sirena3

□casino
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マッチには『お給金』なんて見栄を張ったが、実際コトリの手元に渡される金額は子供の小遣い程度でしかない。

日当の殆どは必要経費として差し引かれていた。

貸衣装代にピアノの使用料、この檻みたいな舞台装置だってちゃっかりローンが組まれて請求が来ている。

一方的に飲み込むしかなかった契約内容は悪徳商法のお手本みたいな内容で、生かさず殺さずの金額が日払いで支払われるように絶妙な調整がされていた。

気が付けば、この場所と設備を借りるパフォーマーとして、カジノと対等に契約した立場になっていたコトリは、目下ローンの返済に向けて勤しむ日々を送っている。




すぐ迎えに来る

マッチはそう言ったが、それがヤクザの常套文句だとコトリはちゃんと理解していた。

迎えなんて、期待できる訳がない

自分の事は、自分で何とかしなければ


気がついたら背負っていた借金を完済して貯蓄に励める日を目指し、迎えなんて来なくても、こんな選択肢のない人生でも、自分なりに前向きに。


「ふんふんふ〜ん♪…ラララ、ラー♪」


ちょっとしんみりしちゃったし、今夜の歌は明るめにしよう

コトリはそんな事を考えながらピアノの蓋を開けた。



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夜九時、まだカジノは熱気に包まれている。

むしろ盛り上がるのはこれからだ。

稼いだコインを食材に変えてどこかのレストランで幸せに浸るか、更なる幸せを求めてもう一勝負するか、迷う時間もまだ存分にある。


例のお姉様方はそろそろ大忙しになるのだろうか

コトリはふとフロアの喧騒を見渡した。

身体を資本に生きる彼女達の事を、何も知らない最初は正直少し憐れんでいた。

しかし、付き合ってみると彼女達は皆一様に明るく、そしてしたたかに美しい。

どんな事情でこんな場所へと身を落としたのか、コトリには計り知れないが、彼女達は己の仕事に誇りを持って生きていて、それがコトリにはなんとも眩しく見えてしまう。

『食材なんざ食べちまえばそれでおしまい。でもあたし達をご覧よ。何度食べられたって無くなりゃしないんだから』と笑う彼女は、確かに何一つ失っていないのだ、と

コトリは同情ではなく本気で思うようになっていた。

同時に、本当にそう思うなら、こんな『ガリ』程度の需要と収入しかない仕事には見切りを付けて、あのお姉様方と同じ世界に入ってみたらどうかと考えてみる。

彼女達は美しい。その姿も、その生き方も、蔑まれるべき要因などどこにもない。


しかし、結局そっち方面にシフトチェンジを希望する事もなく、もう3週間が過ぎてしまっていた。


…どうして自分はこんな檻の中に隠れて、僅かな収入しか見込めない仕事に固執しているんだろう?

別に操を立てる恋人がいる訳じゃないんだし、さっさとローンを返済してしまって、そしたらお金を貯めて、スラムの子供達に送ってやれるのに。



そう毎晩のように思いながらも、コトリはいつもギリギリの部分で踏み留まってしまうのだった。



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「ララ、ラーララーラー♪」

客がこちらに流れてくるまで、コトリはハミングをしながら、自分が知っている曲の譜面起こしに勤しむ。

ここら辺りでは楽譜の入手など困難だと言われてしまったので仕方がない。

要らない紙を事務方から分けてもらい、売り上げなんかが書かれた紙の裏に手書きの五線譜を書いて捏造だらけの楽譜を作る。



何せコトリはピアニストでもシンガーでもない、ただの素人なのだ。

持ち歌も持ち曲もほとんどないし、1曲丸々キチンと歌える歌や演奏できる曲に至ってほぼ皆無だ。

仕方がないので記憶を頼りに思い出せるところまで思い出したら、後は何となく作り足して仕上げている。

素人に産毛すら生えてない自分がこんなところで適当さ丸出しのパフォーマンスをして、なぜ誰も突っ込んで来ないのか甚だ不思議で仕方がないが、今のところ罵声を浴びせられる事もないので開き直って好き勝手やってみる事にしていた。

「ランララー…ルル〜」


対する客は、場所的になかなか気付きにくい所で面白いものを発見したと、皆一様に喜ぶ。



檻のような場所に囚われた、少女にも、成人女性にも見える不思議な雰囲気を持った銀髪の娘が、何やら歌を口ずさみ、それから紙に不思議な記号を書き、また異なる旋律を口ずさむ。

そんな事を繰り返す内にだんだんとひとつなぎの曲が完成して、最終的には彼女の口からは幻想的なメロディが紡ぎだされるのだ。


ぜひ通しで聞いてみたいと客達はコインを惜しまず投入する。


しかしこのルーレットがなかなか当たらない。

彼女も、ルーレットが安っぽいファンファーレの電子音を奏でるまでは、客の方を見向きもしない。

戯れに、彼女に直接コインを投げて曲の追加をねだる者もいるが、彼女は一様に無関心だ。

果たして、この檻は彼女を閉じ込めるための牢屋か、はたまた彼女を守る最後の砦か

やがて、そんな想像と共に余興を楽しんだ客達はまたきらびやかな光の中心へと帰っていく。

そうして、外の世界が朝を迎える頃コトリのノルマは終了するのだ。


檻を出ようとして、コトリは足元に投げられていたコインに気付き、そっとそれを拾い上げた。

サファイアブルーのドレスの光を受けて、コインは僅かにアクアブルーを反射する。

「グルメコイン」は最低でも1枚千円、最高では1枚1億万円まで種類があるらしい。

このコインは幾ら相当だろうか?

コトリにそれを確かめる機会はない

グルメカジノで働く者は警備からグルメガールに至るまで、皆コインの換金行為が固く禁じられている。

なのでこんなコイン、見つかれば没収されるしかない、なんの価値もないものだ。

だからこそ

コトリ拾ったコインを迷わず口に入れる

パクリ、と口に含み、パキン!と歯で割ればたちまち濃厚で芳醇な香りが口腔内を支配した。

「はぁ〜超美味しい♪」

うっかり声を漏らしてしまい、おっと、とコトリは慌てて口を閉じる。

ちょっと周りを見渡して、誰も見ていなかった事を確認すると、残りのコインも口に放り込んでから、少し足軽にコトリは裏口へと戻って行った。
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