IGO大学体育会美食道部

□水無月
1ページ/8ページ

 
【6月】

1年には色々と仕事がある。
いわゆる雑用だ。
 
まず、練習前の準備。
例えば、5時から練習が始まる場合、30分前には道場を開ける為、管理室へ鍵をもらいにいく。
それから道場の窓を開けて、ミットや薬箱を倉庫から出しておく。
もちろん、他の部が道場を使ってる事もあるので、その時はその部の担当者から鍵を引き継ぐ。
 
それから、簡単な準備体操と柔軟をして、技のフォームを一通り確認、その後は練習が始まるまで、来るべき昇級審査の為に型の練習をひたすらする。

型は昇級審査のメイン課題だ。
 
美食道は、最初に10級から始まる。入部したての私は自動的に今10級と言う訳だ。
昇級審査で「第1の型」を含むいくつかの課題に挑戦し、受かれば9級に進む事ができる。そして、次に「第2の型」が伝授されるという仕組みだ。
 
そうしてどんどん昇級して行き、最後に1級ではなく初段になるのだが、その試験での課題は「第9の型」ではなく「第0の型」と呼ばれているらしい。
何故第8まで行ったのにゼロに戻るのかは分からないが、確か「戒め」だとかなんとかトリコさんが言っていた。

ゼブラさんは、「いつまでも調子に乗るなよって事だ」とも言っていた。

さっぱり分からない。
美食の道は実に奥が深いなぁ…
 
それぞれの型は、特定の獲物を狩る様子を象徴している。白帯の私がする「第1の型」は確か小型の草食動物を想定した動き…だった気がする。
 
「第0の型」以降なんかは物凄い肉食獣が相手だった気がするが…えぇと、何だったっけ?

型の名前も確か第○…とかじゃなくて、食の恵みを讃える名前が付いていたはずだけど…「豊穣」とか「大漁」とか…

ま、その内はっきりするか。
 
届きたての道着と白帯に着替えながら、私はぼんやりとそんな事を考えた。


※ ※ ※ ※ ※ ※
 

着替えた後更衣室を出た私は、道場が開いていて人の気配もあるのに気付き、単純に「今日は鍵を引き継ぐパターンだな」と思いながら近付く。

「いただきま…す」

そうじゃなかった。
 
シンとした道場には、ココさんがいた。

道着に着替えて型の練習をしている。

邪魔しちゃいけないなと思いながらも一応礼儀として「お疲れ様です」と挨拶すると、少しだけこちらに目線を寄越して軽く頷いてくれた。

彼の集中を中断させぬよう、静かに窓を開けて、準備をして、ストレッチに入る

その間視線は彼に釘付けだ。

綺麗な型だなぁ
彼の周りだけ空気が違うみたいだ。

去年の地区大会、彼は型の部で優勝したらしい。
入部3年目で黒帯をとったのも、大会で優勝したのも、彼が初めてだったと聞いた。

スッキリと伸びた背筋
蹴り技の正確さ
その目線すら計算されつくしているような一連の動きは正に芸術品だ。

…研究の合間を縫って、時々こうして自主練をされてたんだ。

大学4年生のライフスタイルはまだ全然想像が付かないが、きっと研究と練習の両立は大変だろうに、彼はそれを誰にもひけらかさない。


「型をみようか?」

「は、はい!?」

いつの間にか練習を終えたココさんが私に話しかけてくれたが、思いっきり考え事をしていた私はつい裏返った声を出してしまう。

「あ、いや、そんな、せっかくの貴重なお時間を申し訳ないです」

そして慌てて両手を胸の前でブンブンする。

忙しい合間を縫って作った時間を私なんかの為に使わせるなんて申し訳なさ過ぎる。

「キミは」

「はい」

「自分が成長できるチャンスを見過ごすの?」

そう尋ねてくる真っ直ぐな瞳にドキリ、というかヒヤリとする。

まるで首もとに刀を突きつけられたように、急に背中が汗をかき始めた。

彼は真剣だ
真剣に私と対峙してくれている。

部活モードに入れてなかった私は馬鹿だ。

「すみませんでした!宜しくお願いします!」

慌てて彼の前に小走りで向かう。

上座に移動して、彼は一旦私に背を向けて帯を締め直した。
私に背を向ける彼の礼儀正しさに感動しながら、自分も同じようにして帯を締め直す。
 
白い帯と、まだ新品でごわごわした道着。
彼の前に立つには、まだ相当の気合いと勇気を要する。
 
でも、中途半端にごまかしたり逃げてちゃいけない。
 
私なんかにも、真剣に向き合ってくれる彼の気持ちに、少しでも応えなければ
 

型、間違えずにできるかな?

あぁ、こんな事ならボンヤリとストレッチばっかりしてないで、もっと型をやっとけば良かった。
 
でも、言い訳しても始まらない。
今できる精一杯を、彼に見てもらおう

「第1の型、始め」
 
柔らかく、それでいて凛とした彼の声が告げる合図に、私はせめて声の大きさだけでも合格点を貰おうと、必死に声を張り上げた。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ