芸大バンド《L'Ange》
□六章
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「スタンバイお願いします」
そこに呼び出しが入り、打ち合わせどころか意志の疎通もないまま、ステージに押し出される。
「歌って、恵」恵は望に背を押されていた。「兄ちゃんみたいに逃げない約束だろ」
恵は深呼吸をして、そろそろとマイクに手を伸ばした。
何を歌うつもりなのか。静臣たちは何の伴奏をすればいいのだろう。演奏前から汗が出てきた。
恵がささやくように、詩を朗読する。クマと朔夜が反応してメロディを重ねていき、敦もスティックを振り上げた。
静臣だけがとまっている。やけにギターが重たく感じられた。息が切れてくる。
かすれて消え入りそうで、でも確かに響き渡る、そんな危うい恵の歌声が、ねっとりと静臣に絡みつく。
そうだNONは、と静臣は思い出していた。声変わりを機にファンが離れ、業界から消えていったのだ。だから恵も、声変わりを恐れていたのだろう。
恵が静臣を見る。
なんだ、と静臣はすっきりした気持ちになっていた。詞負けを恐れた静臣のように、天才すぎて遠いと思った恵も、声に不安を抱いていたのだ。
指が勝手に動く。弾きたい。恵の歌と合わさる音を奏でたい。応えたいと思った。ギターが手に吸い付いてくる。
静臣のギターから、クマの、敦の、朔夜の音が出ているかのような、際限ない一体感があった。
ライトが熱い。眩しすぎる。
目を閉じると、知っていてもヴォーカルは女かと思ってしまうような高音が耳をくすぐる。
軽い。羽が生えたように身体が、気持ちが、そして音が軽かった。
リハではヴォーカルなしであざ笑うだけだった観客が、リズムにのって身体を揺すっている。
曲の境目で恵がスカートを引っ張ると、仕掛け衣装だったらしく、少女だとばかり思っていたヴォーカルが少年に様変わりし、観客が騒いだ。パンフレットでバンド名をチェックする姿が見える。
恵は今度は低い、男としか思えない声で、身体の芯に響く歌を披露する。
静臣も気持ちを入れ替えて、恵の新しい音楽性を楽しんだ。
最後の曲が終わる瞬間、なんだか泣きたくなった。観客も奇妙に静かだ。時間がゆっくりなようで、瞬く間に過ぎていく。
演奏が終わって数秒経っても、沈黙は続いた。
「恵、おかえり」
すとんと、静臣の口からその言葉は出た。
熱気で靄がかかる空気を、乱反射したライトが神々しく降り注ぐ。
「レシェル ド ランジュ」朔夜が呟いた。「《天使の梯子》か。ぴったりなのだね」
「なんやわからんけど、L'Ange最高や」
「まったくだな」
まばらな拍手が、伝染して轟音に育っていく。
望も涙目で舞台袖から拍手を送っており、恵がつられて涙を流した。
――そして優勝トロフィーを勝ち取った芸大バンドL'Angeは、今日も天使の梯子を登っていく。
【完結】