Hermit短編

□あめ
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いつもの街灯の下で、いつものように陽介が待っている。同じ時間にバイトを上がっても、たいていの場合、帰り支度は彼の方が早い。

「おまたせー」

従業員口のスロープを小走りに駆け抜け、裏通りの暗闇をスポットライトのように照らす明かりの中に飛び込む。携帯から目を上げた陽介は、あと数歩の距離を駆け寄る私に、にっこりと笑いかけて言った。

「おう、おつかれさん」

明るく弾むような声にカラカラという音が混じっている。

「飴?」
「ん」
「いつものと違う匂いがする」
「新商品の試供品。グロサリーのチーフが感想教えてくれって」

ああなるほど、と納得して頷く。陽介は飴が好きだ。一番はフルーツ系ののど飴だと言うけれど、それ以外も手広く嗜んでいる。味見には最適の人材だろう。

「おいしい?」

並んで歩き出しながら、聞いてみる。
陽介は「んー」と難しそうに言って足を早め、街灯の光を抜けたところで振り返り、ぐるりとあたりを見回した。私もつられて首を回す。従業員口にも、その周辺にも、目の届く範囲に人の気配はない。
視線を戻した私を、陽介の人差し指が招く。

(イマイチなのかな?)

くいくいと動く指先に引き寄せられるようにそばに寄り、物言いたげに開いた彼の唇に耳を近付けようと首を伸ばす。

「んっ……!」

秘密を打ち明けられるのを期待していたら、不意に顎をとられた。驚いて開いた唇に、彼のそれが素早く重なる。

「あ……ん、あ」

上唇と下唇の間に優しく差し入れられたのは、表面がとろけてなめらかになった飴だった。意図を察して力を抜いた私の口の中に、それがするりと入り込む。

(あ、嘘……)

飴を送り届けた彼の舌が一瞬名残惜しさを見せて、私の胸にまた緊張が走る。けれど、それは上唇の裏をほんの僅かに舐めただけで、それ以上侵入することなく離れていった。

がっかりしたのか、ほっとしたのか。

整理のつかない気持ちで彼を見上げる私の口の中に、芳醇な甘みと酸味と塩みの掛け合わさった、複雑な味が広がっていく。

「ソルティはちみつレモン、だってさ」

言葉にされたとたん、感じる味がそれに変わっていくのだから不思議だ。頷いて、熱い口内でその味をとかす私の口元を、陽介がじっと見ている。

「……けっこう、クセになる味だよな」

再び頷いた私の顎に、こちらも再び陽介の指がかかる。あっ、と予感が走るが早いか、いたずらっぽく笑った彼が、思った通りのことを口にした。

「っつーわけで、お味見終了。ご返却は、こちら――」

手品師が指を鳴らすように、陽介の片目がぱちんと閉じて、すっきりと薄い唇がぱっくりと開いた。ウインクの魔法にかけられた私は、力の抜けた体で静かに目を閉じ、ただじっと受け取りに来る彼を待つ。

――そして、何もかも、されるがままに、飴を返した。



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