芸大バンド《L'Ange》

□二章
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「いいぜ」レジ近くの高価なギターは避け、店の奥につられていたギターの調整を終えた静臣は、不敵に笑む。「やろうか、クマさん」
「気が抜けるからせめてクマだけにしろ」
「へいへい」肩をすくめてふざけて見せるが、数分の間に自分のギターのように弦と指をなじませているクマの様子に、武者震いがとまらなかった。「で、曲は」
「そうだな」クマが恵に尋ね直す。「恵は好きな曲とかあるか」
「だめだって、音楽のこと何にも知らねえじゃん、こいつ」
 静臣がすかさず打ち消したのだが、恵は意外なことに、すっと答えた。
「NONのレプリカ」驚いて反応できなかっただけなのだが、恵はその曲を知らないからだと思ったようで、悲しい顔になる。「そうですよね、もうけっこう昔の曲だし」
 鼻歌で恵が歌う。クマが微笑を浮かべて、巨体からは想像もつかない繊細なメロディを奏でて答えた。
「私も好きだった曲だ。好みが一緒で嬉しいよ」
 一変して笑顔になった恵と、クマがなんだかいい雰囲気を醸し出す。
「俺も知ってるし」慌てて静臣も弦に指を滑らせた。「当時かなり人気だった曲じゃねえか。三、四年前か?」
「四年前だな。NONの最後の曲だ」
 前奏が終わり、小さな声で恵は歌いだす。
「そういや消えたな」静臣の何気ない言葉に、相当なファンだったらしく恵が俯いていまった。「あ、悪い」
 NONは中性的な声で一人称の「私」のラブソングを歌い、男女問わず共感をよんだファン層の厚い歌手だった。
 恵の音楽性も、NONのように性別を超えたところにあるのかもしれない。他人の曲だが、恵が違和感なく歌い上げたから、なんだか自分たちの持ち歌のような快感を残して曲が終わった。
「あ、じゃねえよ。気持ちよく弾いちまったぜ」
「そういえばそうだな」
 恵の歌声を再度聞き、俄然負けるわけにはいかないと燃えてくる。恵以上のヴォーカルには、きっともう出会えない。
 クマも同じ思いなのだろう。鋭く激しいパンキッシュな演奏を挑発的に始めた。有名な曲なので、静臣も負けじと弦を鳴かせる。
 恵はNON以外の音楽はやはり知らないようで、傍観していた。
「なんやなんや」その人形のような恵をおしのけて、リズムを刻みながら男が近づいてきた。「おもろいことやってるやん」
 日焼けした腕を振って楽しそうに踊っている。エプロンをしているので店員だと思うのだが、叱るどころかノリノリにダンスを始めていいのだろうか。
「お、てかジブン武人っ?」男は細い目をさらに細くして感激に震えだす。「オレ神部敦いいます。武人さんに会えるなんて感激やー」
「知り合いか?」静臣は、敦と名乗る男に羨望の眼差しを向けられているクマへ、首をかしげた。「つか武人?」
「熊沢武人って名乗ったぞ最初に。勝手にクマにしたのは誰だ」クマは文句を言ってから敦に視線を向けた。「よくわかったな。この髪型にしてから初めてだぞ」
「えーそりゃギター聞いたらわかるがな」
「わかってない奴もいるけどな」
 クマは嫌味ったらしく静臣を見下ろす。
「なに、クマってライブけっこうやってたん?」
「ありえへん!」静臣の答えに敦はマトリックスする。「クラスパーってバンドのギタリストやろ」
「まあ過去形だがな」
「クラスパー? って、おい」静臣はセッションしている男をまじまじと見つめた。「プロじゃねえか。ギターは確か金髪の……え、えええ?」
「この冬やめたときに、気分転換にな」笑ってクマはスキンヘッドを撫でた。「で、今は舞台プロデュースを学ぶ一回生ってわけだ」
「ありえねえ」気分がアップテンポの曲についていけなくなったので、バラードに転調して静臣は呟く。「もったいねえだろ、なんで」
「オミはプロを目指しているようだな」
「ったりめーだ。あー信じらんねえ」
「だろうな。私自身、後悔していないとは言えない。だがクラスパーでは私がしたい音楽が出来そうにないとわかったからな」
「にしたってよ」
「そうあまり言ってくれるな。今オミと恵に会って、だいぶ吹っ切れてきたところなんだ」
 静臣が言葉に困って唇を舐めたとき、恵がいきなり声を出した。
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