芸大バンド《L'Ange》

□六章
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 ――そんな状態で迎えたライブ当日。
 恵の姿はあいかわらずなく、リハをヴォーカルなしで終えたところだった。控え室に入って一時間。もう本番はすぐそこだ。
 敦が沈黙を破って、ヒステリックな声を上げる。
「限界や。辞退しよ、な?」
 敦に見上げられたクマは、腕を組んで朔夜に視線を投げた。
「まあ待て、大丈夫だ」
「クマも朔夜も何だっつーんだよ」静臣はパイプ椅子を蹴った。「恵は来ない。決まりだろ。ヴォーカルのいないバンドなんて笑われるのがオチだぜ。リハでどんだけ冷めた目向けられたか覚えてんだろ?」
「きました」
 だからその懐かしい声がしたとき、いろんな雑音が遠ざかって、彼の声だけを拾おうと全神経が反応するのがわかった。声変わりが完全に済んだのか、低くなった声。
「恵、ぐほっ?」
 声のしたほうを見て、静臣はむせてしまった。愛らしい少女が立っているではないか。既視感が襲う。入学式の朝の男子トイレ。あれが恵との出会いだった。
「遅いのだよ、メグ」
 朔夜がワンピース姿の恵とハグをかわす。そしてケータイを片手で打つ。ピピピと受信音が近くでし、朔夜はおやと顔を上げた。
「連れてきて下さったのはありがたいんですが、もっと早くお願いしたかったですね」
「手厳しいなあ」
 朔夜に舌を出す男はスマホに指を滑らせた。すると朔夜のケータイがピローンと鳴る。
「声が出るんだからメールは終わりにしましょう」意味深に言い、朔夜は男に手を差し出す。「NONと呼んでも?」
「んー望にしてよ」男はスマホをポケットに入れ、朔夜と握手を交わす。「今はただの兄として来てるから」
 そう言って男は恵の頭を撫でた。
 クマも事情を知っているようで、静臣は敦と二人、しきりに瞬きを繰り返す。
 NONと言ったか。そう言われてみると、すっかり青年になっているが、四年前のNONの面影がある気もする。声はまるで別人の低音だが、口調なんかも似てないこともない。
「望兄さん、髪が乱れる」
 恵が逃げるように、静臣のほうへ駆けてきた。
「オミ先輩」恵はスカートの裾を掴んで、頭を下げた。「逃げちゃってすみませんでした」
「え、は、おお?」
「たいした馬鹿面だね、オミ。あのNONへの第一印象がそれでいいのかね」
「君がオミくん?」頭がパンク寸前の静臣の肩に手をおいて、NONこと望、恵の兄が目を細めた。「朔夜くんからメールで聞いているよ。恵が突然大学に行くんだーって出てっちゃったときはどうしようかと思ったけど、保護してくれてありがとね」
 つまりこういうことか、と肩を叩かれながら静臣は考えた。恵はここ数日、兄のもとに帰っていて、その兄が元歌手のNONであり、だから音楽のことを知らない恵もNONの曲は歌えたということ? ついでに言えば、朔夜のメル友は望で、近況を報告し合っていたらしい。
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