テニスの王子様

□丸井くんが猫を飼う
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「ブン太、もういいの?」

「あ、ああ…」


夕飯を残して立ち上がった俺を家族全員が不思議そうに見つめていた。
その食器をキッチンに置くふりをして、挙動不審に部屋へと持ち帰る。


「はぁぁぁ……やべ、超緊張した…」


ため息をついて部屋に入ると、ベッドに乗っていた真っ白な猫が近寄って来て


「ブン太、大丈夫…?」


この猫は、彼女の美香だ。
朝起きたら猫の姿になっていた、と聞いた時には俺も驚いたが、原因もわからない今、焦っても考えても無駄だ。
それに、よくよく見たら猫の姿の美香もなかなか可愛い。


「おう。ほら、腹減っただろぃ?」


床に持ってきた夕飯を置くと、美香の白い耳がピンッと立った。と思ったらすぐにしゅんと元気をなくす。


「で、でも……これブン太のご飯でしょ?ほとんど食べてないじゃない…」

「気にすんなよぃ。俺、もう腹いっぱいだし」

「…嘘つき」

「は?」


美香は懐に飛び込んで来ると、俺の腹に耳を寄せ


「お腹、鳴ってるもん」

「…そこまで聞こえんのかよ」

「なにせ、今は猫ですから」


得意そうな顔をする白猫をここまで可愛いと思ったのは初めてだ。
猫になっても敵わねぇな、と苦笑いして、小さくてふわふわした美香の体を慎重に抱きしめた。
もともと壊れてしまいそうだった美香の体は、猫になるとますます弱々しく感じた。


「いいから食えよ。俺は、お前が腹いっぱいになってくれればそれでいいんだからよ」

「それじゃブン太が…」

「それに、俺が食べ物譲るなんて滅多にねぇんだから、貴重だぜぃ?」


そう笑って見せると、腕の中のふわふわの体が小さく震えた。


「ふふっ、そうだね。ブン太から食べ物貰うなんて、もうこれっきりかもね」

「な、なんだよぃ…。わかったら食え!ほら」


もう一度夕飯のおぼんの前に置いてやると、茶碗に顔を突っ込んでちょっとづつご飯を頬張り始めた。
動かないように前足を上手く使って茶碗を抑え、時折食べ疲れてため息をついて舌を出す仕草まで、猫の姿なのに酷く愛おしく思った。


「……ん、」


人差し指で小さい頭を撫でてやると、美香は茶碗から顔を上げた。


「な、なに…?」

「いや……なんか可愛くてさ」

「…猫だからそう見えるんじゃない」

「ち、違ぇよ!猫は猫でも美香だから可愛く見えんだろぃ!そんでなくても可愛いのに…お前以外、可愛く思えねぇよ」

「ふ、ふーん……」


ぎこちなく返事する美香。
プイッと猫背を向けられ焦って言葉を探していると、ふと左右に揺れている白いしっぽが目についた。


「うひゃっ……!」


くねんくねんと揺れるしっぽを指先で捕まえると、予想外な声が上がり思わず手を引いた。


「わ、悪ぃ…っ、痛かったか…?」

「…あの、えっと、違うの…痛くはなくて…」

「痛くは、なくて?」


言いづらそうにしている続きを促すと、美香は前足で顔を覆った。


「もう…っ、いいから、しっぽは触らないで!」

「お、おう…」


小さいながら凄まれてしまったから、頷かない訳にはいかなかった。


「あ、そうだ。風呂入るか?」

「お風呂?」


機嫌を直して貰おうと話題を変えると、思った通り毛を立たせて反応した美香。


「入ってもいいの?」

「バレなきゃ大丈夫だろぃ。行くか?」

「うん!」


すっかり大好きな風呂に浮き足立つ美香にほっとして、俺達は家族にバレねぇように風呂場へ向かった。


「ちょ、ちょっと待って!もしかして、ブン太も入るの?」


脱衣所で当たり前のように服を脱ぎ始めた俺の足元から焦ったように見上げてくる美香。


「当たり前だろぃ」

「え、い、いや……」

「なんでだよ。美香一人で入んのは心配だし、それに今は猫なんだから大丈夫だろぃ?」

「そりゃ、そうだけど……」

「そんじゃ、決まりな」


無理矢理な決定にまだ美香は不満そうだったが、俺が服を脱ぐとくるりと猫背を向けた。


「こ、こっち向いてるから……ちゃんとタオル巻いてね」

「見慣れてるくせに」

「……っ、ブン太」

「はいはい」


仕方なく言われた通り準備をすると、美香を抱えて浴室に入って行った。


「…あったかい」


弱シャワーでお湯をかけてやると、美香は本当に気持ち良さそうに伸びをした。

声は本当の美香の声だから、一緒に風呂に入ってるような錯覚を起こすけど、見た目は本物の白猫で現実に引き戻される。


「体、洗ってやるな」

「う、うん…」


すっかり白い毛が濡れた体を持ち上げて膝に乗せると、泡立てたボディーソープからいい匂いがした。
その泡で膝の上でおとなしく座っている美香の白い体を撫でる。


「痛くないか?」

「…うん」

「痒いところないか?」

「…うん」


首をひょこひょこしてただ頷く美香。
顔を見ようとしてもそっぽ向かれ、表情を見させて貰えないことにムッとした俺は、無理矢理美香を持ち上げてひっくり返すと、膝の上で仰向けにさせた。


「わっ…ブ、ブン太!?………やっ」


驚いている美香の腹にも泡を塗りたくってやると、小さな体がびくりと震えた。


「あ……く、すぐっ…たい」

「気持ちいいだろぃ?」

「気持ちい、より…っ、ひゃんっ!」


必死にくねらせる体を容易く抑えて腹面をくまなく洗ってやると、美香は甲高く鳴いた。


「…変なところ、触らないで……っ」

「変なところ?猫の変なところってどこだよぃ」


恥ずかしそうに顔を背けられ、答えは返って来なかった。
その仕草が可愛いくて、俺はすかさず右往左往しているしっぽをそっと摘んだ。


「やっ…!ちょ、しっぽは………あっ」


より甲高く反応する美香にニヤリ。


「やっぱり。しっぽ、感じんだろぃ?」

「……っ、…ん」


膝から落ないように支えながら、しっぽのつけ根から先まで泡をつけて洗ってやるとぶるりと全身が震え


「や、めて…ブン太、やだぁ………」


小さな頭を振って体をくねらせる姿が可愛い過ぎて、人間の美香を思い出させて、俺自身も息が上がっていた。

おいおい……猫相手にって笑い話にもなんねぇじゃん。


「美香…」


堪らず半開きになっている小さな口…というか鼻に口付け、ますます荒々しく洗う手を動かした時


「…あっ……やん、もう」

「っ、痛ってぇ!」


暴れる美香を抑える手に激痛が走る。
見ると、手の甲についた3本の傷から血が滲んでいて、そこに泡が流れ込んでいた。


「あ!ご、ごめん……」

「…ひっかくことねぇだろぃ」

「だって、ブン太が…!」


そうだ…元はと言えば俺の所為だよな…。
相手は美香であっても今は猫な訳だし、もう少し自重するべきだったよな。


「悪ぃ…」


痛みですっかり頭も冷えて、俺はシャワーで泡を流し始める。

すっかり泡が落ちると、体を震わせて水を飛ばしている美香を持って湯船につかる。


「ブン太!絶対離さないでねっ」

「おう。爪は立てんなよぃ」


溺れまいと必死につかまる体を胸の前でしっかり抱いてやる。


「熱くねぇ?」

「大丈夫。気持ちいい…」


美香もやっと安心したのか目を閉じ、ふうっと息を吐いて体を預けてきた 。

向けられた腹が呼吸をする度上下して、猫の姿になってもしっかり生きていることを感じた。

改めて見ると、やっぱり衝撃的だ。
美香が猫になったなんて。


「なんで猫になんてなっちまったんだろうな」


頭を撫でながら、目を閉じる美香に呼びかける。


「早く戻れるといいな」


聞こえてるかはわからないけれどーー



濡れた毛を乾かして部屋に戻って来る頃には、大分時間が経っていた。

目を覚ました美香も部屋に入るとあくびをして、俺のベッドに直行。


「ブン太、もう寝よ……」

「そうだな。俺も寝みぃし」


同じく大きくあくびをすると、俺は早々と電気を消してベッドに潜り込んだ。

すぐ傍に来て丸くなる美香の体に腕を回して抱き寄せると、さっきのボディーソープのいい匂いがした。


「温けぇ……猫ってこんな温かかったっけ」

「ふふっ、私の感触はどう?」

「すげぇ気持ちいい…」


ふわふわの毛に顔を埋める。


「ブン太……ブン太も温かいよ」

「美香といるからだろぃ」


すぐ耳元から聞こえる愛しい声に胸がいっぱいになった。

ああ、この気持ちがーー


「…幸せ」


先に言われた。

より俺に擦り寄ってくる体を潰さないように、でもしっかりと抱きしめる。

姿は違っても、温かさ、優しさ、愛おしさは確かに大好きな美香のもので

前言撤回だ。

早く元に……なんて言ったけど、もしこのままだったら、ずっとこうして一緒にいられるのに、って思っている。


「猫ってこんなに幸せなんだね」

「俺といるからだろぃ?」

「うん。…そうだけど」


2人で笑い合うと、美香は伸びて顔と顔を近付け……俺の唇をざらりとした舌で舐めた。


「…ブン太、大好き」


俺も、と舌を絡め返せないことが唯一残念だ。
代わりに指先で顎の下を撫でてやる。


「私…もうずっと猫のままでもいいかも」

「え?」

「だって、こんなにブン太の傍にいられるんだもん…」

「それ、今俺も考えてた。けどよ、よくよく考えたら猫のままだと、したいモンも出来ねぇじゃん」


ニヤリと笑うと、意味を察した美香は「…もう」とため息をついた。


「…けど、ね……もし、猫になれたら…ずっとブン太といられるのになって、考えてたの」


顎を撫でられながら、うとうとし始める。


「だから…初めは驚いたけど、嬉しかった…」

「そっか…俺も、猫の美香といられて、すげぇ楽しかったぜぃ」

「…ありがとう。一緒に、いてくれて…」


これからも…と言葉の途中で、電池が切れたみたいに動かなくなった。
ただ、小さな体が規則的に呼吸を繰り返すだけ。


「これからも、一緒にいような…」


猫じゃなくても、明日になってもーー

言葉の続きを呟くと、白い耳がぴくぴくっと動いた。

きっと目が覚めた時、この腕の中には美香がいる。
いつかはそれが毎朝、当たり前なことになるだろう。

ふっと微笑むと、俺も目を閉じて美香と同じ夢の中へ。



fin.

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