捨てられ王子と古城の吸血鬼

□捨てられ王子と古城の吸血鬼6
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闇の深淵。

何も見えない闇の中を走る馬車が、激しく揺れる。
馬車は、定かでない轍をなんとか捉え、風に煽られ何度も消えかける松明の僅かな灯りを頼りに、道無き道を疾走していた。
自分の耳には、馬車の走る音が轟音にも聞こえる程大きいのに、この深い森の中では、その音すら一瞬で土の中に吸い込まれる。

漆黒の闇の中に揺れる木々の枝が、何か生き物が蠢めいているように見えた。
もし、この闇の中で、後ろを振り返ってしまったら、その途端に地面がボロボロと崩れ落ち、馬車ごと地中深く飲み込まれてしまいそうで恐くなる。
夜中でも灯りの絶えない城内に居たせいか、何も見えない事が、こんなに怖い。
自然、小刻みに体が震え出す。
その震えに、レストリアードが王子の身体をギュッと背中から抱き締めた。

思っていたよりもあっさりと王子の奪還が成功してしまった近衛兵隊の一行は、その殆どの隊員が敵の正体もわからぬまま、一心不乱に馬を走らせていた。
ルーシーが、どれ程の早さで自分達に追いつけるのか見当もつかない。レストリアードは、王子を奪われないように自分の膝の上、王子の背中からその華奢な身体を、無言で抱き締めていた。

祈るのは、ただ無事に王都へ着くこと。

どうか、このままバンパイアに追いつかれる事無く、朝を迎えさせてくれ・・!

そう一心に願い、王子の身体を腕の中へと閉じ込める。
それでも、一瞬の隙をついてルーシーがここへ現れ、王子を瞬く間に攫われてしまいそうで、レストリアードは王子を腕に抱きながら、髪の先まで気を張り詰めた。
闇の中を走る馬車が、道が悪いせいで何度となく跳ねる。
その度に、レストリアードは身を硬くして王子を抱く腕に力を入れた。
頭の中では、もう何度も、王子を奪い返しに来たルーシーに、腰に差した銀のナイフを突き立てている。
が、自分の想像とは言え、その結末は暗澹たるものだった。
ルーシーの爪で一掻きにされた後には、血しぶきを上げて倒れる自分がいる。
馬車が大きく揺れる度、レストリアードは自分の死に様を嫌でも想像しなければいけなかった。
朝日が上る、その時まで。
いや、ルーシーが追いつく、その時まで。
その果てしない緊張が、レストリアードから生気を奪っていった。








いつの間に眠っていたのだろう。
王子は馬車の中に差す光りに目を細めた。
それは、レストリアードにとっては幸運の、王子にとっては、ーーー酷く形容し難いものだった。

馬車は、いつからか走るスピードを落としている。
外からは、馬が土を蹴る、単調な蹄の音が静かに鳴り響いていた。
自分を背中から捕まえていた逞しい腕が、膝の上に落ちている。
身を隠すように包まれた外套の中、背中の男を振り返ると、そこには憔悴しきった顔のレストリアードが居た。
放心したレストリアードの、目の焦点がどこかズレている。
そのやつれた表情から、レストリアードがどれ程ルーシーを恐れていたのかをゾルクは知った。

ついに、近衛隊は一晩、夜の森を走り切った。

夜が明けた今、このまま日が沈むまで馬を駆れば、ルーシーの脅威に曝される事無く、きっと王都に無事に着けるだろう。
信じられないような気持ちでレストリアードは、馬車の窓から朝日が上っていくのを見つめていた。

勝ったのだろうか?
自分は、ルーシーに勝ったのか?

闇夜を走り抜いた近衛隊の一行は、魔の森を無事に抜ける事に成功した。
王子を攫った直後、すぐに追っ手が掛かると覚悟していたレストリアードは、まるで狐に摘まれたような気分だった。
が、予想に反して、目的通り事態は進んでいる。
レストリアードは、自分を振り返って見上げている王子の顔、その額に、キスを落とした。
「帰りましょう、王子。王都まで、あと少しです。あなたのお帰りを、皆がお待ちしております」
どうして、そんな事を口にしたのか。
まるで、王子を説得するような言い方だった事に、言ってから気づいた。
「帰っていいのか・・」
そう力無く呟いた王子の瞳には、何も映ってはいない。
それは、つまり、王子がこの事態を喜んでいない、という事だ。

いや、そんな筈はない。

レストリアードはネガティブな思考を頭を振って追い出す。

きっと戸惑っておいでなのだ。
宮殿に戻れば、自分に遠征を言い渡した兄王と対面しなければならない。
その憂鬱を思えば、私のような一軍人が推し量れる程、王子の心の内は簡単では無い筈だ。
ご配慮しなければ。
この麗しき王子を、二度と失わないためにーー

そう思い、レストリアードは、一瞬脳裏に浮かんだ、王子とルーシーが笑顔で肩を寄せている姿を、頭から追い出した。
本の少しの間に見た二人の様子は、心から楽しそうな顔だった。
王都から遠征に出され、傷ついていた筈の王子を励まし支えてくれたのは、誰でもないルーシーだったのだろう。

これで、良かったのだろうか・・?
王子は、王都に帰る事を、望まれていただろうか・・?

そんな疑念を抱きつつ、自分の腕の中で瞳を閉じて眠りに落ちた王子の身体を、レストリアードは強く抱き締める。
そのあまりに華奢な王子の体に、レストリアードの胸が痛んだ。
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