Hermit短編

□春
1ページ/2ページ

空高くヒバリがさえずる土手の道を、春の野花を数えながらゆっくりと歩く。ナズナ、カタバミ、カラスノエンドウ、ノゲシにハナニラ、ホトケノザ。日向に咲いたタンポポはもう綿毛になって、朝日に高く伸びあがり、落下傘のような種を風に乗せている。

鮫川に橋を架けるように飛んでいく綿毛を見送りながら、駆けてくる足音に振り返ると、長い一本道の向こうで陽介がパッと手を上げた。いつものあたりで落ち合えなかったから心配していたのだけれど、どうやら体調は問題ないようだ。ホッとして足を止めた私の元へ、彼は春風と競い合うように走り込んできた。

「追いついたー!」
「おはよー」

止まることなく吹き抜けた風に乱された髪を押さえる私と、両手を膝に置いて背を丸め、肩で息をする陽介。いましがた彼が追い抜いてきた八高生の一団が、流れの中の石になった私たちを避けていく。

「元気そうで良かった。けど、どうしたの、その格好」

会えた嬉しさ以上に、そこが気になってしまう。
なにせ、学ランのボタンが上から下まで全て開けられている。それだけと言ってしまえばそれだけのことだけれど、たったそれだけで普段の陽介――いつもは襟元のボタンだけを外している――とは全く印象が違う。

「それがさー」

と、ため息まじりに背を起こした彼の胸が大きく白い。いつもは襟元や袖口から覗くだけのロングTシャツが、大胆にさらけ出されているのだ。

「腹んとこの裏ボタンの爪が折れちまって」
「ああ、それで……」

納得して頷く私に、陽介はポケットから出した手を開いてみせた。大きな手のひらの上で、片割れをなくした金ボタンが面目なさそうに揺れる。

いわゆる普通のボタンと違って、学ランのボタンは縫い付けない。裏についているループをボタンホールに通し、そこに押さえ用の別のボタンのフックをかけて生地を挟む。そのフックのついたプラスチックの留め具が、裏ボタンだ。

「よりにもよって、家出る直前に折れんだもんよ」
「替えは?」
「ある。けど、クローゼットの中なんだよ」

ボタンをしまって歩き出し、いかにも重たそうに肩を落として私を見た彼の目が「わかるだろ」と言っている。私は、それに大きく頷いて答えた。

彼の部屋のクローゼットの大半は、同居するクマきちさんの占有スペースになっている。その範囲はどんどん拡大していて、元々置かれていた陽介の荷物は、今やブラックホールと化してもおかしくないほど圧縮されている。
腰を据えて探せば見つかるだろうけど、朝の慌ただしさの中ではとてもやっていられないだろう。それでも、他人事のように「あーららー」などと言うクマきちさんに対して、プロレス技のひとつくらいはかけて来たかもしれない。

「にしても落ち着かねーわー。ハラがスースーする」

眉を寄せてお腹を撫でる陽介の髪と上着が、南風にはためく。今日が暖かい日で良かったと思いながら、私は言った。

「一番上のボタン外して、入れ替えたらいいんじゃない?」

次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ