Hermit短編

□エイジング!
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「マジか……」
『マジだよ』

自分の不注意が引き起こした結果を目の当たりにして、つまんないセリフが口からこぼれた。
淡々と短く切り返すりせの声が、かえって露骨に俺を刺す。

『悠先輩の方に移るから通信切るけど、速攻で回復だからね? 女の子にあんなの、絶対ありえないんだからね!』

絶対を「ずえっったい」と強調した上に、すぐだよとか、ちゃんとねとかギリギリまで念押しして、頭の中の声がプツリと途切れた。
明妻を心配するあまりだろうけど、なんかあまりにも信用されてなくてちょっと泣ける。

(つっても……)

頭を切り替え、あらためて小さな部屋の隅を見やる。俺と同じくバツの悪そうな顔をしたツネきちの傍らに、明妻は静かに立っていた。

その背が、ずいぶん縮んでいる。
というか、腰が曲がってる。
そのうえ頭は真っ白で、手もしわくちゃ。
日頃の彼女なら絶対しない、セーラー服でのガニ股姿がなかなかショッキングだ。

(――確かに、女の子にあれはねーわ)

完全に油断してた。
今日だけで何体相手にしたか分かんない雑魚に飽きもせず襲いかかられ、正直なところ面倒臭えとしか思わなかった。
その結果、どうせ秒で終わると舐めてかかった俺の間合いをシャドウの技がすり抜け、やっぱり調子こいて跳ね回っていたツネがその標的にされた。

小さな仲間を咄嗟に庇った明妻を飲み込んだ白い煙は、浦島太郎が玉手箱から食らった類のもの。
なんとクズノハが持つ耐性までをもかわし、それは彼女の「若さ」を奪った。

「明妻」

どうしようもなく気まずくて背中から声をかけたら、明妻はよちよちと足を動かして体ごとこちらを向こうとする。
首や腰だけ回すのが大変なんだと気づく頃にはもう正面で向き合っていて、いつも以上に低い位置から「はあい」と返事が聞こえた。

(おっと……)

思ったより、お婆ちゃんぽくない顔をしている。
くりくりとした子供みたいな目のせいか、一本一本が幸せそうなしわのせいか、はたまた不思議な透明感のある蝋みたいな肌のせいか――。
とにかく、思ったほどしんどそうじゃないのにはホッとした。何十年後か分かんないけど、明妻はきっと、こういう明るいお婆さんになるんだろう。

「あら、あなた、八十神高校の学生さん?」
「はい?」

ずり落ちた眼鏡を押し上げて、明妻はまばらな睫をしぱしぱとまたたかせた。

「懐かしいわ。私もね、そこの生徒だったのよ」

まずい。俺がもたもたしてる間に何か始まっちまってる。一瞬ふざけてやってるのかとも思ったけど、どうやらこれは様子が違う。

「何言ってんだよ、今だってそうだろ」
「ええ、ええ、今でも昨日のことみたいですけどねえ」
「いやいやいやいやいや」

やべえ、マジでお年寄りみたいになってる。しっかりしろよと肩を掴んだら、足もとでツネがコーンとひと声鳴いた。鼻面を伸ばして訴える釣り目のまなざしが、「無駄」と言っている。

「お前、もしかしてずっと……」

言葉の先を待たずに頷いたツネの、耳もひげも尻尾も心配そうに垂れている。明妻のそばにぴったりついて離れなかったのは、コイツなりに呼びかけてたからなのか。
ツネの声が届かないってことはクズノハを見失ってるってことで、ペルソナを意識できていないなら、今の状況も俺が誰かも分からなくって当然だ。

「よし分かった、明妻。とにかくこれ飲もう」

何もかも忘れちまってるなら、する事はひとつ。りせの言った通り、速攻回復だ。

「おくすり?」
「そうそう」

差し出したロイヤルゼリーと水を素直に受け取って、明妻はそのままピタリと止まった。フチなし眼鏡とたるんだ瞼の奥の小さな瞳が、穴があくほど俺を見ている。

「どうした? あ、別に変なモンじゃねーから安心し……」
「あなた、私の初恋の人にそっっくり!!」
「え、ちょっ、本人ですけど?!」

大・発・見って感じのテンションに、ついつい反射でツッコんで、次の瞬間恥ずかしさで死にそうになった。
「俺こそお前の想い人!」って、いったい何の宣言だよ!!
つーか初恋なの?! 俺でいいの?! マジで?!

「素敵な人でねえ。彼には他に好きな人がいたけど、私、それでも良かった。学生服の背中を、後ろの席から眺めているだけで幸せだったわ」

目尻のしわを深くしてお構いなしに続ける彼女は、遠い何かを愛おしむように見つめている。

「――あの人、元気かしらね」
「……元気だよ」

心臓ばくばく言わせながらやっとそれだけ答えると、明妻はまた俺を見上げ「きっとそうね」と優しく笑った。
ふわっと広がった眉毛も、白く、薄い。そして、おだやかな表情をより柔らかく見せるそれが、申し訳なさそうにハの字を作った。

「ごめんなさいね、これ、開けてくださる?」

しぼんで骨ばった手のひらに、ぷちぷちとロイヤルゼリーのカプセルを押し出す。転がるそれと俺の手つきをじっと見ながら、お婆ちゃんの明妻はおもむろに口を開いた。

「私ね、決めているの」
「何を?」
「あの人より絶対長生きするのよ。会いたいと言われた時にはいつでも会えるように、元気で。だから、おくすりはちゃんと飲まなきゃね」

蓋を取ったペットボトルを、すすんで受け取る幸福そうな笑顔。俺は、何て言ったらいいのか分からなくて、ただ曖昧に微笑み返した。

「決してあの人を、ひとりにしないわ」

おまじないか何かのように呟き、明妻は不器用に水をあおる。
ぎこちない動きに不安を感じて身構えたら、案の定、次の瞬間大きくむせた。苦しそうに咳こむ固い体を支え、背中をさする。
そのせいかどうかは分からないけど、効果を待つわずかな時間に初めて彼女の顔が曇った。

「ねえ、どうして私、あの人の名前を思い出せないのかしら……」

支えにするのに重ねた手のひらで、節くれだった指が、記憶を辿るように小さく動く。

「あんなに、あんなに、好きだったのに」

呆然と中空を見つめたまま、笑顔を深くしていた無数のしわが、みるみるうちに表情をなくしていく。

(最後の最後に、そんな顔……)

思うより早く、体が動いた。

「――はなむら」

握った手に力を込め、背中をまるめて耳元で囁く。

「花村、陽介。だよな?」

ゆっくりと振り向いて俺を見た顔が、比喩ではなく、輝いてる。

「そう、そうよ。名前そのままの温かい人だった!」

しわくちゃの顔が、ギリギリでまた幸せそうな笑顔に変わる。なんだろう、まだお婆ちゃんなのに、スゲー可愛い。

「ありがとう!」

魔法を解くきらきらとした光の粒が、どっと湧き上がり、渦巻いて彼女を包む。
瞬きごとに若返り、散り際にひときわ強まった光のあと、そこにはいつもの明妻が立っていた。

色の甦ったつややかな髪、しゃんと伸びた背筋、つないだままの手のふっくらとした感触。ぽかんとして俺を見る澄んだ瞳の輝きは変わらなくて、わけもわからずはにかむそのまなざしが、たまらなくくすぐったい。

もぞもぞ動く顔の筋肉を、足元を駆け回るツネのせいってことにして、俺は照れ笑いで頬を掻いた。

「おかえり、明妻」


 

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