芸大バンド《L'Ange》

□五章
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 天使とはよく言ったもので、芸大バンドL'Angeは、恵を中心に動いている。恵に降ってきた歌詞を読んで、今度は四人が溢れてきた音を形にする。曲が出来て、通しで演奏するときの興奮は言葉に出来ないものがあった。一体感が半端ない。
 だが、いつからだろう。少しずつ、ズレが生じ始めて。
 静臣は悪夢に起き、窓を開ける。梅雨に入り、じとっとした空気が苛立ちを加速させた。
「げ、恵」
 月明かりのもと、恵用に買ったばかりの布団にお経のような文字列を見て取り、ため息をついた。手近なものにメモする気持ちはわかるが、場所は考えて欲しい。
「オミ先輩?」
「起こしたか、悪い」
 恵が上体を起こし、自分の布団を見て驚く。恵はトランスに入ったことを覚えていないことが多く、天才と何とかは紙一重というのはこういうことなのだと思い知る日々だった。
「ごめんなさい」
「いや」静臣は恵の布団の文字を読んでみる。「失恋ソングか?」
 すれ違う心を切なく綴った詩だった。なんとなく今の静臣と恵のことのようで、気まずい沈黙が落ちた。すれ違っているというか、静臣が一方的に、恵との間に大きな距離を感じるようになっていた。
 同じ音を探すのは楽しい。恵の歌詞は好きだし、いつだって静臣の中に音を生み出す。でもその音が、詩に負けているように思えて。ミスマッチなように思えて。荷が重い。ついていけない自分が悔しい。そう思うようになっていた。
「寝るか」
 沈黙をごまかすように、布団に入って目を閉じる。
 が結局それきり静臣は眠れず、朝食は手抜きでトースト一枚になった。
「ごちそうさまです」
「またかよ」静臣は半分以上残る食パンを見て顔をしかめる。「どうしたんだよ最近」
「別に」
「食わなきゃ小せえまんまだぞ」
「そのほうがいいでしょ!」
「は?」意味もわからないが、それより恵の声がかすれていたことが気になった。「具合悪いのか?」
 手を伸ばして恵の額に触れる。熱はないようだ。そこで恵の腹の虫が鳴く。
「だ、大丈夫ですから」
 慌てて静臣の手をのけて、恵は部屋を出て行った。静臣は恵の残したパンをもさもさと食べる。焦げていないのにほろ苦い。
 クマにメールを入れ、学食を食べながらでいいから相談があると伝えた。一コマ入っていた授業を適当にやり過ごし、いつものテーブルに静臣は盆を置く。すぐにクマ……と朔夜までもが着席した。
「なんで朔夜がいんだよ」
「バンドの相談みたいだったからな。リーダーは必要だろう」
「朔夜がか?」
「四回生だしな。実際、本格的に動き出せたのは朔夜が入ってからだろ」
 確かにそうなので、静臣はオムライスを口に入れて渋々同意した。
「わかった、朔夜がリーダーな」
「光栄だね」
 だが朔夜のお盆の上が甘味に埋め尽くされているのを見ると、こんな奴で大丈夫なのかという気もしてくる。
「で、相談って何なんだ」
 クマがかきこんでいたカツ丼を置き、真顔になった。
「なんつーか」
「早く言いたまえ」
 半熟の卵がスプーンから落ち、静臣は舌打ちする。
「心の準備くらいさせろよ」
「スランプでもきたのかね?」
 先回りして言われ、言葉もない静臣だ。クマが身を乗り出す。
「本当なのか」
「スランプっつーか、音は湧いてくるんだ。ただ」静臣は無意識にスプーンを動かしていて、オムライスをかき混ぜる。「その音が物足りねえっつーか、あれだよあれ」
「つまり、詞負けしているようで怖くなった、というわけだね」
 濁したところを言い当てられ、静臣は唇を噛む。
「くだらない。ぼくはこれで失礼させてもらうよ」朔夜が立ち上がる。「アレンジするぼくの身にもなってもらいたいね」
 そのまま去っていく朔夜を、呆然と静臣は見送った。肩を叩かれて我に返れば、隣にクマが移動してきている。
「まあなんだ。朔夜が言いたいのは、バンドのメンバーの実力に怯えているのはオミだけじゃないってことだ。朔夜は特に仕上げのアレンジを担当してる。プレッシャーは相当だろうさ」
「そりゃあ」確かにそうで、他にも朔夜に頼っているところは多い。「くっそ、むかつく」
「お前らも素直じゃないなあ。支え合えばいいものを」
 クマは苦笑してカツ丼の残りを食べた。静臣もぐちゃぐちゃなオムライスにげんなりしつつ、たいらげていく。
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