sirena

□noche
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【夜】
 
ふわふわと、何か暖かいものに包まれて、ナナは一つ深呼吸をする。

鼻腔をくすぐる懐かしい香りに「あぁ、なんて素敵な夢」とうっとりして、思わず笑顔になる。

そうだ、本当はこうなる予定だったんだ。と、ナナは唐突に思い出す。

 
人魚らしく、夜な夜な月明かりの下、もう会えない愛しい人の事を思いながら記憶を頼りに物思いにふける。
自分はこれからそんな日々を送るのだろうと想像していたのだ。
(実際はあまりに過酷な状況に物思いに更ける時間どころか、ロクに夢すら見れていないのだが)
 

あぁ、でもこの夢で、今までの苦労にお釣りが来ちゃうな。

もう一度深く息を吸えば、やはりあの香りが胸に広がるのだ。今までのどの時よりも強く。
 
ナナは幸せで幸せで、泣けてしまいそうになる。

これがコロンなのか、彼自身の匂いなのか、それとも彼が忌み嫌う毒の香りなのかは分からない。
 
ただ分かっているのはこれが彼の香りだという事だけだ。 
ナナの大好きな香りだ。

彼からは、本当に沢山のものを与えて貰った。
服や靴みたいな、お金で買えるものだけじゃなくて、思いやりとか、優しさとか、今時流行りのプライスレスなものも、沢山沢山、抱えきれない程ナナは貰った。
 
それを、自分だけの物にしたいと、いつから思うようになってしまったんだろう?
あの微笑みも、甘い声も、それからこの香りさえ、持って旅立ちたいなんて、図々しい事を一瞬でも考えた自分はなんて身の程知らずなんだろう、とナナは己を叱責する。

それでも、自分に一度与えられた物が誰か別の人の手に渡るのは、想像しただけで耐えられなかった。

そんなワガママ、どう考えても言えた義理じゃないのに。

彼を裏切って姿を眩ますのだから、身一つで行くべきなのに。
 

必死に諦めの言葉を並べ立てて、全てに別れを告げる振りをして、なのに結局、彼との繋がりを証拠付けてくれる何かを、いつか月明かりの下で物思いに更ける時に眺められる何かを求めて、ナナは小さなショルダーバックに地図と、あのイヤリングとネックレスのセットを入れたのだ。


それなのにこうして香る彼の残像に、そんなもの何の価値もなかったんだと改めて痛感する。


あぁ、この香り

これが好き

……大好き

この香りの隣にずっといられたらいいのに


ふわふわと夢と現を漂いながら、今だからこそ思う存分我慢することなく彼を懐かしんで、恋しんで、それから、まぁ、今日はこれくらいにしとくか。とナナは冷静に考える。
 
随分良い夢が見れた。
しかしだからと言っていつまでも寝こけていては、また危機的状況に陥ってしまう可能性大だ。
 
そろそろ起きよう。
これからも時々こんな夢が見れるなら、人魚の生活もそんなに悪くないかもしれない。
 
あぁ、そうだ。
 
イヤリング 

今まではバタバタし過ぎて呑気に眺めてる暇なんてなかったけど、この夢の余韻の中でこそ、眺める価値があるだろう。
 
ナナは斜め掛けにしていたショルダーバックに手をかけ、ようとして失敗する。

 
…あれ?
ショルダーバックは?
 

そしてその瞬間、直前まで黒い毛むくじゃらのアリクイの様なロボットに追われていた事を思い出す。
 
まさか!?
 
ナナの意識が急激に浮上していく。
あの海流に巻き込まれた時に落としてしまったんだろうか?
 
服を引き裂かれた、あの時に一緒に千切れてしまったんだろうか?
 
右肩、左肩を触るが、何も指に引っかかるものはない。
 
そんな、まだあれから3日も経ってないのに!
もうなくしてしまったの!?
 
薄暗い視界の中、僅かな希望に縋るように、軋む体を動かして辺りを探す。
 
懇願するナナの気持ちをあざ笑うかのように、彼女の指先に当たるのは肌触りの良いシーツだけで。

……

……シーツ?

 
あれ?と思いながら薄暗闇の中ナナは瞼を開けて目を凝らす。

次の瞬間、ナナは飛び上がってビックリした。

比喩ではなく、本当にちょっと飛び上がってしまった。
よく文章でそういう表現がされるのを見たことはあったが、まさか自分が実際にそれをする事になるとは。ていうか本当にガチで飛び上がるとは。

プチパニックで思考がちょっと飛び気味なナナは、大きなベッドに寝かされていた。そして窓際には椅子が置いてあり、ナナの方に背を向ける形でココが腰掛け、本のページを捲っていた。
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