Hermit短編

□夏
2ページ/5ページ

歩くごとに暮れていく町を、不器用に下駄を鳴らしてゆらゆらと行く。杏子の方も浴衣で歩幅が出ないので、無理に急ぐ必要もない。つらつらと他愛もない話をして神社に着いた時には、もうすっかり日が落ちていた。
夏の夜の濃い暗闇を明るく照らす、提灯と屋台の灯り。垂れ流されるラジオ放送と、それをかき消す人々のざわめき。都会の人混みには比べようもないけど、この静かな町のどこに隠れていたのかと聞きたくなるほど大勢の人で溢れている。

「おおー。今年も賑わってんなあ! やっば、テンション上がってきた。わたあめ、かき氷、フランクフルト……まず何から攻める?」
「お参り」
「おお……」

礼儀正しい彼女に倣ってまずお社に手を合わせ、参道を戻りながら屋台を覗く。
小西酒店の出店で尚紀から飲み物を買い、隣でなぜか完二が店番をしていたヨーヨー釣りのサクラになる。ひょいひょいと釣る杏子の横でくしゃみのはずみに釣り紐を池ポチャさせ、ガッカリの巻き返しを図って射的に行ったら、だいだら.の親父がアートすぎるコルク銃を並べて来合わせた堂島さんに絞られていた。

菜々子ちゃんと撮った写真を悠に送り、悔しがる返信を肴にりんご飴とイカ焼きをわけっこして食べる。通りかかったバイトの後輩たちに「今日も仲良しですねー!」なんて冷やかされ、そのあと会った天城と里中にも同じことを言われた。「そっちこそな!」ってツッコミ返したら、それに天城がツボるやら、杏子もつられて笑い出すやら、里中には「どーすんのこれ」と呆れられるやら――。

と、そのほかにもなんやかんやと食べたり飲んだり人に会ったり。気がつけば人波もだいぶ引いて、ひとつふたつと灯りを落とす屋台も出てきた。

「けっこう長くいたなー」

杏子が「最後はこれ」と譲らなかったわたあめをふたりで一本買い、社の脇の暗がりに並べられたベンチに座る。ここももう人はまばらで、俺たちの他には一番奥の真ん中で酔っ払って寝ているオッサンと、逆に一番手前の端っこでくじで当てたゲームを遊んでいる中学生しかいない。

「小さい頃から来てるけど、お祭りが終わるところって見るの初めて」
「へー。……じゃあ、ふたつめだな」
「なにが?」
「この夏の、ハジメテ」

そう言って、杏子が持つわたあめの端をそっとつまんだ。幾重にも巻かれた砂糖のヴェールが、ぺりーっと薄く剥がされていく。少し上を向いてふわふわとたなびくそれを口に入れると、混じりっけなしのストレートな甘さが舌の上に広がった。

ちょっと踏み込んだ俺の発言に無言のままで、杏子も同じようにわたあめをつまむ。親雲の元を離れた子雲をぱくりと口に含んだ横顔が、暗い中でもまたほの赤く見える。

「去年」

見つめていた唇が、ゆっくりと動いた。

「クマキチさんが『カップルになって歩こう』って言い出したの、覚えてる?」
「あー、覚えてる覚えてる。自分でイチイチとか言っといて、こっちの隙ついて女子全員かっさらっていきやがったやつな」

せっかくの夏祭り、男女はペアになって歩くべし! というクマの提案自体は、拍手喝采で褒めてやりたいくらいのものだった。なのに、誰が誰と組むかとかって悠や完二とわたわたしている間に、あいつめ、手のひらを返して抜け駆けしやがった。口八丁で女子の同意を取り付けハーレム状態で歩き去るクマの背中を、男三人ただ呆然と見送った悔しさは忘れない。

蘇る敗北の苦い味を紛らわせようとわたあめに手を伸ばすと、そうそうと頷いた杏子も、それきりなにも言わずにまたわたあめをつまんだ。少し遠い目をした彼女は、この甘さをいったいどう感じているのだろう。

「俺さ」

と、俺もゆっくり打ち明ける。

「あんとき、どうもってけば自然にお前と組めるか……って考えてたよ」

砂糖の残る指先を遠慮がちに舐めていた杏子がぴたりと動きを止め、ふわーっと目を丸くしてこちらを見た。驚きしかない表情で、顔に書いてある通りのことを言う。

「うそ」
「大マジ。瞬間的に、脳みそフル回転でな。つっても、おまえのことをどうこうって自覚はまだ全然で、ただ、なんていうか、お前と行くのが一番ラクそうかなって」
「ラク……」

この表現はマズかったって気づくのは、なんでいっつも口に出したあとなのか。幸い杏子は気にしてないみたいだけど、これはもう少し説明を足さないと、と俺は思った。

「天城と一緒はちょっと緊張感あるっつーか……、なんかこう、悪気なくハートえぐられそうな感じ? 里中とはひたすら肉系屋台巡りになってツッコミ疲れしそうだし、りせちーと歩くってのには正直ぐらっときたけど、でも、あんときのりせはさ、ほら、『りせちー』をやりたいわけじゃなかっただろうからさ」

天城と里中への印象には微妙な反応を見せた杏子も、りせのことには大きく頷いてくれた。伝わったかなとほっと胸をなで下ろし、その先に向けて俺は静かに息を吸う。

「――おまえとなら、いい感じに回れそうだなって思ったんだよ。並んで歩いて、目についたもの食って、飲んで、笑ってさ。なんのプレッシャーもなくて、フツーに楽しいの」

それはまさに、今日のように。だから俺は、その気持ちをそのまま口にした。

「一年越しだけど、マジでその通りだった」

そう言って笑いかけると、杏子は思った通り泣きそうな顔で俺を見ていた。
こういうこと言うとまたちょっとアレだけど、杏子の泣き顔が、俺は好きだ。嬉しい涙も、悲しい涙も、彼女が俺だけに見せてくれるってことを知っているから。
だから、別に無理に泣かせるつもりもないけど、でもあわよくばっていう下心はありありで、人のいる方に背を向け、あるかなしかの視線から杏子を庇うように体を動かした。

「泣いてもいいんですよ」

杏子は黙って首を振る。髪飾りの白い花が揺れて、しゃらしゃらと音を立てた。

「泣くのは、ふたりのときだけって、約束」

それは、去年、まだ付き合う前の俺が彼女に求めたことだった。泣くのは俺の前だけにして欲しいと、まだ彼氏でもなんでもなかったのに。俺のことを好きでいてくれる杏子の気持ちに甘えて、俺のことを「特別」扱いして欲しいと願った。
そんな俺のワガママを、杏子は一も二もなく受け入れてくれて、そして、今も変わらず大切に守ってくれている。そんな彼女のいじらしさにまた心を溢れさせながら、俺は、一番最近彼女の涙を見たときのことを思い出した。

次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ