捨てられ王子と古城の吸血鬼

□捨てられ王子と古城の吸血鬼6
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ルーシー?
そこに居るの?
振り返ると、狭い木々の間から黒いマントに黒い大きなつばのついた帽子を被り、ピエロの面を付けた長身の男が立っている。
もう朝だよ。
危ないよ、死んじゃうよ?
近寄ると、男は無言のまま、一歩後ろへ下がる。
また自分が前に進めば、男は後ろに下がった。
どうして?
王子の目に涙が浮かぶ。

どうして、夜の内にオレを追って来てくれなかったの?

どうして、オルツガルナみたいになり振り構わず飛んで来てくれなかったの?

オレの事なんて、追う程じゃなかった・・?

やっぱり、オレはいらない子なんだ。
どこに行っても、誰にも愛されない、見窄らしい王子。
王子の格好をしただけの、木偶の坊ーーー

そう自分を卑下していると、黒尽くめの男が、また一歩足を退いた。

やだ、行かないで。
ルーシー?ルーシーだろ?
行かないでくれ・・!
オレを置いて行かないで!
泣きながら彼を追いかけるが、地面が沼のようにぬかるみ、足が前に進まない。
「待って・・ルーシー・・!」
やっとで声を出せた時、視界に映ったのは生まれ育った王宮の自分の部屋の天井だった。

あの逃走劇の後、王子は丸2日間、眠りに落ちた。
その事実が更に王子を絶望へと落とす。
この王宮がいくら警備が万全とは言え、それがルーシーが追って来れない理由にはならない。
それは、あの古城から逃げようとした事がある自分が一番よくわかっている。
ルーシーが恐れるのは、対等の力を持つオルツガルナ以外他に無い。
同族以外の人間を、ルーシーが恐れる筈が無かった。

途端、涙が零れた。
やっぱり、自分は見放されたのだ。
それとも、これがルーシーの願いなのだろうか?
自分が王宮に戻る事を望んでいたのだろうか?
それが、オレの幸せだろうと?

だが、そんな思いはすぐに打ち消せた。

そんな筈はなかったから。
絶対に帰さないと、自分を抱き潰そうとした男だ。
一時も放したくはないと、内奥に楔を埋め込まれた。
あの激情が噓だったなんて思えない。
思い出す。
指先に乗った蜜を舌で舐めるように甘く、真綿で肌を包まれるくらいやさしかった日々を。
自分の名前を苦しそうに呼ぶルーシーの掠れ声。
誰にも渡さない、と、何度耳元に紡がれたか。

一つ一つの思い出がゾルクの胸を締め付ける。
目の奥にズキリと痛みが走り、それが合図になって熱い涙が止めどなく溢れ出てきた。
『ゾルク』
『愛しいゾルク』
そんな風に、名前を呼ばれた事など今までなかった。
自分はお飾りの王子で、ただ見て楽しまれるお人形。
何もしなくても、誰の役に立たなくても、派手に着飾り、そこに座っていればいいだけ。
だから。
捨てられるのも簡単だ。
役立たずは、誰に気にされる事もない。
棚から落ちた人形は、自分では棚の上に戻れない。
それでも。
無になるつもりは、もうなかった。

ルーシー、オレはルーシーに血をあげられる。
この身体をルーシーにあげられる。
それでも、オレは役立たず・・?
もう、いらない?
もう二度と、あんな風に呼んで、抱き締めてはくれない?

『ゾルク王子』
ルーシーの黒髪がやわらかく揺れる。
それを耳に掛けて、ルーシーがキスをくれる。
手を伸ばせばいつだって、その腕の中へ抱き締めてくれた。
もう逃がさないと体を組み敷かれ、何度もルーシーを受け入れて喘いだ。
甘い、鎖。
それが、こんなにも自分を締め付ける。
二度と逃れる事は出来ない。
この胸の苦しみからは、逃れる事が出来ないーーーー







「王子の様子はどうだ?」
王子の部屋の前、厳重に敷かれた警護の最後の砦を護るのは、王宮近衛兵隊隊長のレストリアードだ。
声を掛けられた侍従は、視線をあからさまに下に落とし「まだ熱が下がりません」と首を振った。
「医者は何と言っている?」
「喉や胸を患ってはいないそうで、暫く薬を飲んで様子を見たいとの事です」
侍従の、代わり映えのしない返事に、レストリアードは静かに頷くしかなかった。


王子が王宮へ戻って、既に1週間が経とうとしている。

始めは誰もが王子の帰還に胸を踊らせ、歓迎ムードに王宮は色めき立った。
が、王子がレストリアードに運ばれるまま床に臥せ、一度も部屋から出て来る事が無いと、再び侍従達の顔色は暗くなった。
それだけなら、いい。
それこそ、王子の状態を憂いた家臣などは、恨み言を連ねるようになった。
我らが麗しき王子を、これ程に苦しませているのは、兄王様のせいではないか、と。
全ての元凶は、兄王が過弱き王子を無理に国境沿いへ遠征させた事だと、家臣達は影で囁き合い、再び呼び戻したのは、王子に呪いを掛けるために違いないと、根も葉もない噂が王宮の中に飛び交っていた。
それが、合っているとも間違っているとも断言出来ないが、これ程までに弱ってしまった王子の姿を垣間見ると、レストリアードの胸には、やはり後悔の念が沸いた。
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