芸大バンド《L'Ange》

□三章
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「なあ」渡り石に座り込んでドラムスティックを振っていた敦は唇を尖らせた。「ええ加減、スタジオ借りて練習しようや」
「金かかるだろうが」
「だから私が出すと言っているだろ」
 クマはミュージシャン時代の蓄えがあるからそれを使えと言っているが、大学の学年的には静臣が三回生で上なのだ。敦は二回生、恵とクマは一回生である。下級生の金で夢を追う上級生という図は頂けない。
 だいたいプロとして稼いだお金で、アマとして練習するのは屈辱的すぎると静臣は思う。
 ということで、四人は早朝の河原で練習を行っているわけなのだが。
「二人はええやんか、ギターはどこでも弾けるし」敦は亀の形を模した渡り石をやけくそに叩いた。「ドラムしてる気せえへんわ。亀やで亀」
「ギターだってどこでも弾けるわけじゃないぞ。湿気対策に手入れの時間が倍以上かかってる。なあ?」
 クマのどこかずれた反論が入れば、クマの現役ギタリスト時代のファンらしい敦が肩を怒らす。なあとか話を振らないでもらいたい。
「あかん、武人さんに何させてんねんオミ。河原で練習とかありえへんわ」
「今はただのクマだろーが」風でめくれた楽譜を石でとめ直し、静臣はため息をついた。「いいから敦、もう一回始めっからいくぞ」
「スルーかいな! くーっ」
「敦」
「わかってますわ」クマには従順で、敦がスティックを交差させた。「1、2、123GO」
 静臣とクマがギターでメロディラインを奏で、敦は亀をぽかぽか叩く。川に濡れた部分は音が違うと発見したらしく、石であってドラムではないが、それなりに音に違いをつけてくるから敦もなかなかやるもんだと思う。
「ん?」
 恵の歌声が入ってこない。指は動かしながら視線で探せば、渡り石の上に丸まって横になっている恵が目に入った。
「てか寝てんで。寝息聞こえるわ」演奏を中断し、敦が石を渡って恵のもとへ近づく。「めぐちん、起きなやー!」
「ふあ?」
「ばか敦っ」
 静臣が怒ったのは、恵の寝起きがかなり悪いからだ。もうひと月ルームシェアしているが、未だに朝の恵の扱いには困っていた。
「んー」
「恵、動く」な、と言う暇もなく、寝返りをうった恵が川に落ちた。「あーったく」
 ギターを下ろして靴を脱いでいると、背後から不遜な声がかかる。
「これを持っていたまえ」
 そう言って渡されたのは、黒縁の眼鏡だった。短髪の黒髪を爽やかになびかせて駆け抜けていく男がいる。どこかで見た顔だ。
「じゃなくて、恵っ」
「落ち着け」男に続いて川に入ろうとした静臣を、クマが立ちはだかってとめた。「ほら、あいつが助けてくれたさ」
 見れば確かに、恵は横抱きにされ川から上がるところだった。静臣は一つ息を吐き、恵を受け取るために男のもとに向かう。
「ありがとうございまし」
「ん」恵を河原に寝かせた男は、静臣の礼を遮って手を出してきた。「呆けているな、眼鏡だよ」
「あ、はい」そういえばと眼鏡を返し、水を払ってからそれをかけた男に、静臣はああと気がついた。「会長?」
「そのとおり、雷文朔夜だ」学生自治会のトップを務める四回生、朔夜は腕を組む。「まったく、君たちの噂はよく耳に入っていたのだよ。それにしても」
「ごほっ」
 恵が水を吐き出すのを見て、朔夜はすかさず支え起こし、背をさすってやる。
「新入生に何をさせているのだね!」
「いや、だからバンドを」
 ぐったりと恵が朔夜にもたれかかるのを見て、静臣は口ごもった。
「朝から歌わせるなんて横暴もいいところだよ。ただでさえこんな華奢な乙女に」
 云々。朔夜の舌はそれこそ朝なのによく回ることで、長いお説教が続いている。
「てか、乙女ゆーたやんな」敦がスティックを叩いて爆笑する。「めぐちんは男やっちゅーねん」
「よく言うぜ」静臣は半目になって敦を見る。「お前だって勘違いしてたじゃねえか」
「う、それはそれやで」
 バンドを組もうと言ったその夜、静臣の家に恵が泊まることを知り、あかんで不純異性交遊は、と赤面して怒鳴った敦だけに、目を泳がせた。
「今、男と言ったかね?」
「そうだ。恵は可愛いが私たちと同性だぞ」
 残念ながらな、とクマが真顔で朔夜に告げる。
「馬鹿な」朔夜は震える指で、恵の濡れて張りついた前髪を払う。「こんな愛らしいバラ色の頬……って、む?」
「ばら、ばらばらばらあー」
 恵が意味不明に繰り返している。その壊れた恵に、顔を急接近させるのは朔夜だ。
「てめ、何する気だ」
「キスか、キスするんか」
「ミューズを汚すのは許さんぞ」
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