なる食材を求める旅に出てしまった。

未開のジャングルや灼熱砂漠の中で珍しい生き物を素手で捕獲し、それを小松さんが美味しく調理する。

それ自体はよくある番組設定だが、なにせ2人のキャラがかなり濃い。
一連の様子が一度テレビ番組で取り上げられると、あっという間に人気が上がり、今では深夜番組ながらも毎週レギュラー放送されるまでになった。

トリコさんが突発的に小松さんを連れて秘境に繰り出し、意外にも専門的なうんちくを披露しながら豪快に獲物を捕らえる。そしてそれを小松さんが極上の一品に調理する。

何がすごいって、小松さんの作る料理がトリコさんや番組スタッフのみならず、現地の方々からも絶賛される事だ。

様々な食文化の存在するこの世界で、国境を越えた味を造り出せる料理人はそうはいない。

現地の人達が彼の料理を褒め称える姿に、関係者でなくとも誇らしげな気持ちになるのだろうか?
トリコさん以上に小松さんの人気もなかなかに高いらしい。
 
ちなみに、番組のタイトルは『美食屋トリコと料理人小松のガツガツ世界探求記』。美食屋ってなんだよ?と思うが、間違いなく彼らが一番美食道の精神を体現してるんだろうな、とも思う。

今はただ1日も早く、小松さんが自身のレストランをオープンする日を待つばかりだ。


 

ゼブラさんは本当にジャーナリストになってしまい、1年の殆どを海外で過ごしている。

行く先々で撮った写真に詩を付けては出版社に送る活動を続ける事2年、彼はついにとある雑誌で連載を持つに至った。
彼の顔写真付きで紹介されるその詩は、素顔とのギャップもあるのか中々の人気コーナーになりつつあるらしい。

『あいつが行けば、紛争だって逃げて行くに違いない』とトリコさん達と笑っていた時もあったが、現実はそう簡単ではない。

彼が行ったところで戦いは止まないし、人は死に続ける。

それでも彼は活動を止めようとはしない。相変わらず「調子に乗ったヤツらを見るとムカついて堪らねぇんだよ」と言いながら、バイトでまとまったお金を作っては海外へと飛んでいく。

…実は彼は、掲載前の写真と詩を時々私に送ってくれる。

貧困地帯や紛争地域を渡り歩く彼の撮る写真は、それでもどれも美しい。
現在中東を回っている彼から、先週また封筒が届いた。

中にはA4の大きさにプリントアウトされた、夜の水溜まりに浮かぶまん丸い月の白黒写真が1枚。

モノトーンのその揺らめきが、中東では貴重な雨水なのか、紛争で流された血溜まりなのか、戦車から漏れ出たオイルなのかは分からない。

ただ、白黒に撮影された月の白さは理屈ではない美しさを称えている。
写真の裏には彼の流暢な文字で「この美しさに罪はない。しかし憎いとも思う、この気持ちが消える日は来ない」と書いてあった。

彼が何を見たのか、この短い文章だけでは分からない。そして滅多に国内にいない彼に、直接それを聞く手段もない。
(まぁ、きっと直接聞いても「調子に乗ってんじゃねえぞ」しか言ってくれないに違いない)

だから私は、唯一知っている彼のメールアドレスに連絡をする。

敢えて写真の感想は書かない。きっと彼はそんな事を求めていない。

ただ、写真届きました、とだけ報告し、それから日本の様子や、自分の近況、最後にゼブラさんの体調を思いやる文章を少し織り交ぜる。


こうしてみると、学生時代が随分遠くに感じられるなぁ。

みんな、なんだかんだ言って、いつか節乃食堂で語り合ったままに、それぞれの夢に向かって歩み続けている。

やっぱり、凄い人達だったんだなぁ。

そんなこんなを思い出しながら駅のロータリーでぼ〜っとしていると、「亜弥ちゃん」と声をかけられた。


「あ、すみません」

私は慌てて立ち上がった。
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