SHORT

□看板の無い喫茶店
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酷く、疲れていた。

身体も心も。


この世に私が存在する意味など、もうどこにも見当たらない。


彼を愛し、彼の為だけに生き、ただひたすら一途過ぎる想いを胸にここまで来たというのに。




明かりの落とされた街は漆黒に包まれ、足元さえも危うい。
夜空を仰ぐ気分には到底なれないが、この暗闇だ、きっと厚い雲が覆っているのだろう。


…幕を下ろすには丁度良い夜だわ。


でも、どんな方法で?

海は遠浅で望みは薄い。
マングローブの木は高過ぎて、縄を回すのはおろか登るのさえ困難だろう。
舌を噛み切る勇気なんて勿論、持ち合わせていない。


「………ハァー……」


爪先から飲み込まれてしまいそうな黒い地面を見つめて歩く。


私は死ぬ事すら、ままならない。


重い足を引き擦り、角を曲がった時だった。
明かりの点いた店がぽつりと一軒、目に入る。

吸い寄せられる様に近付くと、店先には一本の艶やかな剣が立て掛けられていた。
鞘に掘られた金目細工、柄に嵌め込まれた大小の宝石。店の明かりを反射して、その剣はキラキラとまばゆく光っている。

…こんな刀剣でひと思いに心臓を貫けば………

終焉を飾るに相応しい品

それを求め、私はふらりと扉を開けた。




−−カランカラン…


空虚な鐘の音を響かせ店内に足を踏み入れれば、カウンターに座り新聞を覗き込む若い男が目に入る。

男は新聞から目を離さない。
とりあえず店内をぐるりと見渡してみるが、刀や剣など一切見当たらない。既に店は閉めたのだろうか。

キシリ、と椅子が軋む音が鳴れば、至極緩慢な動作で新聞を折り畳んだ男が、ゆっくりこちらを向いた。


「いらっしゃい」


…備え付けの鐘が鳴ったのだから気付いていたとは思うけど。こんな夜更けに現れた私を迷惑に感じているのかしら。


『もう閉店…?』

「いいえ、まだ営業中ですよ」

『…刃物がひとつも見当たらないんだけど…』


男は首を傾げ、苦笑いする。


「お客さん、ここは喫茶店ですよ」

『………表に長剣が立てかけてあったから、てっきり……』

「誰かの忘れ物でしょう」


そう言うと男は立ち上がり、脇に置いてある布巾で扉と同じ焦げ茶色のカウンターを拭き始める。

仕方なく狭い店内をもう一度見渡してみる。
小さなカウンターの他には、色目を揃えた木製のテーブルと、生成りのソファセットが二つ。

何故入ってすぐに気付かなかったのか、装具店の雰囲気とは大違いなのに。

場違いの自分が恥ずかしくなり、後ろを向くと真鍮の取っ手を掴んだ。


『すみません、お邪魔しました』

「あぁ、お客さん」


背中に掛けられた声に、何故か手が動かない。


「ひと息ついて行きませんか?飲み物でもお出ししましょう」


ゆるりと振り向いた私の視線と彼のそれは交差する事は無く、どこか遠くを見つめる不可思議な瞳がスッ…と細められる。




「急ぎの用では、無いんでしょう?」


そう言うと椅子を引き、手を翳す。

まるで導かれるかのように、私はカウンターへ向かった。




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