戦国BL

□tuyokuyowakimono
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誰も死なない世界があればいい。


誰も死なないし、誰も傷つかない。


本人も痛くないし、それを見て誰かが心を痛めることもない。




そう思うことは、そう願うことは、傲慢だろうか?




彩瀬を迎え討った鷹峰の全身は無数の擦り傷や切り傷を負い、その傷口からは血が滲み出ていた。
全身を赤い入れ墨に包まれているかのような裂傷の数々に、アンジは蒼白になり、鷹峰へと近づこうとした足を止めてしまう。
あっという間にアンジを追い越し駆け寄った僧兵達に鷹峰は囲まれ、男達の肩に担ぎ上げられると、嬉々として咆哮を上げ、僧兵一丸、戦いの勝利を喜び合っていた。


それも、朝もやの立つ明け方の山の上での事だ。
シンといつもなら静まり返っている夜明け時に、この怒号がどれ程遠くまで響いたのかは計り知れない。
ひとしきり鞍馬寺の勝利を、鷹峰の勝利を祝った後、地面へ降りた鷹峰は、少し離れて一部始終を見ていたアンジの所へと近づくと、アンジに笑い掛けた。
両手を広げて、アンジを呼ぶ鷹峰に、アンジは着物の袖を握りしめて、涙が溢れそうになるのを必死で堪えた。
「ただいま、アンジ」
「鷹峰!」
今にも泣き出しそうな顔で近づいてくるアンジに、鷹峰は満面の笑みで抱きつく。
「ったく、いい顔しやがってよ」
力一杯抱き締め合い、その肩口で鷹峰が安堵の溜め息を吐いた。
「オレは本当に運がいい。アンジ・・逃げないで、待っててくれて、ありがとうよ」
その目には、慈愛。
憂い。
そして、諦めと絶望と、希望。
全てがないまぜになり、全てがここ、アンジだと物語っていた。


オレを捨てても良かった。
オレから逃げても良かった。
ここを離れて、アキヒサの元へ行けば全ては収まる。
だが、出来なかった。
それは、ただの我が侭でしかない。
それに付き合う義理はアンジには無い。
アンジは自由でいていい。


オレが追うから。


鷹峰の腕にキツく抱き締められて、堪えていた涙が溢れて止まらなかった。
心というものは形が無い。
だけど、触れる事が出来るというなら、きっと、今がその時だとアンジは感じていた。
どうする事も出来ない程に、鷹峰のあたたかさが伝わってくる。
胸に染みる鼓動がアンジを安心させ、人が生きているという事がどれだけ幸せかという事を、アンジに実感させた。
「鷹峰、ありがとう・・っ帰ってきてくれて・・ありがとう」
泣きながら震える声でやっとで口に出来た台詞に、鷹峰の腕にさらに力が入った。
「アンジ、ここを出よう。お前のために生き、お前のために死ぬ。それがオレの願いだ」
アンジは涙を流しながら、鷹峰の声を聞き、小さく頷いた。






全ての報告を終えた鷹峰は、手当てされ、全身に薬草を貼付けた状態で2、3日の安静を言いつけられた。
安静にしていろと言われて出来る鷹峰では無かったが、張りつめた過度の緊張や疲労から、鷹峰は気を失ったように眠りに落ちた。
あの、いつでもすぐに復活する有り余る体力の持ち主が、一昼夜そのまま眠り続けたのだ。
その姿にアンジも他の僧兵達も、この忍びとの戦いがどれ程過酷な戦いだったかと痛感せざるを得なかった。


僕が居なければ・・・。
ここに僕が居なければ。


どんなに鷹峰に恋いこがれ、愛を囁かれても、アンジは自分を責めずにはいられなかった。


また、こんな事がいつ起るかわからない。
もしかしたら、僕だけじゃない。
忍びの報復に鷹峰が襲われるかも知れない。


そう思うと、アンジは夜も眠ることが出来ず、布団の中で身動いだ。
そう何時間、眠れずにいただろうか?
そうしていても仕方ないと布団を蹴飛ばすと、勢いよく起き上がり、鷹峰の寝ている寝所へと向かった。
もちろん、中に入るつもりは無い。
気持ちだけは、自分が鷹峰を護るつもりで、その縁側へと座り込む。
辺りは暗く、虫さえも控えめに鳴いているようで、やけに静けさが増している。
くっきりと空に浮かんだ、三日月の月明かりだけが頼りだった。
「アーンちゃん」
その呼ばれ方に、一瞬おぞましさを感じるのは、子どもの頃を思い出すからだろうか?
それとも、いい大の男にちゃん付けて呼ばれる事への嫌悪か。
アンジは、前から歩いてくる人影に目を凝らした。
「寝れないのかい?」
人影は忍びでは無いのがわかる。
その動きの緩慢さ、警戒の無さ。
背はアンジより少し高い位いで、中肉中背、その身が筋肉で締まっている事は鞍馬にいるという時点で、確かめなくてもわかっている。
近づいて、アンジのすぐ横へと腰掛けたのは、ここで暮らす見知った顔だった。
「はい。どうしても・・目が冴えてしまって」
「心配か」
アンジの返事に、彼はそう言って口元を緩めた。
「鷹はしあわせな奴だね〜。こんなかわいこちゃんに心配して貰えて」
「かわいくなんか無いです。ただやせ細って、男らしく無いだけで・・」
そう返すと、彼はアンジの顔を横からマジマジと見下ろした。
「・・アンちゃん・・自分をわかってないんだね〜。こんな月明かりん中でも、めっちゃキレイな顔に見えるってのに。目がさ、キレイなんだよ。唇もふっくらしてるし。黒目が瑞々しくってさ。ホント何処のオヒイサマって感じで」
「僕は男ですっ」
アンジは思わず声を上げてしまい、彼の手で口を塞がれて、シーっと口元に立てた指で『静かに』と、合図される。
「鷹が起きちゃうでしょ」
「スミマセン・・でも、僕は男です・・」
その主張に、彼はニンマリと笑った。
「そろそろお部屋に戻りな。ここはオレが見張ってるから大丈夫。心配なのはわかるけど、オレ達の事も信用して欲しい。鷹を護りたいのは君だけじゃない。鞍馬の意思でもある。この鞍馬をいずれ背負って立つだろう優秀な人間だからね」
そう言って、アンジの背中を押して立たせる彼の顔をアンジは見上げ、呆然と呟いた。
「鞍馬を背負って立つ・・」
「そうだよ。いつか、近い将来、あいつがこの鞍馬を受け継ぐよ。そういう運命だ」
そう言って、アンジを見つめた後、『どうしたの?』という風に彼は首を傾げた。
アンジは心のどこかで、いつかは。
いつかは。
と、来るべく日もわからない、いつかを、来なければいいと思っても、いつかはと、決めていた。
その『いつか』は、今、すぐに、来るのだ。
「なんでもないです。おやすみなさい」
静かに、それでも早足で、アンジはその場を後にした。
その背中に「アンちゃん、おやすみ〜」と明るい声が追ってくる。


ここに居たらダメだ。
鷹峰が必要とされてるのはここで、僕なんかと一緒に来ちゃダメなんだ。
それは、わかってる。
わかってた事で。
僕と居たら、きっとまた怪我をしたり、死にそうになったりするかも知れない。
でも、それは僕がアキヒサの元へ行かないからだ。
だから。
僕はアキヒサの元へ帰れば、もう鷹峰は、僕のせいで戦ったり、傷ついたり、死にそうになったりなんかしないで済むんだ。
だから。
鷹峰、僕と一緒にいるより、鞍馬の頭首にならなきゃ、鷹峰の運命を僕が変えたりしちゃいけないから。




涙は出なかった。
ただ、部屋の中で壁に凭れてズルズルと座り込んだ。
そのまま、次第に辺りは明るくなっていった。
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