sirena
□salvador
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【救い主】
その日、いつも通り仕事を終わらせて帰宅しようとキッスの背に乗った時、ふと、馴染みのない香りが鼻腔をくすぐった。
ほんのり甘い…これは香水の一種だろうか?
まさかとは思うが、キッスが誰かボク以外の人間を乗せていたのだろうか?
ボクの指示もなく?
キッスはボクが卵から育てた大切な家族だ。
が、彼だっていつまでも子供ではない。
今まではそうでなくても、これから徐々にボクの知らない世界も持ち始めるのは当然の事だ。
それを制限したり、否定する気は全くないのだが…。
「キッス、今日はデートでもしてたのかい?」
そう問えば、「あ゛ー!」と機嫌良さそうな返事が帰ってくる。
あまりに機嫌が良さそうで、ちょっと複雑な気持ちになる。
なんとなく、息子が彼女を作った時の父親の心境はこんな感じなのだろうか、と、そんな事を考えてしまって、ひとつ彼の背で咳払いをした。
だが、苦笑しながら自宅へと戻ったボクの顔は一気に引き締まる。
キッスの巣に誰かいるのだ。
おかしい
いくらキッスにも自由があるとはいえ、いきなり初対面の者を自分の巣に連れ込むような事を彼がするだろうか?
ボクの、ここに至る経緯を知っている彼は、どちらかというと あまりボク以外の人間と関わる事は少なかったのだが…(そもそも、自分からエンペラークロウに近付く人間なんてそうはいない)
巣の外側から電磁波を見れば、それは人型をしていた。電磁波自体は何の変哲もなく、今日自分の店を訪れた女性達と何ら変わりがない。
だがしかし、突然の事態をすんなりそうですかと受け入れられる程、ボクは楽天家でない。
キッスに気に入られてここへ連れて来てもらった…と考えるよりは、彼を利用してボクへの接触を試みている…と考えた方が現時点ではむしろ自然だ。
キッスを利用するなんて、もし本当にそうなら許せないな。
そう警戒しながら家の前に降り立つ。
ボクから何も言わなくても、キッスは巣の中の人を紹介してくれるらしく、一旦巣の中に戻ると例の人物をくちばしで優しく摘んでボクの前にそっと下ろした。
…驚いた。
目の前には、星明かりに煌めく銀髪を腰まで垂らした、細身の少女がいた。
今までに数え切れない程の女性を相手に商売をしてきた自分だが、こんな見事な銀髪は初めて見た。
普通、染めても脱色してもこんな感じにはならないだろうから、きっとこれが地毛なんだろう。
向こうもボクを見てなぜか驚いているみたいだったが、すぐに気を取り直して話しかけてきた。
その瞬間
ボクの警戒心がMAXに跳ね上がる。
…彼女が何を言っているのか、さっぱり分からないのだ。
更に不可解な事に、どうやらキッスとは会話が成立しているらしい。
訳の分からない言語と、それに相槌を打つキッスを前に、怪しさはますます増すばかりだ。
楽しそうにしているキッスには申し訳ないが、ボクは極力関わり合いたくないと思うのがその時抱いた正直な気持ちだった。
「キッスさえ良ければ、ボクからは何も異論ないよ」
とりあえずそう言い残して家の中に入る。
まさかとは思うがキッスの寝込みを襲う可能性も無い訳ではなく、その日はなかなか寝付けなかった。