芸大バンド《L'Ange》

□三章
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 三人の非難をよそに、ぴと、と朔夜が重ね合わせたのは、額だった。
「なんだよ」
 気が抜けて静臣は座り込む。
「熱があるようだね」そして朔夜は、恵の服を脱がせ出した。「おや、ノーブラ」
「じゃねえよ! 男だっつってんだろ」
 静臣の拳をかわして、冗談なのだよ、と朔夜は手を動かし続けた。
「乾いた服を貸したまえ」
「なんやそういうことかいな」
 敦がひきつった表情をそのままに、ジャケットを手渡す。それを着せてやるとすぐ、クマが恵を抱き上げた。
「私の家が一番近い。連れて行く。オミ、ギターを頼む」
「いや」朔夜が遮った。「ぼくが持つとしよう。君は自分のがあるだろう」
 そうして早足でクマの家に向かったが、なぜ普通に朔夜までいるのだろう。クマの服に着替えた恵は、ベッドに横になっている。氷枕を敦が持っていくと、恵は意識のないまま頬をすり寄せた。
「実に可愛い生き物だ」
「男だぞ」
「わかっているのだよ」冷えピタを貼ってやった朔夜は、視線を落とす。「下も見えてしまったからね」
「見んなや、ジブン変態やで」
「君も見ただろうに、なぜぼくだけ攻めるのだね」
 風呂に入れて着替えさせたのだから、静臣ももちろん見えてしまったが、熱にうなされる横で下半身のあれこれを言われる恵が哀れである。
「静かに。恵が起きてしまう」クマがリビングに手招きするので、静臣たちはおとなしく従った。「どうした、オミ」
 ソファに身体を沈ませ、静臣は気まずい表情を作った。
「恵が具合悪いのに気づかなかったんだ。悔しいっつーか、腹立たしいっつーか」
 思い返してみれば、膝が痛い、だるいとぼやいていたのだ。ヴォーカルとして筋トレをさせていたから、そのせいだとばかり思っていたが、それが風邪の前兆だったのだろう。
「そんで、さらに情けねえんだけど」静臣はもごもごと続けた。「今夜、暇な奴いねえ?」
「どういうことだ」
「恵も俺もバイト入ってんだよ」
「オミお前」クマが常で低い声をさらに落とす。「そんなことしてたのか? あれほど金ならあると言ったのに」
 実際、一人暮らしの学生にはあるまじき一軒家に招かれて、今まで以上にクマの財力を認識したところだ。
「だからそれは」
「武人さん、オレも二回生なんで、オミの気持ちも分かりますわ」
 珍しく静臣側に敦がつく。クマは首をならして、コーヒーメーカーに手を伸ばした。
「わかった。で、何のバイトなんだ」
「ライブハウスで雑務いろいろってとこだ」
「ええやんそれ」敦は飛び上がるが、でもと舌を出す。「オレ明日出さなあかん課題やってへんねん。今夜は無理やわ」
「私も悪いが、教授と飲むことになっている」
「は? 一回生のくせに」
 思わず静臣はぼやいてしまうが、舞台経験が買われて入学式から早速手伝いに駆り出されていたことを知っている。教授もクマを気に入って重宝しているのだろう。
「となると、ぼくしかないわけだね」
「つーか、会長」
「朔夜だ。四回生だがまあ、呼び捨てで構わないのだよ。ぼくらの仲だ」
「どんな仲だ!」
「そんな口を聞いていいのかね。ぼくがいないと困るのではないかな」その通りなので、静臣は拳を握って黙った。「バンド的にもね」
 が、最後の一言は意味がわからない。
「ここ数日聞いていたところ、君たちの音楽には足りないものがあるのだよ」
「てか聞いてたって、ストーカーかいな朔夜ん」
「ファンと言ってくれたまえよ」
「そのファンが、なんでダメだししてくれてんだよ」
「君たちはアレンジがいまひとつなのだね」静臣をスルーして朔夜は眼鏡をくいと押し上げた。「ぼくがキーボードで入って、今よりもっと彼女……いや、彼の歌声をひきたてるバックミュージックに仕上げてみせるよ」
 どうかね、と得意顔をされても、静臣は頬がひきつるばかりだ。
「朔夜は何を専行しているんだ」
 クマが代わりに応対する。
「情報デザインを学んでいるよ」
「テクノとか出来るわけか」
「当然だね」
「オミ」いれたコーヒーを渡しながらクマが提案してきた。「メジャーになりたいなら、朔夜のような情報系はいたほうがいい。今は投稿した動画がきっかけでデビューしたりもあるからな」
 静臣はカップに口づける。敦が角砂糖をどぼどぼ入れるのが見えて、ブラックなはずなのに甘い気分になった。
「蜂蜜はないのかね」
 敦以上の甘党の出現に静臣はむせる。
「合う気がしねえんだよな」
「美味いぞ」蜂蜜を豪快に投入したコーヒーを、朔夜がくもった眼鏡を外してすすめてきた。「飲んでみたまえ」
「違えよ! 朔夜と俺が、合わねえっつってんだ」
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