テニスの王子様

□仁王くんに最後の詐欺をかけられる
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暖かな春の訪れが感じられる今日、私は卒業する。

3年間通った立海大とも、一緒に過ごしてきたみんなともお別れだ。
寄せ書きし合ったり、写真を撮ったりして別れを惜しんだ後、もう人が疎らにしか残っていない校舎を歩き、ある場所に向かっていた。

それは見慣れた教室でもテニスコートでもない、一番思い入れのあるーー屋上だった。

重い扉を開くと、思った通りフェンスに寄りかかり夕日に染まる景色を眺める影が一つ。
違うのに、その姿を見ただけで胸の鼓動が早くなるのを感じた。

後ろ姿に近付くのに気付いた彼は振り返り


「藤井さん、どうしました?」


さも当たり前のように言う柳生くんに苦笑。


「もう……最後くらい顔見せてよ」

「…プリッ」


聞き慣れた一言と同時に、目の前の柳生くんの姿がブレて、長い銀髪が屋上の風になびいた。
切れ長の目で見つめられれば、私の胸が更に大きく高鳴った。


「やっぱり藤井だけは騙せんのぅ」

「そうよ。ずっと一緒にいたんだから、すぐにわかっちゃうの」


ずっと同じクラスで、ずっと傍にいて、ずっと見てきた私が本物の仁王くんを見破れない訳がないんだよ。


「敵わんな」


苦笑する仁王くんの隣でフェンスに寄りかかり、私も真っ赤な景色を見つめた。

ここに来れば、必ず会えた。

見慣れた景色がいつもより綺麗に見えるのは、これが最後だからだろうか。
ちらりと見た仁王くんの横顔が輝いて見えるのは、もう彼と会うこともないからだろうか。

きゅっと胸が締め付けられた。


「卒業、だね」

「そうじゃな」

「仁王くんは、寂しくないの?」

「寂しくはないのぅ」


彼らしい言葉に、納得させられる。
やっぱり、どんなに一緒に過ごしても仁王くんの思い出の中の私は、いてもいなくてもいい存在。
私の中の仁王くんの存在は、こんなにも大きくなってしまっているのにーー


「じゃが、お前さんと離れるのは残念じゃな」

「え?」

「最後まで詐欺を見抜かれたままじゃ悔しいからの」


一瞬期待した自分が恥ずかしい。

そうだ。わかりきってたことだったのに、どうしてこんなにがっかりしているんだろう。

私は、半ば自虐的に笑った。


「仁王くんの詐欺を見抜ける人なんて…私くらいかもね」

「そうかもしれんのぅ」


いや、私だけであって欲しい。
そう思うのは、ただの根拠の無いわがまま。

夕日が段々と沈み初め、刻々と時間が迫っていることを知らせる。
でも、まだ離れたくなくて、何も言い出さないままそれを眺めていると、仁王くんの方が先に動いた。


「もう暗くなるから帰りんしゃい」

「…うん」


嫌だよ。だってここで別れたら、もう会えないでしょ?
まだ一緒にいたいよ。

言葉に出来ない気持ちが私の中で騒ぎ立て、目の前の景色を歪める。

そんな気持ちも知らず、仁王くんは寄りかかっていたフェンスから離れ


「そうじゃ」


思い出したように、決心したように呟き見つめて来る瞳を私も見つめ返す。
やっぱり、何度も見た金色の瞳は、銀髪はいつ見ても綺麗だった。


「最後に、詐欺をかけちゃる」


自信満々に言った仁王くんの言葉に、私は口をあんぐり開けてしまった。

「え、言っちゃうの?それじゃすぐ見抜かれちゃうよ」


そう言っても仁王くんは相変わらず余裕そうに「見抜けんよ」ときっぱり言った。

詐欺と公言しておきながら、見抜けない詐欺がある訳ない。
それに私は、どんな詐欺にかけられても見抜く自信があった。


「いいって言うまで目、瞑っときんしゃい」

「なんで?」

「その方がやりやすいなり」


目を瞑った方がやりやすい詐欺……?

「ふーん」と取り敢えず曖昧に納得して、言われた通りに目を閉じた。


「早くねー」

「わかっとる」


それを最後に風の吹く屋上に静寂が流る。

それからしばらく経ってもなんの変化も感じられず、目を瞑ったまま首を傾げた。


「ねぇ、まだ?」


しかし、仁王くんからの返事はない。
それだけで、真っ暗な視界の中で嫌な予感がした。

もしかして黙って帰ってしまった…とか。


「仁王くん…!」


焦って、いいって言うまでと言われた瞳を開けようとした瞬間、それを阻むように唇に柔らかいものが押し付けられた。


「……っ…!」


反射的に目を思いきり開いてしまった私が、それをキスと認識するのに時間はかからなかった。

体は抵抗もせず冷静なのに、頭は混乱していて、ただ目をぱちくりさせていた。


「…なん、で…」


しばらくして唇が離れた後、辛うじてそう聞くと


「見抜いてみんしゃい」


優しく微笑みそれだけ言って、仁王くんは屋上を去って行った。

バタンと重い扉が音を立てて閉まると、体から力が抜けてその場にへたりこんだ。

心臓が激しくドキドキして、胸が苦しいのに嬉しくてしょうがない気持ち。
熱い唇に指先が触れた時、涙が流れた。

私、こんなに仁王くんが好きーー

ずっと前からわかりきっていた気持に、今気付かされた。
私は、ずっと詐欺にかけられていたのかもしれない。
それに気付いた時にはもう遅くて、私は一人、ただ呆然と座り込んでいた。



これが、仁王くんが私にかけた最後の詐欺。

それから私は、もう二度と彼に出会うことはなかった。



fin.

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