薄桜鬼
□沖田さんと脱走の夜
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「明日香はここの人間じゃねぇ」
土方さんの声に、障子を開けようとした私の手が止まった。
「これ以上戦が激しくなりゃ、明日香が無事でいられる保証はねぇ。もう帰る方法は解ってんだ。元の時代に帰すとしたら、今しかねぇだろ」
厳しい口調に部屋がざわめき、私の胸にも衝撃を与えた。
「何でだよ、土方さん!明日香は女でも、俺らの仲間じゃん!なのに今更帰れなんて!」
「そうだ、あんまりだ!俺たちが守ってやりゃいいことだろうよ!」
そう言ってくれる藤堂君と永倉さんの言葉は嬉しいのに、改めて突きつけられた“帰る”という現実に、お盆を持つ手が震えた。
あまりにみんなが優しくて、ここにいるのが楽しくて、一緒にいることが当たり前のようになっていたから――
「明日香は、生き血も骸もまともに見たことねぇ、女だ。これ以上危険な橋を渡せるか」
土方さんが言い終わらないうちに、ははっと沖田さんの笑いが漏れた。
「やだなぁ、土方さん。そんな回りくどい言い方しないで、足手纏いだから帰らせるって言えばいいじゃないですか」
…………っ!
「総司!」
「何だよそれ!あいつすげぇ頑張ってくれたじゃん!」
「落ち着け、平助」
「離せよ、左之さん!足手纏いだって帰らされて、もう明日香と会えなくなってもいいのかよ!」
「………いい訳ねぇだろうが」
顔を歪める二人を見て、いつも笑顔の近藤さんの表情も寂しそうだった。
「…平助、俺もトシも明日香君を追い出したいんじゃないんだ。刀を握れなくても、おなごでも、ここで生まれておらずとも、彼女は我々と同じ――新選組の一人なのだから」
私の目頭が熱くなる。
勝手な仲間意識だと思っていた私にとって、近藤さんの言葉は救いだった。
じゃあ、どうして!と続けた藤堂君を遮ったのは、沖田さん。
「僕は帰って貰った方がいいけどね」
ガシャンッ
手からお盆が滑り落ち、お茶の入った湯飲みが割れた。
誰だ!と障子が開けられ、視線が私に集まる。
「明日香!!」
顔を上げられなかった。
…いや、彼を見られなかったのだ――
「すみません…!」
私は膝をついて、散乱している湯飲みの破片を集めると、指先に感じたちくりとした痛みに、思わず手を引っ込めた。
「明日香。ここはやっておくから、部屋に戻ってろ」
「………はい」
原田さんの大きな手に手首を掴まれ、頷くことしか出来ない。
切れたところをさり気なく布の端で押さえてくれ、去り際すまねぇな、と頭を撫でてくれた。
あの時、沖田さんなら私がいたことに気付いていたはずだ。
だからこそ、言った――
一瞬だけ合った沖田さんの目には、何も映っていなかった。