芸大バンド《L'Ange》

□一章
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「よし」右だけ長い茶髪をゆるく三つ編みする。「大丈夫だろ」
 今日はこの芸術大学の入学式で、多田静臣は先輩として誘導係をすることになっていた。ファッションデザインを専攻する者として、だせえなんて思われるのは耐えられない。
 スーツはいじりようがないが、せめてとスカーフを自己流に巻き、再度鏡をチェックした。スカーフも髪型も完璧、準備万端だ。
「は?」
 が、鏡を横切ったものが問題だった。美少女が歩いて行ったのである。ここは男子トイレ。ワンピースも髪もふわふわさせた女の子が通る場所ではない。間違いを指摘しようと振り返るが、すでに個室に入った後だった。瞬きをし、とりあえず。
「用を足しているときじゃなくてよかったぜ」
 ほっと安堵の息が出てしまうが、聞こえてきた衣擦れの音に固まった。いや、別に耳をすましていたわけではない。男子トイレは音姫がないからよく聞こえただけで、ってそうではなくて。
 早くここが男子トイレだと教えなければと、お着替えタイム中の個室の前へ急ぐ。だがかけようとした言葉は、すこんと頭から飛んでいってしまった。扉の隙間から、スカートのレースがのぞいている。実にえろい。
 しかも、ジョキジョキと何かを切るような音までしてきた。いったい彼女は今どんな霰もない姿に……と妄想を膨らませていた静臣は、ろくに反応も出来ず開いた扉を顔面で受け止めた。
「す、すみません」静臣は痛む顔をさする指の隙間から美少女……ではなくなった、変な生物を眺めることになる。「大丈夫ですか? 僕ひとがいるなんて思わなくて。ごめんなさい」
「いや大丈夫」とは言ってみるものの、だめかもしれない。「てか男? 女だよな?」
「男ですけど」
「いや女だったし」
「う。だからそれは、いろいろあって」
 サイズが大きすぎるブランドもののスーツを着て出てきたのは、小柄な少年だった。のど仏があるし、首も男の太さだ。さっきは鏡越しに一瞬だったし、髪が長かったのでわからなかったらしい。
「てか髪」静臣は少年のざんばらに切られた髪をむんずと掴んだ。「もったいねー!」
「そんなことーっ?」
 何を言われるかびくびくしていたらしい少年は、拍子抜けして抱えていたワンピースを落とした。うねる長い黒髪も散らばっていて、個室内はなかなかホラーな状態である。
「はさみ寄こせ」だが美的センスを刺激されまくっている今の静臣は、少年の格好にだけ意識がいっていた。「早く」
「は、はい」
 ほとんど奪い取って、納得のいく髪型に直していく。顔が小さいので、毛先をふんわり遊ばせて優しい印象にした。
「そういやスーツってことは」そして今度は、服装の直しに移る。「お前もしかして新入生?」
「そうです。ライティング専攻で」
「ああ、オタク学科ね」きょとんとする少年に苦笑して、真相を話してやる。「ひきこもって読書ばーっかしてる暗い学科だぜ。あんま夢みんな」
「暗い、学科」
 少年がおとなしくなったのをいいことに、静臣は大胆にスーツに切り込みを入れた。持ち歩いているソーイングケースを出し、ワンピースの生地も拝借してリメイクしていく。
「にしても小せえなあ」静臣も平均より低い身長を気にしているのだが、少年は縦も横もとにかく小さい。「ちゃんと食ってんのか? 女装似合いすぎだろ」
「だって望兄さんが」言いかけ、少年は唇を舐めた。「何でも、ないです」
 それきり少年は黙ってしまって、静臣も迫る入学式の時間に焦っていたから、主人と執事の事務的なお仕着せのような構図で黙々と作業をしていった。
「出来たぞ。鏡見てきな」
 少年を送り出した静臣は、散らかった床を適当に片付けて追いかける。
「すご、これが僕?」
「気に入ったか」
「とっても」少年はくるくる回って、いきおいよく頭を下げた。「助かりました。男物は久しぶりだったし」
「そうか、って、は?」
「あ、じゃなくて」ごまかすように静臣からワンピースの残骸をかすめ取り、ゴミ箱につっこむ。「入学式、行かないとですよ。ね?」
 いろいろ気になることはあるが、確かに時間も迫っている。静臣は少年を連れて会場に向かった。すでにスーツを着た初々しい芸大生で溢れかえっている。
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